知人が親しくしている有名人が、障がい者やホームレスを自分にとって無価値だ、とYouTubeで述べて大炎上しました。そして、彼のことは論外として、この発言を「実力主義社会の弊害」と断じた論評がありました。
私は今日お話しする実体験からそうは思いません。また、そうならない実力主義の仕組みとはどのようなものかについて、が今日のお話です。
私が成果評価を大幅に取り入れた人事評価制度を提案し、その際に、「給与が減る仕組み」を取り入れることを盛り込むと、多くの経営者が非常に強く反発します。この制度の合理性は論理的にも、数値シミュレーションでもいくらでも示すことが可能です。しかし、経営者の反発は、その合理性ではなく、「制度が非人間的である」ということにあります。その点では、今回のタレントが非難されている状況と近いものがあります。その状況では、そんなことをいくら示しても無駄です。必要性が理解できるまでの危機的状況になるまでその点は放置するしかありませんが、その危機的状況になってもなお、変えない経営者も多くいます。
工場のラインの仕事と異なり、現代の営業やシステム構築の仕事では、できる人とできない人の差が数倍に及ぶことが通常です。その数倍の差が存在することを直視したとき、実力主義では、稼ぎに応じた給与額が法律の範囲で実現されます。そして、できる人はかなり少数であり(例えば全体の2割)、その人たちが利益の過半を稼ぐような構造になっていることが通常です。
従来の日本の「全員同じ待遇主義」では、わずかに差がついたとしても、実際には、できる少数の人ができない多数の人を内部で「生活援助」しているのです。これに対して、「成果に応じた給与主義」では、できる人は月額100万円もらえ、できない人は四半期に一度給与が下がって最低賃金程度、ということが現実に起こります。
そのことを受け入れるのかどうか、を経営者は決める必要があり、それを徐々に受け入れつつある、というのが日本のこの25年でした。その流れは、どんなに社員、そして経営者が心理的反発を持っていても、これからもしばらくは続くでしょう。ただし、生産性を徹底して向上させれば、給与水準の低下は抑制することが可能です。
さて、そのような、実力に応じた評価報酬が実現した状況では、皆が他人への協力や配慮をしなくなり、短期的な利己主義に走り、組織は機能しなくなる、と経営者は懸念するのですが、本当に、成果主義の会社では、他者への配慮、弱者との共存は実現できないのでしょうか?
私はかつて日本一の成果主義の営業会社でマネージャーを務めていました。その経験から言えば、この答えは、Noです。
もう少し丁寧に言えば、制度設計次第で大部分の問題は解消できるが、その制度を理解し運用できる人が管理者にならない限り、その組織は懸念されるような荒廃した組織となる恐れがある。
ということです。
そして、この会社では、かなりの数の障がい者雇用を行い、障がい者も、バリバリエース営業マンと同じフロアに来て軽作業をしていましたが、給与に数倍の開きがあるであろう、役職の高い人、実績を上げている営業マンほど彼らに普通に同僚として接していました。(むしろそこに問題を感じるのは若い男性社員であることが多くありました)そういう人が若手をパワハラまがいの恫喝をしているかと言うとそんなこともありませんし、多くの部署では、男女比がそこそこ釣り合っている中で、競争的ではあるが、カジュアルで協力的な職場環境もありました。
ギスギスしている、という意味では、その前までに経験していた年功序列的な上場企業グループで経営が縮小局面にあるいくつかの会社で、男性ばかりの職場の方がよほど良くありませんでした。
そして、この会社が「実力主義」をスローガンとすることには、一つの大きな背景があります。それは、「年齢・性別・国籍で人を差別しない」ということが経営方針の中で非常に重要な位置を占めているということです。これは、同社では語られていませんが、創業者自身が差別に晒された経験があることが、この方針が徹底されている背景にあるのではないか?というのが私の見解です。
「年齢・性別・国籍で差別しない」はどの会社でも表向きは言っているでしょうが、実際には、日本人男性優位、年功序列文化が色濃く残っているのが実情でしょう。この会社では、外国籍の専門性の高い役職者は普通にあちこちの部署にいましたし、年下の女性上司も普通にいました。(私も年下の上司にずっと仕えていました。)むしろ、「外国籍でも活躍できる会社」と日本の外国籍の人達には思われていて、応募が多くある状況でしたし、少しネイティブではない日本語で打ち合わせをすることも多くありました。女性の役職者と共同プロジェクトを進めて、親身に助けてもらったことも多くありました。そういう会社は、「博愛的」と言えるのではないでしょうか?
