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「おとな」と「こども」の分かり合えない経営論

 この仕事で一番楽しいのは、規模、業種、社歴も様々な経営者の方の苦悩や生き様を間近で見ることができることです。そして、それぞれがみな、普通の人には見られない、経営に携わる強い内的動機を有しています。
そして、その動機は、比較的規模の大きな企業で地位を親族内、あるいは社員や取引先の中から継承した人と、自分で創業した人、それも特に規模が小さいケース―いわゆるベンチャー社長-とでは大きく異なっています。

いろいろなベンチャー社長がいらっしゃいますが、特に目立つものが、2タイプあります。大手企業で優秀な成績を収められて、相応の業績賞与をもらい、知識とネットワークと金銭の元手を手に入れて、「自分ならきっとやれるはず」という自信を持っている方(以後、タイプ1)と、特に組織に入ってリーダーとして仕事をしたことがあるわけではないのだが、人生において強い動機をもって自分の居場所、自分の存在価値を追求するかのように事業を追求する方(以後、タイプ2)の2通りです。

 「起業しても5年以内に大半は立ち行かなくなる」という事実、それに銀行はいまだに強く個人保証を求めてくる(公的存在であるはずの信用保証協会であってもいまだに要求する)、失敗すると身の破滅を招くという恐怖の中でも、あえてそこへ踏み出すのは、逆説的に言えば、会社勤めがよほど嫌ということでもあるわけです。起業家が起業する本当の理由は、「自分が生きる場所づくり」であることは少なくありません。

もっともご実家が何等かの自営業をやられていた方には、この思い込みは薄く、比較的「独立」への心理的障壁が薄いようです。


 先週、とあるベンチャーVCで紛争が勃発し、ベンチャー界隈はその話題で持ちきりでした。私は知り合いが何人かその周辺にいるだけで当事者ではないので、実情は知りませんし、そのことへの意見もありません。しかし、その中で、渦中の中心人物が、SNSで「『おとな』のルールに従っていては、世の中は何も変わらない」という意味の発言をしました。
 内情はどうであれ、この言葉にこの事件の本質がひそんでいるように思いました。

 特に上記タイプ2のベンチャー経営者には、「自分のやりたい正義」への思いが非常に強く、「他の正義」を軽んじる傾向が強くあります。また、タイプ1のベンチャー経営者の場合、お金の使い方や見通しが非常にずさんで無計画、「もったいない」という事例が多い傾向にあります。

 そのこと自体は非難するようなことではないと思います。偏執狂でお金に無頓着なスティーブ・ジョブスのように、そのようにして生まれた「自分勝手な」会社がごくごくまれにではあるものの世界を変えていくのも事実です。「勝てば官軍、負ければ賊軍」であり、大きくなればこっちのものなのです。問題は、そこではなく、「信頼感のないままに人のお金を使う」ところにあります。

 私も毎日2回も3回もタクシーを使うベンチャー経営者にもったいない、今後他人資本を会社に入れるならばそういうのは許されない、と苦言を呈したことがありますが、彼は「自分は時間価値が高い」と言い張っていました。私からしたら、時間価値が高いからこそ、そんな自分で帰れない時間まで飲んでいるべきではないし、その飲み食いの代金を仕事に無関係ではないからと言って、会社で負担するのも間違っていると思います。
 そう、「正義の反対は別の正義」です。ベンチャー企業の場合、「経営者の正義」の反対は、「出資者の正義」です。出資者の正義とは、「会社をつぶさず、事業価値を拡大し、出資を棄損させず、いつかは大きくリターンを還元する」ことであり、そのためには1円も無駄にしないという運営をすることが最低限必要です。そして、会社とは、「出資者の所有物」である、というのが、「おとなの考え」です。
 また、経営報告の内容、つまり課題認識と対策が適切であり、収益の見通しが今は一時的には赤字であったとしても、見通し自体は正確であることも重要です。そういうことが最低限できていないと、「お金を任せる」ことは、できません。

さらに言えば、経営者にとって最も大事なことは何か?という問いに対して、ベンチャー経営者は「会社のビジョンを明確に持ち、その価値の元に人とお金を集めて、価値を高めていくこと」だと答えます。このことは、経営の教科書にも書いてあるので、一見正しそうです。しかし、実際には世の中の大半の現実としての答えは違っています。それは、「会社を何とか存続させること」です。別にベンチャーの一社や二社潰れたところで、世の中には特に大きな問題は起きないですし、経営者自身も腹をくくっているのでしょうから問題ないといえば問題ないのですが、出資金が棄損したり、債権が回収できなかったりする人が世の中では、大きな力を持っているためにこういう「常識」になっているのです。

 そして、こうした「おとなの論理」に従わないと、今度は、「おとなに愛されない」という事が発生し、そのことが、営業面や資本調達面での障害となってきます。剃刀のような優秀さ、ハンマーを振り回すようなエネルギッシュさだけでは、会社の成長は制約を受けてしまうことが現実なのです。

