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きぼうの春

一週間前、「不況期の凌ぎ方」と題して、この記事をアップしたところ、2020年に入り圧倒的一番のアクセス数となりました。

私は、お客様の社長から「ディフェンスの人」と言われたことがあるくらい、守りに長けているのですが、だからと言って、攻めを考えていないわけではありません。私の基本的な考えは、「攻めはたまにしかヒットにならないから、まずは守りを固めて大量失点を防ぐ」ということであり、ヒットの打ち方は日々考えていますし、ホームランはなかなかないものの、多分並みの人よりはヒットはだいぶ多いはずです。それは圧倒的に人より打席数が多いからです。また、この「ホームランはなかなかない」ということも、世の中の普通のことでありそれを前提に策を組み立てることが正しいことだとも思っています。

上の記事で私は「経営者はあらゆる手段を尽くしてまず生存することに必死になれ」と言いたかったのですが、世間が目に見えないウイルスへの恐怖を感じている中で大恐慌が来るかのごとき書き方をしてしまって、心理的縮小に加担してしまったのではないか?という自責の念も公開後にありました。

前回の記事に「嵐のあと、箱舟から外に出ると、そこには違う風景が広がっています」ということを書きました。こうした「危機」の時に限って、時代はようやく本来起こるべき変化の速度を速めます。それは、「古い人が対応できない」とか「過去の投資が無駄になる」というような本来は経営判断、つまりこれからのキャッシュフローを最大化する、ということに対して関係のないことに経営者がいかに判断をゆがめられているかの裏返しであり、危機に至って、そのあきらめがつくということです。そして、その風向きの変化は、今までの先頭を走っていたヨットが、後から追いかけつつ風を先に捉えた後続に一瞬にして追い抜かれる機会にもなります。嵐の時は、前回も記載したように、新たな主役が生まれる時代の変わり目でもあるのです。そして、その変化は、実はすでにもう少し前から私たちの前にあるが、「まだまだ先」「まだまだ小さい、弱い」と思っていたものです。

前回記事の懺悔の意味も込めて続編として、その「変化」の候補を今回は取り上げてみたいと思います。

①「場所」の重要性の低下とネットで代替する動き

衣料や雑貨などの物販に関してはすでに、「店舗に行く」から「ネットショップで注文して宅配便で届く」に需要が年数%の速度で移行する流れが継続していますが、日本人の「毎日生鮮品を自分で見て買う」という習慣が壁となり移行していなかった「生鮮食料品」から「ネットスーパー」への移行や、「外食」から「Uber Eats」への流れについて、今回を機に経験者が急増しました。使ってみると、「時間が生まれて他のことができる」という価値を体感することができます。「当たり前」はこうして崩れていきます。

一方、「商談は会いに行くもの、営業は足で稼いでなんぼ」ですとか、「セミナー会場に集客して顔をお互い覚えて名刺交換して、見込み客化する」というようなビジネス習慣も今回を機に、「ネットで商談」「ネットで配信」に代替せざるを得なくなりました。しかし、「ネットで配信」に変えたことで参加者が増えた事例も少なからずあるようです。そして、やってみるとこちらも「別に問題ないよね」となるわけです。もちろん、ネット上でうまく進めるための「コツ」のようなものはいろいろあります。しかし、足しげく通うことで心を通わせるというような営業の仕方は一気に過去のものになりました。

さらに今回見られたのは、有料セミナーや見学視察の類までネット化する試みが進んでいることです。オンライン授業というのも、「公立学校以外では」コンテンツの幅も一気に広まりました。全ての対面型サービスは、この機会に未完成部分は残しつつも一旦「オンライン化」にチャレンジするべきなのでしょう。いまなら、「第一の選択肢」にならざるを得ないし、これを機会に、「コストと時間をかけて開催しなくてもオンラインでいいじゃない」という基準は顧客にも生まれていきます。また、この課金や顧客管理、あるいは撮影とアノテーションなどの支援サービスもチャンスでしょう。

