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情報は洩れるから

 「当分の間保密」と社長から言われる機会は昔からかなりの数あった。人事異動のほかでは、支社の廃止、部門の譲渡、会社の解散と解雇などハードなものも結構あった。
 私は、べらべらしゃべる方だと思われているかもしれないが、こういう重要なものは適宜開示事項を含めて一度も約束を破ったことはない。というのも、人事異動などでは、期限ぎりぎりまで部門長間のせめぎあいがあって変更されるし、M&A関連でもそれを知っている少数の人の間で猛烈な綱引きがあって結果として状況が変わってしまうという場面もたくさん見てきたから、状況が確定するまで動いたり人に言ったりすることのわが身の危険を知っているからである。

 しかし、そのほとんどのケースで情報は筒抜けだった。筒抜けになっているその漏洩元は、だいたいが当の社長だったり副社長、専務、つまり自分よりずっと上であることが多い。自分で秘密を守れと私に言っておきながら、自分で黙っていられないのである。そして、反発、動議…に会い、往生して…また私の出番が来る。いったんそうなってしまうともうどうしようもないので、「戦略的合理性と必要性」を説明する資料を作るぐらいしか私にはできない。

 昔から秘密は洩れるものである。だいたい人は黙っていない。前述の会社解散の時など、私はその会社の取締役だったのだが、ちゃんと妻にも黙っていた。(というか、言うと一番大ごとになるのは妻であるからなのだが)が、副社長が管掌の営業部員には話してしまい、社内は早々に沈む船から我先にと逃げ出すタイタニック状態となった。
 それが、今では、ただ漏れるだけではなく、ネット上に流出し世界中に流布されるようになった。もっとも私がいたような無名の会社(といっても一部上場企業の連結子会社で超有名企業の持ち分対象でもあったのだが)ならばさほど騒動にはならない(この話はもうTwitterもFacebookも十分世の中に広まった時期の出来事だったg、ネット上での騒動には全くならなかった。)のだが、常識はずれの度が過ぎたり、有名企業だったりすると「炎上」が起きる。

 漏れるのはガバナンスができていないからだとか、普段からの信頼関係がないからだという「偉い人」もいるが、それは考え違いである。森友事件の赤木ノートの存在は財務省が否定し続けていても早くからマスコミに知られていたし、オリンピック開会式で海老蔵が森会長事案であることは昨年段階で既に漏れていたが、そのまま実行された。(そういえば、ここの事務総長も財務省出身者だが)
 そんな遠くの世界の大きな出来事でなくても、社内不倫も役員の愛人問題も、ソーシャルベンチャーの旗手が道路で酔いつぶれて寝そべった話も社員は翌日朝には全員知っている。ネット上で世界中に流布するのは最近の話だが、社内に流布するのは今に始まった話ではないし、そういう人もそんな場面を数多くみてきたはずである。

 情報は悪ければ悪い情報であるほど、洩れるものなのである。経営者が一人でその日まで孤独に耐えて黙っているならばまだ漏れない可能性はあるのだが、総務経理に準備を指示し、役員会で説明し決議していれば、もう無理である。ちなみに賞与水準が例年よりやや良いというような小さなプラスの情報はあまり漏れない…
 それなのに、経営者はそれを隠せると思い、隠そうとしてかえって深手を負ってしまう。どうして隠そうとするのだろうか?(決算見込みの適宜開示など法的規制がある事項はもちろん、この場合除く)

 一つには、自分の立場や社内規程があることが社員の言動を取り締まれるという「過信」があることである。規程は必要であるし、伝家の宝刀として抜くべき時には抜くのだが、そうだとしても、人の口に戸は立てられない。人とはそういうものだ、という人間観が経営者にないと対応が硬直的で、しかも疎漏である、ということはほかにも多くある。
 また、実はそんなことはないのだが、隠し通せたと思っている過去の事案がある場合、其れより少し大きな事案でも、今回も隠し通せると思っていることがある。あまり人に言いたくない経費を無理やりねじ込み、経理課長を黙らせることに成功すると、だんだんとエスカレートして大変なことになっている、というケースは過去にも見た。実は全然隠されていないで、私を含めてかなりの幹部は知っていたのだが。