そのような環境は中年男性という他社では優位に立てるであろうポジションであるのにやりにくくないのか?と思われるかもしれませんが、私が変人である、ということもあるのかもしれませんが、数字を基準にした方針の検討と決定以外に上から下まで判断要素がありませんので、私自身は非常にやりやすいと感じていました。
このように、実力主義の会社でも博愛は実現可能です。いや、むしろ「平等」に関しては、今の日本では実力主義の方が徹底しやすいと思います。
では、同社はどうやってこれを実現しているのでしょうか?それをいくつかご紹介したいと思います。
①KPIの基本、昇進の基準を「グループの達成重視」に置く。
同社では、実力主義の次に重視される経営方針が「集団成功主義」です。そして、それは四半期ごとに上長と結ぶ役職者の評価基準(KPI)に反映されます。部門として与えられた数字を達成しなければ給与が下がるわけですので、役職者は何らかの方法を考えなければなりません。
しかし、一部上場企業とは言っても、今の日本では営業会社にはそんなに優秀な人は集まりません。普通に何も与えずにメンバーを個別に走らせれば、少数のできる人は数字を達成できるが、そうではない人が大半であるのは、ここでも同じです。そして、そこで成績の悪い人間を詰っても何も起きません。だから、「そうではない大半の人」でも標準的な数字に近づけるにはどうしたらよいのか?の方法論が役職者には必要になります。
それは、誰でもできる単純な作業を積み重ね、その確率を1%ずつ高めるという「構造的アプローチ」に行きつきます。それの代表的なものが(この1年半でだいぶ価値が棄損しましたが)電話セールスであります。
ダメな人でも生産性を上げて戦力化できる「仕組み」を作らない限り、そこそこの規模の集団での目標の達成はできません。
②長期的価値をKPIに取り入れる
成果主義は短期成果に走る、という反論に対しては、「長期の指標」をきちんと成果指標にすればよいのです。具体的には、長期指標は、「期間あたりの課金額」と「解約率」によって表されます。解約されない説明、解約されないフォローをすれば、長期指標は改善します。それは、経営の目標とも一致するはずです。世間でよくいう「顧客の生涯価値」をきちんと数値にして管理するということです。
一方でこの「長期指標」は、解約率を見誤ると大きな誤差を生みます。そのため、この指標の運用のためには常に長期指標を追跡し続けるデータ管理体制が必要になります。
③再挑戦を保証する仕組みがあるので、腐らない
同社では、役職への昇進は、基本的には本人が成果にコミットするという形での立候補制です。そして、達成の見込みがないか、そのポジションが仕事もろともなくなると降格になります。一事業部門に事業部長は一人ですし、一採算セグメントグループにマネジャーは原則一人です。それにより責任の所在は明確化され、「形だけの役職者」はいらなくなります。
一方で降格になっても、勉強しチャンスがあれば、再挑戦が可能です。原則年齢は関係ありません。(ただし、35歳を超えて部長職に新しくすることは原則ないと陰では言われています。)そして、再挑戦するポジションが生まれるだけの十分な数の新規事業が社内で組成されます。だから、健全な人はくすぶりません。
④できない人はやめていく…わけではなく案外い続ける
年齢にかかわらず、成績の良くない人は、それなりの低い給与にとどまります。というか、実態として45歳を過ぎて残っていると下降線をたどっているケースが多いです。数字をあげることがなかなかできなくなっていくからです。
