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「女性が多いと会議は長引く」けどそれが何か?

今日は予定を変更してこのテーマです。「女性が多いと会議は長引くか?」というと、長いかどうかは別とし、発言がかなり多くなりますね。その場のトップがこうしたいと思っていることとは相違する、あるいは反対の意見が出ることも多いです。それは間違いないと思います。

 私より少し上、今の50代前半の世代は、「男女共同参画法第一世代」であり、社会で女性が活躍するモデルケースとなってきたパイオニアの世代です。この中には、時々ものすごく優秀な人がいて、私も何度もやり込められたこともあります。陰キャで口下手な私は、共通の非言語的コミュニケーションが通用しない、こうした女性と仕事をするのが苦手です。はい。

 ただ、中小企業で人が取れない、恵まれない中ではこういう能力の高い人を使わない手はない。私から言わせれば、「コストパフォーマンスが高ければ、宇宙人でも構わないから、来て手伝ってほしい」(これ、私の多用する語句です)、そうせざるを得ないし、むしろ旧来の大企業が嫌がるような積極的な層を、純粋に仕事の成果を上げるために狙って獲得していく必要があると思っています。


私は、初めて上場企業連結子会社の取締役になった30代の頃、社長に言われました。

「社外の役員も来る役員会で、会社内部の課題なんて発言するな。そんなの普段、すり合わせておけ」

 この人、普段は平気な顔で「取締役会の活性化が経営には重要」と言っていました。その後、お互い会社を去りましたが、その後この人から会いたいと言ってきたことがありましたが、一切お断りしています。

 「お前なんか俺のやりたいようにやるための多数決の際の会社側の票のための要員なだけなんだから、しゃしゃり出るな」というわけです。これに黙って従って60歳までの給与を確保し、あるいは従順であることを材料に、会社が存続し拡大することを前提にさらにいい席に引き上げてもらおうというのが、「日本の男の生きる道」でした。

 だから、会議はしゃんしゃんと終るし、異論はいらないし、議決はほぼ全会一致。それが「日本の組織」でした。方針が多少おかしくても、あるいは不正があっても、企業や組織や社会全体が拡大しているときには、成長がそれを覆い隠してくれ、うまいこと帳尻合わせができるし、従っている人間にはパイの配分ができるので、「従わなければ損」という論理を強制することができるわけです。

 でも、私はそうではない。いつも自分が賢い・正しいと思っていて、何か言いたがるのでそれが良いこともたまにはあるが、大抵はこんな感じでプチ事件となり、「賢いけど使いづらい奴」になり、それが20代の時は良くても、多数派工作の中心付近にいないままに30代、40代となり、転職などして外様となるともう日本の男社会大組織では使われなくなってしまいます。


 そんな社会的不適合者である私と同じにするのは失礼ですが、女性が入ると会議は大抵「面倒なこと」になります。私の経験してきた限りでは、たいていの「選ばれた」30代、40代、50代の女性は、問題を包み隠さず報告し、解決のために様々なアイデアを出し、間違っていると思うことは「偉い人」にも間違っているという傾向が男性よりもはるかに強い。しかも、その価値判断の基準は、性や年齢に関する「公正」が確かに存在するので、結果として、高齢男性の「既得権」を認めず0ベースでの再配分を要求することになる。
 隣の男性のように「あの親分にたてつくと後で干される」というようなことを気にして下を向いていることができないのは、なんでなんでしょう?どこからこの強さの差が生まれているのか、当の女性にも意見を伺いたいものです。

女性が会議で「うるさい」ならば、おじさんは、会議で「付和雷同の輩」であり、「多数派工作要員以外の価値」はない、糾弾されても仕方がない。

 もっとも、今の30歳以下の人になると男性もこの「勝手な(ボス猿側の視点で)」傾向はありますね。礼儀とは別に意見をいうことは構わないという考え方をする人が増えていると思います。これは、こうしたいうべきと思っていることをいう女性(と少しの男性)の在り方を見て、それが当然のものとして育ってきた世代が社会で活躍し出していることを示しているのでしょう。2世代分の時代が流れると、だいぶ変化は起きているという事も感じます。