もう一つ、これに関しては、都心の立派なビルに複数フロア入居して、家賃が数百万円、数千万円という有名企業にとって、そのフロア数は本当に利益を上げるために必要なものなのか?という疑問が産まれています。これに関しては、一定の答えはすでに出ていて、「方法を工夫すれば、全員が毎日顔をあわせる必要はなく、机は半減できる」のです。東京都心では、社員一人あたり月1~3万円の家賃と光熱費がかかっています。これを減らして、採用経費や成果給に回しつつ、これまで十分に取り込めていなかった小さいお子さんのいる女性を取り込んでいく、という企業が現れるでしょうし、そうなると都心の不動産は、条件の悪いところから値下がりするサイクルに入っていくでしょう。あるいは、大企業でも少フロアしか借りない時代になると、ビルの営業の仕方、価値の上げ方も変わってくるはずです。ビル事業者が「コラボ」の仕掛け人となり出勤のインセンティブを生み出していくようなことも起きるのかもしれません。

②「コラボ型」「コミュニティ型」業務進行マネジメントとツールの勃興

何しろ、「一斉に一か所に集まらないでくれ」と世界中で呼びかけられているのです。それでも仕事やグループ活動は全部止まるわけではありません。時間や場所を分断されながらも、一つの成果物に仕上げていくという作業が急増しています。これらを補うものはテレビ会議だけではなく、ドキュメントの目次と分担、進捗、コメントや改訂意見などを一元管理しながら仕上げていく、というネット経由での仕事の仕方が急速に広まりつつあります。

プログラム開発の世界では東京都が情報開示サイトのソースコードをGitHubに公開し、これを各県が流用したり台湾のIT担当大臣が参加したりしたことが話題になりました。プログラムの世界ではバージョン管理というのは古くからの難問でこうした版管理は昔からされているのですが、それにWiki風の意見集約の仕組みを入れることで飛躍的に改善速度を増すことができる事例がみられるようになりました。

これは、通常のドキュメントでも本来同じはずで、全部できてからレビューして、なんだか納得いかないな、と思いつつも部分改訂意見をいうというのがこれまでの多くのやり方でしたが、本来は、計画レビュー、中間レビュー、最終レビューのような形で断続的に意見集約が行われるべきものです。これを可能にするツール自体は少し前からGoogleのドキュメントツールなどで発展してきているのですが、今回を機会にツールも、それの運用ノウハウも急速に発展することになります。

③4大メディア、特にテレビの地位低下と「プロが発信」する時代

新聞はもう信頼も購読者数も瀕死の状況となっていますが、加えてテレビの信頼と必要性の低下も今回顕著に見られました。それに対して、ネット放送やネットでのコンテンツの無料公開などがあいつぎ、「体験者」を急速に増やしました。

また、今回の新型コロナウイルスへの対応でも、行政機関や行政にて医官として現場の調査や対応指導に当たっている主として各県で活躍されている方が正確で論理的でわかりやすい情報を発信しており、明らかにテレビや新聞よりも早くて正確でわかりやすいし、収集に時間もかからないものでした。テレビの情報番組は3分で伝わる内容を全く意味のない情緒論を大量に混ぜ込んで一時間を無理やり埋めて製作費を抑えている存在であることに特に若い層は飽き飽きしている(だからといって製作費をかけて作れるほどもう広告費がでない)し、テレビのドラマはありきたりで革新はNetFlixなどのネットチャンネルからしか生まれないことが皆に分かってしまっているのです。

ネットは玉石混交であり、嘘も千回言えば本当になってしまう世界ではありますが、それでも「信頼できるプロ」が直接情報発信することが容易になることで目利き力や資金収集力の低い既存メディアは役割を失いつつあり、「番組表」のような時間に制約されることもなくなってきています。誰もが発信者になりうる時代は、忖度や隠ぺいが難しい世界を実現しつつあり、データや論理を整備することと、それの正誤を見抜く力が重要になります。