しかし、給与が下がるとやめるか?というと、実はそういうわけでもありません。やめる人はこうした営業の仕事が向いていない人であり、そこがそれほど苦痛ではない人(私はそれは大きな才能だと思うのですが)は、年齢にかかわらずそれなりに頑張りながらい続けます。他社に転じても活躍できる才覚がない、という見方もできますが、慣れた会社にい続けることの安心感からい続ける人もいるということです。それに対して追い出し的なことがされることも給与や賞与が減る以外には一切ありません。
ちなみに、今会社に貢献してくれる価値に今の給与が紐づく仕組みですので、当然「永年勤続表彰」はありません。
⑤コンプライアンスには非常に厳しいことが不正の抑止に
私からしたら当たりまえだと思うのですが、他の日本の会社の実態としてなあなあのコンプラ体制(残業時間管理、個人情報管理、申込書の代筆禁止etc)からしたら、非常に厳正なチェックと処罰の仕組みを運用しています。それにより、「見かけ上の数字作り」に走らせない抑止力としているのです。
しかしながら、それでも時々、不正は起きます。それはきちんと公表されます。
⑥社奴ではなく、「プロフェッショナル」であることが制度上推奨される
同社では、管理職の独立が推奨されており資金的援助の仕組みもあります。ただし、私は同社の商流に関わるような仕事をするつもりは一切なかったため、これを申請しませんでした。また、管理職として、あるいは事業を企画運営するうえで、必要な知識がテキスト化されていて管理職試験でも課されていました。
この制度を用いるかどうかにかかわらず、同社を退職した社員のうち、結構な割合が起業しています。同社では、ネクストキャリアが「転職」以外に、「起業」が普通に身近にあるのです。優秀な若い社員の中には、「ここで学んだことを生かして将来は自分で事業をやりたい」と言っている人が何人もいました。
私は実は在籍時には、まったく起業を意識したことはなく、退職を決めた時点では転職するつもりだったのですが…旧友とのふとした会話から起業に転じました。ただ、先輩の中には、スモールビジネスを堅実に誠実に運営している人がいることを見ていたので、「あんな感じなら自分でもできるのかもしれない」と思うきっかけになったのは事実です。
そういう社風が「自分という人間を取引先に受け入れてもらう」「自分個人が信頼される」という姿勢につながっているとも思います。
しかし、これらをきちんと理解した管理者がいなければ…
しかし、これらの会社の価値感とそれにを反映する仕組みの運用ノウハウを理解している管理者がその部署にいなければ、これらの仕組みは全く価値を持たないことも事実です。
「そんなお題目はいいから、数字作って持ってこい」という旧型管理者が決してすべていなくなっていたわけではないのも事実で、そういう部署はだいたい何らかの問題を起こしています。
どうすれば、そうした「ちゃんとした管理者」が揃えられるのか?というのは、どの会社でも行きつく課題ですが、この会社でも一定部分までは教育カリキュラムがあり、また、「できているさらに上の役職者」と接する機会を作るなどの工夫が行われていました。
そのうえでの選抜基準は、「正しい方法で集団を成功に導いた実績」でした。年齢でも社歴や学歴でもなく、です。7人の組織で成功できた人に、次は30人の組織を任せる、というわけです。この方法が一番成功確率が高いことは間違いありません。
このように、実力主義と博愛とが対立概念ではないことは、私は身をもって体験し、そして、それがどのように実現されるのか?についても分かっているつもりです。ただし、これらすべてを実現するのに必要なのは、経営者の「強くて優しい会社」への強い執着心です。何となく感覚で実力主義を遠ざける経営者には、強さに対しても、そしてやさしさに対しても、その執着心が不足していることを感じることが多いのです。