 自分で公表する内容や事後策を立案して、ごくごく少数の力のある人とその場でぱっと決める、というようなことができる経営者は漏れにくく、文書一つ作るのに組織を動かさないとできないような人、それに普段から完成度の低い文章、誤字脱字にうるさいような経営者の組織は下で合議し多くの人が時間をかけてチェックしてから持ってくるので、すぐに漏れる。このように経営者の「自分でまとめる力」も大きな要因である。
 私など気楽なもので、このブログでも、あるいは経営者の面前でも言いたい放題言っているのだが、それでも気を付けているのは、言葉尻を曲解されないように、お会いしたあと、できるだけ当日、遅くとも翌日までに伝えたかったことと、当日不十分だったが整理補充して伝えることを文章にして、記録の残る形、つまりメール等で経営者に提出して事故を防ぐようにしている。
 同じように経営者の方も、「発表」は決めたらできるだけ早く、できるだけ自分の言葉で背景や狙いとともに、できるだけ文面で行った方がよい。それが、混乱を抑え、自分の指揮権を維持するうえでは一番である。

 このことは逆の見方もできる。経営者が誰かのことを第三者にいうとき、その人にはその発言はほぼ確実に伝わる。それが個人攻撃的なことだとパワハラだとか陰口だとかという形で陰湿なことになり危険なのだが、そうではなく、関連する部門それぞれのコストダウンやスピードアップの方向性であったり、人員構成の将来像であったり、というような「この先会社はどうなっていくのか?」ということを関連部門も含めて全体像を語り、課題を具体的にいうと(もちろんそのうち、直接でも説明しなければならないのだが)、危機感を持って勝手に改善しなきゃと思ってくれているのである。このことを組織運営にうまく使っていたと言われているのが、故野村克也氏である。

 決してゆがめた情報を流していたり、批判しているわけではないのだが、こうあってほしい、組織全体としてこうありたいという発信は、直接その人にしなくても組織内では勝手に伝わるものである。
 意思を伝え統一しようとすると、精力的なリーダーはすぐ「朝礼」「会議」と言う。また、理知的なリーダーは、「掲示板」や「社内SNS」で方針を説明する文章を掲載しようとする。しかし、思ったほどには響かない。
 そりゃそうである。そんな形式的な言葉では人は動かないことは分かり切ったことである。経営者自身だってそうだろう。経営者とは役割が違うだけで偉くもなんともない存在であり、誰も損得は気にしたとしても、その真意を真面目に聴こうとは思っていない。けれども、信頼する同僚から、「お前ヤバいぞ」という調子で不安になるような噂で聞いた方がよほど心に響くのである。それがノムさん流である。多用は危険だが、「組織には、目に見えない情報流通網がある」ということを意識しているからこそできることである。

 最初に戻っていえば、情報を隠すことは大抵失敗する。だったら説明してしまった方がいい、というのが中小企業経営者に対する私の助言である。それで社員が不安になろうが、嫌になろうが構わないではないか、と思う。社員は状況を理解すると、ある程度は利己的に動くが、また一部では問題を改善する方向にも、それぞれすこしづつは考え、動いてくれる。人は、全部いいなんてこともないが、かといって全部だめという事もなく、そういうバランスの上にあり、会社組織もまた同様である。
 ならば、情報を開示して、改善したいとより多めに思ってくれる人を見出し抜擢し、そうではない人にはやめてもらうほうが結果として組織は改善しやすい。そうではない人が辞めたあとに、同じコストで専門性の高い社外の人を雇って改善できる可能性も中小企業では、副業や委託も含めれば十分可能性がある。

 何よりも、経営者が従業員から信用されるのは、実際のところ有能だからではない。言っていることが調子のいいことや適当な言い逃れではなく、本当だと思えることの方が、社員から信用されるうえでははるかに重要である。

 

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