 ベンチャー、特に「社会的価値」を主張する種のベンチャー経営者には、この点をかたくなに認めようとしない人たちが多いように思います。外部から見ていると社会的正義を錦の御旗に格好のいいことを言っているが、実は自分のやりたいことを自分の信者を巻き込んで人のお金でやっているだけで、実需が伴っていないし、内部もものすごく労働集約的で無理を強いるので、経営の展望が開けないので人が辞めていく。

 しかも、多くのケースでベンチャー経営者はとても優秀です。弁が立ち、営業力があり、抽象概念を扱う力も高いレベルにあるので、同じような「優秀な人」が集まる傾向にあります。そして、立派なドキュメント、すごそうなプロダクツが次々と生み出されるのですが、実際には売れません。それは彼らが悪いとか間違っているとかいうわけではなく、世の中はそう簡単には変わらないからです。

 最近も、とある方から「志ある人材を育てるプロジェクト」についてご相談をいただき、3秒で「私には無理です」と答えました。
 今ある市場で困っていることや必要とされていて、もしそれがあればお金を払うつもりがあることを提供するために試行錯誤することはできても、今の市場を変えようとすることは、確実に失敗します。「支払い能力と支払意思」が実在しなければ、どんなに便利なものであっても売れません。しかも、必死でどぶ板営業をしなければ、webで多少宣伝したって売れません。SNS界隈では多少有名人の会社であったとしても、世の中ではほとんどの人が知らないし、知っていてもそれは、「胡散臭い」という認知で知っているのが現実です。


 このように、ある種のベンチャーリーダーのやっていることは、語弊があるものの、「おとな」側から見ると「こども」っぽいと見えるわけです。
 それでも、節約に節約を重ねて利益追求をしていれば、まだ大人の共感も買えるのですが、なぜか、こういう経営者は、「仲間内の社交」にやたらとお金を使う傾向にあります。そんなお金のない者同士集まっていてもお金は出てこないわけで、どうせ会食に行くならば、「お金の出し手」に「教えを請いに」行って欲しいのですが、分かり合えない壁が両者の間にはあることを両者とも認識しているので、結局、会社のお金で分かり合える者同士で毎晩飲食に励むことになっています。それは楽しいでしょうが、お金にはならない、ただの出費であって会社の経費にするようなものではない。

 こういうベンチャー経営者がいる会社を正常に銀行や出資者に信頼してもらえる会社にしようと思うと私ならどうするか?というと、銀行や金融、大手商社などの出身で経営実績があり、財界に顔が利く大物をボードメンバーとして複数迎えるなどして、主導権をこの経営者に握らせない工夫をし、財務規律をその迎えた役員が経営会議に提案し、多数決で有無を言わせず決定するという工夫をします。それが、上場し、大きくなるには必要なことであるからです。
 大変コストもかかりますが、営業面でのプラス効果と合わせて、何とか上場まで持って行くには、こういう工夫をするしかないし、こういう工夫が成功すると、今度は創業者は、「株主兼ファウンダー」という立場でやがてはその会社の「自分が追い求めていたものと乖離してつまらなくなってしまった事業」を去って、新しい「自分の好きにやれる場」をまた性懲りもなく求めることになります。ベンチャーの世界は私が見てきた20年ぐらい、こうした「おとな」と「こども」のせめぎあいが続いてきて、そして、大抵「こども」は負けてきました。そして、生き残ってきたのは、「こども」だけど「おとなに愛される」工夫をしてきた人たちです。


 他人資本であっても銀行からの借り入れであっても、これらは、一定の期間内に利子をつけて返す義務が何よりも重い責任であるし、そのためには、「売れるモノづくり」、ともすれば「世相に妥協」することが当然だと考えるのが、彼らがいう「大人の論理」です。大人の論理と言えば聞こえはいいが、確かに、この論理では世の中は変わりません。その点で事件の当事者の経営者の言っていることは正しいでしょう。

 しかし、世の中を変えるような、兆の規模でお金を動かせるのは、この国には、日本政府しかなく、そのほかにはどんなに大企業でも世の中を変えることはできないのです。

 そして、もう一つ「人の心は変えられない」ということを「こどもたち」は分かっていないのではないでしょうか?たとえ夫婦や自分の子であったとしても、人は人を自分の思うようには変えられないのです。私たちにできるのは、それを受け入れ、自分の対応を変えることだけです。それを私たちは、多くの社会生活の中で直面し、敗北を受け入れて生きています。

 振り返ってみると、こうしたベンチャー経営者は、優秀であり、強くあろうとするばかりに、この点を軽視していて、それが、大多数の「おとな」との摩擦を生んでいるのではないかと思うのです。

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