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若いリーダーを生み出すには

80代から80代への継承は阻止されたわけですが、40代、50代で候補者がいないという声も聞かれた先週の騒動。日本の組織の「サル山構造」については、先々週のこちらの記事(やっぱり顧問っていってましたよね)でも触れましたが、

若いリーダーが不足しているのも事実だと思います。これは企業でも同じです。ちょっとこちらの記事をご覧ください。

https://www.tsr-net.co.jp/news/analysis/20200612_01.html

要約すると次の通り。

  • 社長の平均年齢は62歳となり、近年上がり続けている。
  • 70代以上が全体の3割以上
  • 社長の年齢が若い企業の方が、高い企業よりも増益企業が多い

しかも、女性に育児や家事を任せきりで残業と転勤と休日ゴルフで出世競争を勝ち残ってきた鬼武者のような人たちばかり(褒めてません。)。過去の経験からしても、こうした60歳以上の経営者の言っていることって、やっぱりマーケットのニーズや世相からずれていることや、ピントがぼけていること、自分に都合がよいようにしか見えていないことが多いように思います。

では、どうすれば、若い人をリーダーとして育成し、抜擢することができるのか?これには私は一つの確信のある方法論があります。実際にこれらは毎年最高益を更新し続けている大手上場企業でも「鉄則」とされていることです。

ただし、今の60代、70代のほとんどのリーダーからは唾棄されますし、ゴールがちかづきつつある50代、自分の限界を知った40代からも歓迎されません。そして、人口構成比率も、現在の決裁権限もこの順番になっているために、既存企業ではなかなか変えるインセンティブが働きません。

と、ここまでお話ししたところで、その「組織の活力を維持するルール」をご説明しましょう。全部で5つあります。

①管理職の評価基準を、組織の目的を直接説明する、外部から検証可能な(個人ではなく)チームの実績にする。

これは、日本の大きな組織で見られる「優秀な事務屋が課長になる現象」を排除するために必要なルールであるだけでなく、組織の「目的」を明確化し、結果として「達成度」を明確化するために重要です。会社の各組織の目的とは基本的には今期と将来の「利益」のはずなのですが、セクションによっては「効果」が異なる場合もあります。ただし、どのような場合でも(小さな組織でも)、「費用対効果」の視点であり、「売上」「アクセス数」などの絶対値であることは、目的を誤る原因になるので避けるべきです。

そして、「人格」とか「勤務態度」とか「部下からの信頼」とかを評価指標に加えないことです。これらは、目的を達成するための手段や要素ではあるかもしれませんが、目的ではないからです。これらは、「コンプライアンス」で制約し、教育ののち、コンプライアンス違反は「ワンストライクアウト」にすればよいことです。

②管理者の評価基準のうち、3割程度を「同格人材を育成し、他部門に輩出すること」にする

巷で話題沸騰の「余人をもって代えがたし」ですが、2014年から7年も組織のトップをやっているならば、次世代を育てるのは、重要なミッションだろ、と私は言いたい。人脈が重要というならば、世界中連れまわって、「重要な後継者候補であり、実務の責任者である」と紹介して回り、厳しく実績を見ていきダメならば途中で別の人に次世代候補を替える必要がありました。それが組織としてルール化されるべきであるし、それができない人をリーダーに据えてはいけない。

そうして産み育てた「次のリーダー」を他部門に先駆けて他部門に輩出することは、それぞれの段階のリーダポジションにある人の「成果」です。こうしておくことにより、会社の各段階において「次世代リーダーの育成状況」をリーダーはその上司に報告し、上司は次のリーダーを把握することができます。

③20代のうちに、リーダー適性のある人物を選別し、小集団のリーダーにする。35歳までに、子会社や合弁会社などの限定した範囲で利益責任を任せる

 リーダーという生き方は、別にその他大勢のフォロワーよりも上等というわけではありません。責任は重く、多くの場合はフォロワーに嫌われ(そのことを嫌がるリーダーも日本では多いですが)、人格まで非難されます。それでも組織の目的を達成する重い責任があり、そのセグメントにおけるトップの分身であるからこそ、高い報酬をトップからもらえるのです。そのポジションを離れれば「ただの人」で、フォロワーよりも孤独で疲労感が多いことが多い生き方です。
この道を選べる人材は、多くの場合、20代のうちにもう決まってしまっています。もっと言えば、この素地は多くの場合、学生時代に涵養されているものです。実績を積み重ねることにより、方法を取得して上手くなる部分はありますが、責任をしょって立つ素養が育つものというのは大きな誤解です。それを40代になっても「管理者教育」をしているのは、年功序列型社会の遺産と研修会社の営業トークの誤解です。そして、今の日本では、学校段階ではほとんどリーダー教育がされていない(それでもすこしずつ変わってきているのですが)ため、この資質を身につけている人は希少です。