というわけで、「女性が入ると会議が長引く」は本当でしょう。でも、これは迷惑なこと、不効率なことではなく、明らかに組織を正常化し、リスクを回避する方向に寄与していることです。「本来会議(アイデアだしではなく、政府会議や取締役会などの重要な方針決定を行う場をここでは指すことにします)、「方針やその根拠のチェックを多面的に行い、誤りの可能性を減らし成功確率や対象者の利得を高める」ことであり、それに必要なことをしているだけです。

 ところが、その親の世代、今の70代、80代では、そうではなかった。会議の目的は「親分を頂点とする利益配分システムの中での親分の意思の公式化・追認」であり、それに寄与することを競うことで、持続的な利益配分を受けること利益配分決定メカニズムの承継を狙うことを目指す仕組みが参加者間の競争でした。彼らはそれが会議だと思っているし、組織だと今でも思っている。

 彼らの年代や経験では海外の組織経験者でもない限りそれしか知らないし、その親はもっと儒教的な「滅私奉公」、「女性は内助の功(男尊女卑)」文化で育ったのだから、仕方がないことです。文字にすると差し支えあるのですが、言っちゃいますが、この世代の人、ハーフのスポーツ選手に「くろんぼ」とか「肌が黒くてかわいそう」とか普通に言っちゃいますし、若くして社会で活躍する女性に対して「母親が家にいないのは子供がかわいそう」と本当に思っている、そういう世代であり、それを変われといっても長年染みついた考え方を変えられるものではありません。

 ただ、こういう人がトップについた時点で、もうその下につく人はその文化を追認し、黙従するタイプを選ばざるを得ません。仮にそうでない人を選んだとしても、トップやその他のメンバーがその人を「異なる細胞」として排出しようとします。組織はトップの色に染まり、トップの器を超えられないというのは、具体的には、こういうところに現れます。

 そういえば、私は2002年にお茶出し制度を廃止してペットボトルに移行することを提案して、これも地方の親会社出身の役員(それも上の「子分格で親分についてきて子会社に来た人)に、「お前は男にお茶出されてうれしいか?それでその会社と付き合おうと思うか?」と本気で批判されたことがあったことを思い出しました。…彼も今、70代半ばですね。今、そういう会社はだいぶ減ってきましたが。


 このような利益配分型組織の在り方というのは、今の社会においても特に地方部を中心にまだまだ色濃く残っていて、そこには、70代、80代のボスが君臨してルールを支配しているというケースがたくさんあります。企業は地方と東京、日本と海外の間で競争に晒されて変化を強いられる圧力が如実に働くためそれでも変化が進みつつありますが、そうではない組織、政治・行政(官僚組織と天下り)・教育(日大!)・スポーツ団体(ボクシング協会!)・地域コミュニティなどでは、親分子分の結束は今だに強く残っており、今回もその一つでしょう。
 日本の組織が変化対応力が乏しいのも、こうした「ムラ」システムに原因があります。ボスもボスで時代の変化に無頓着ですが、構成員もルールが変わると自分の利益配分と将来の自分のポジション、飴のあてが外れるので、できれば変わらないで欲しいのです。そうして、外部との乖離がどんどん拡大していき、それが今回のように表面化する「事件」となるのです。


 国の機関ともなると、その被害は広く国民全体にいきわたるので、今回のように声をあげざるを得ないのでしょう。(でも、予言しておくと、たとえ圧力に負けて辞めたとしても、こういう組織では、「名誉会長」とか「最高顧問」とかいう役職作って構造を維持しようとしますから)

 しかし、弊社の活動する民間の中小企業というフィールドで言えば問題の解決は簡単です。社員は、そんな会社を徐々に選ばなくなっているし、「選んでしまった人」は「古い体質の会社」とwebの就職ガイド関連記事に書き込んでいます。
 地方にそういう会社しかなければ、若者は東京へ出ていきます。外資系に勤めることも、海外に行って働くことさえできてしまいますし、現にそうして、隣家の住民税額まで知っているような地方のコミュニティは若者がいない状況になっています。

誰もそれを止めることはできません。問題の解決に必要な十分な外圧が、ネットを通じて存在し、変化を自分で選べるのが今の企業社会であり、中小企業がその中で存続を図ろうと思うと、好き嫌いは関係なく、「うるさい」女性の力を借りられる組織作りをするしかないのです。

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