と難しいことを申しましたが、個人的にはここ最近、ストリートピアノを弾きならしてYoutube上で視聴者を集める音楽家の演奏を仕事の合間に聞くのを楽しみにしています。これも、「音大卒」「有名な先生に師事」「●●ホールを満員にした」というような既存秩序に乗れなかったが、音楽が好きな努力家が自分の腕でファンを集め広告収入やゲスト出演の機会を得て世に出ていっているものです。YouTubeというとバカげた行為をして眉を顰められるようなYouTuberが選好してしまい高齢層からはイメージが良くありませんが、このような「巷間に埋もれているプロ」は各分野にいるものであり、民主的なチャンスが与えられる場として今後は正常進化を遂げていくだろうと思います。それは、社会の「政権」と「メディア」が融合して形成していた「権威」の消失速度を速めることでしょう。

④「強い」国内生産への回帰

こんなに短期間に世界の人とモノの交流が分断される、しかもそれが戦争ではなく疫病で、というのは私も正直従前には見落としていたリスクでした。他国との間だけでなく、地域間の交流すら停滞しており、まるで鎖国と封建体制であった江戸時代に逆戻りしてしまったのような錯覚に陥ります。

弊社のお付き合い先でも期末の販売在庫が中国から入ってこず、急遽国内と台湾での生産に切り替えて対応した事例がありました。これは大量とはいいつつも、トラック2台分の分量程度であるからできたことではあるのですが、日本の中小企業の海外生産には1ロットがこの程度の規模のものであることがよくあります。これは現在中国やアジアの主要国では、「大量受注」とは到底いえない、「小さいのに面倒な要求ばかりしてくる注文」になっています。中国での生産コストはこの15年、20年徐々に上昇しており、生産管理のための出張や輸送費、国内牽引や不良交換コストなどを合わせると、国内生産できる場合には実はさほど大きな差がないことも増えてきています。コンテナ数本に及ぶ大規模生産はやはり国内では実現不可能なことも多いのですが、中~小ロットではそんなにお得でもなくなってきている中国生産を、労務費価格が低迷し続ける国内に一部戻していくことはこの機会に増えていくことでしょう。

もっとも国内生産は、設備レベルが多くの場合中国よりもはるかに貧弱であり、実は最新機器を活用した生産知識も弱いケースが多く、「投資したもの」「新しく人を取って教育したもの」がそのパイを総どりすることになるでしょう。決して、革新に出遅れた多くの町工場にとって良いことばかりではないでしょうが、一部で成長する町工場が出てくる可能性は高いでしょう。

⑤「個」への対応

何しろ、「人と狭い閉鎖された場所で長時間対面対話するな」というのですから、仕方ありません。一人で何かをする機会は増えています。食事であったり、何かの鑑賞であったり、あるいは旅行であったりです。食事も旅行も、一人では割高だったり、あるいはセッティングが不自然で楽しめなかったりすることが今までの日本では多くありました。

最近では、ひとり焼肉チェーンがヒットしましたが、そもそも一人で飲食や旅行を楽しめない現状の仕組みは大きな機会損失なのではありませんか?宴会の時代からグループ、2人の時代を経て、1人で楽しむのもまた時代の流れです。おひとり様歓迎で十分楽しめる仕組み作りは利益率の改善や設備稼働率の改善にもプラスにすることが出来そうです。

⑥公衆衛生の改善

今回、行く先々で手のアルコール消毒を要請され、喫茶店では1時間置きに塩素系消毒剤でテーブルや椅子が丁寧に拭かれる光景に、若い人の適応力は本当に素晴らしいと感心しました。日本が貧しかった時代を知る私からすると、この衛生観念の向上は、「人類の進化」とすら思います。これからはこれが日本のスタンダードになっていくのでしょう。

私も今回知ったのですが、実はこうした衛生管理には、手袋のつけ方外し方に始まり様々な方法論が存在しており、ツール、薬剤もあるわけですが、これをこれから数年は家庭や職場で運用訓練し定着させていくことになるわけで、これらを便利することや教育や試験点検の仕組みなどが今後は急速に必要になっていき、ITとならぶ、「現代人の素養」になっていくのかもしれません。

以上、6つほど「きぼう」の種を紹介してみました。もちろん、何もしないでその種から果実を得られるわけではなく、生き残り、変革に挑戦したものだけがそれを手に入れられることはいうまでもありません。

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