 しかも、考えているのとやってみるのとでは大違いというのがリーダー職です。ひとは自分の思うようには動いてくれないですし、自分ほどの熱量も持っていません。それをどうするべきかはだれかが教えてくれるものでもなく、自分で勉強し、試行錯誤していかなければならないものです。ある時は言葉で語ることですし、また帳票や規程の力を借りる知識も必要です。

 それを20代のうちから失敗覚悟でやらせてみることです。そして、同時に範囲は小さくとも「利益」を任せることです。もちろん、そのためにはEXCELで売上の構造と、費用の概要をきちんと自分で把握できるような知識や能力も必要であり、労働法規の知識も必要であり、気合だけのリーダーはその段階で選べないし、選んだとしても淘汰されるはずです。こういうのが、本来の意味での「総合職」です。

 適性のない30代、40代にこの費用と時間を投入する必要はなく、これらの人は専門職としての成果に見合った給与を与えることにし、適性を見出せる20代を登用し、30代、40代の上に立たせてみることです。

④管理者の評価基準で基準を満たせなかったら、あるいはもっとふさわしい人が社の内外から現れたら降格するルールとする。ただし、再挑戦はありとする。そのために、役職(資格)級と基本給を分離する。

これは現在の高齢層の管理者もそうですし、20代で登用して失敗した人もそうですが、「組織の目的」を達成できなかったら、次の候補者に交代させます。つまり、いったん降格です。それでは辞めてしまうではないか?と言われますが、それでやめられてしまうならば、辞めていただいてよいです。

一般には、50代より40代、40代より30代の方が管理者としても成果を上げられる傾向にありますので、「再挑戦歓迎」にしておけば、交代は促進されます。つまり、「年齢や性別に区別・差別がない」、とは「実力主義」であるということです。

⑤新たなポジションへの登用基準は、過去の実績ではなく、次の1年にそのポジションで何をやることでどこまでやれるかを根拠をもってきちんと説明できることである

必要なことは、そのポジションが目的を達成するために何を行うべきかが具体的に把握できていて、かつそれを遂行する力があることであり、他ポジションでどうであったかは、その主張の根拠の一部になることはあっても、それ自体が登用基準ではありません。市場や常に変わっていますので、5年前、10年前の実績や人脈はほとんど役に立ちません。今、その目的を達成するために一番適任である人を年齢や性別や社歴に関係なく、あるいは社外からでもよいから選べばよいのです。過去には、それが「現場を熟知するパートの女性」だったこともあるし、圧倒的な指導力をもつ先代経営者が返り咲いて業績を回復させたこともあるし、20代エースがすい星のごとく現れたという事例もありますが、属性で選ぶのではありません。

何がこれらを実現可能にするのか?

 会社員の方は、これを見て、「うちの会社では無理だな」と思い、そして、内心、「うちの会社でこれをやられたら自分は困るな」とも思ったことでしょう。困るなと思った割合は40代、50代は、それ以下の年代よりも高いでしょう。しかし、同時に、「確かにこの方法だと公正であり、しかも組織の目的にかなった選定ができる」ということも納得されるでしょう。

なぜ、こんなシンプルなことが多くの日本企業では実現できないのでしょうか?

それは、歴史的経緯(封建的な儒教文化が云々…)は別として、現代社会において、日本企業の経営者が今なお、「(本人が精勤している限りにおいては)一人たりとも見捨ててはならない」という呪縛にとらわれ、マスコミも学校もそのように扇動している「優しい日本社会論者」だからです。これを聞いた、「経営側に立った経験のない人」の多くは、「そんなことは当たり前ではないか?」と思ったと思いますが、その国民意識こそが、「目的に合致した人材を選び、目的を達成する」ことを難しくしています。

逆に言えば、こうした「目的に合致した人材を選ぶことが有効に機能して、目的を達成することができる組織」は、「合致していないひとを老若男女を問わず、評価制度や社の文化を用いて降格・淘汰することができる組織」です。
ここ1,2週の巷にあふれる組織論は、その「合理的組織の苛烈さ」から目を背けて、うわべだけの議論をしているように思います。そして、この苛烈さを日本社会に徐々に取り入れていくことで、競争力を維持しようとしてきたのが、あの寝ててくれ発言の「森政権後(小泉政権)以降」の日本の変革の本質であり、それが様々な社会不安や格差の原因でもあったことも事実です。

そのことの重みを決して無視してはいけないと思いますが、それでもなお、私はこの苛烈さは組織が引き続き継続していくためにはやむを得ないものと思っています。そうしなければ、貢献してくれた人の給与も上げられない、という今の日本企業のような組織になってしまうからです。

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