名著「失敗の本質」には、日本の組織の持つ意思決定の歪みの事例が、旧日本軍の意思決定メカニズムをトレースして細かに分析されています。国内外で数百万人の命が失われるという太平洋戦争の惨禍があとには残りました。今は中公文庫で読めるようになりましたので、ぜひ一度お読みいただきたいと思います。
同書の中で、責任の不明確(天皇の名を借りた責任回避)、兵站の軽視、データの軽視など同著の中で指摘される日本的組織、それ以前に精神構造が「戦略遂行」に適さないことがこれでもか、とさらけ出されます。その現象はそのまま、現代の日本の企業組織の機能不全にも見ることができ、そのために現代においてもなお、名著と呼ばれているわけです。その中の重要な一部が、今回のテーマである「戦力の逐次投入・分散投入」です。
兵は集中し突破すべし
経営を考える時、どの課題にあたるにしても、それなりの難しさはあるわけです。それを、経験のない経験者は「みんなそれぞれガンバレ」と言いますが、それではその多くの戦線で敗退します。戦略達成上重要性の高い目標から順に戦力を集中し、つまり、重要性の低いものから戦力を取り上げて移動させて突破にあたることが鉄則です。
ランチェスターの法則と呼ばれるものがこれであり、銃砲類をもちいた近代戦では、少しの戦力差が大きな結果の差となることが知られています。それが白兵戦や空中戦だけでなく、経営でも当てはまるのか?と言うことについては、現代の経営において「戦力」を的確に数値化することが困難であることからして証明することは困難であるのですが、私自身は考え方として大変よく当てはまっており、当初から問題に対処するのに十分を越えた戦力を投入しないと、その個所から破綻をきたすものであり、それゆえに中小企業は、むやみに戦局を拡大するべきではないと考えます。
また、問題が起きた時に、問題が解決されることを期待して最初は現有勢力のみで対応して、相当状況が悪化したら、他の部門や経験者が少し応援し、やがて社外含めて騒動になってから「社を挙げての対策プロジェクトチーム」を発足、というパターンをよく見ますが、これが表から見えている時点で私はそこのマネジメントは機能していないと捉えます。本当にちゃんとしている会社は、表に出る前に、必要な、そこそこ大きい戦力を機動的にその戦局に移動させて一気に収束させています。
しかし、こんな簡単な歴史が証明している真実をなぜ、経営者は実行できないのだろう?ということを考え、そこに対処して経営者の躊躇を取り去ってあげることが弊社の仕事なわけですが、老若男女の経営者と話しているとそれが決して容易ではないことを実感しています。
なぜ躊躇するのか?
こうした経営者の躊躇には、いくつかの原因が見られます。その中には、経営者の「理念・信条」に絡む部分もあり、撤退を難しくしています。そして、それは上のご紹介した書籍「失敗の本質」の日本軍の失敗に出てくる場面と全く同じです。シンプルに資質不足と言うことから難しいものへと順にご紹介します。
- 「今やっていることを止めて、こっちをやれ」といった時の担当者の反発が怖い。嫌われると仕事ができにくくなるのが怖い。
→これ、ばかげていますが意外なほど多い理由です。もちろん、本人は別の理由をいうのですが。泣かれようが反発されようが、資源配分はリーダーの仕事だという覚悟がない人がリーダーになった悲劇です。創業社長よりも、下から役員に昇進したような人に多いですし、社外から来た(プロ経営者と呼ばれるような人ではない)役員にも多く見られます。
好かれようとしてはいけない、正しい選択は一部の人には過酷な選択となる、という孤独に耐える覚悟がない人はリーダーには向きません。
- 実際に目の前の問題を解決するための手順や手段、それに必要なスキルレベルや資源量がわからないまま、判断をしている。
→問題がどういう構造をしていて、どこを解決しなければならないか?そして、そのための資源が今の投入で足りているのか?あるいは社内資源で足りているのか?を短時間で的確に判断するのは、決して簡単なことではありません。知識(類似の経験のことが多い)も分析力も必要なことです。これを補うのは、おそらくは、シビアな場面を切り抜けてきた「場数」と「論理的な分析・思考」の両方であり、マネジメントのスキルの本質であると思います。
- 「言ったことは現実化する」言霊信仰的呪縛
→これは比較的高齢の経営者では多く見られたのですが、若い方でも「信念」「理念」を強く唱えるタイプの経営者には見られます。強く念ずれば叶う、わけがないのですがその意思を崩しては実現しないと自分を束縛し意思決定の幅を狭めているのです。当然、撤退も、一基の戦力投入もしにくくなります。
- 「一人も犠牲にしてはいけない」という思い込み
→これも「道徳」がそうさせているのでしょう。社員を大切にすることはありがたいことですし、社員の信頼を得て事業を進める上で必要なことです。しかし、会社が存続していく上で、事業撤退や事業譲渡、縮小に伴う人員削減や事業転換が起こらない会社などめったにありません。そのたびに、「犠牲」は生まれます。全滅よりは一部の犠牲を選ばざるを得ないし、その「犠牲」が「弱い人」になる(そうしないと「強い人」を残せない。)のも当然のことです。
その「犠牲」を最小にするためには、早めに決断し、早期に大規模に戦力投入した方がよい、と思うべきです。
- 自分が今まで価値があると思ってきたことを市場性や人材確保などの面から、このままでは実現できないと認めることができない。
→前4つが「能力」の問題であるならば、これは、むしろ能力のあるリーダーが陥りがちな「独善」の問題です。多くの経営者は、うまくいかないことを「やり方の問題」であり、「試行錯誤を繰り返すことでゴールに近づける」と勘違いしています。現場にそのように指導することは否定しません。
しかし、成功するかどうかの大部分は、その以前に、「どの市場を選ぶか」と「誰にやらせるか」で大勢が決していて、ここで勝ち目のある選択をすることがリーダーの仕事です。始めた事業が1年、2年経っても全然ダメな場合、リーダーがやるべきことは試行錯誤ではなく、撤退するか人を変えるかです。
そんなことを言ってはそのプロセスを改善するような(〇〇ツール、〇〇オートメーション等)サービスは売れませんので、誰もそんなことを言ってはくれませんし、多くの人が道徳感として「努力を積み重ねればゴールに至る」を正しいことと信じているために、この誤解は強固に守られています。しかし、それは大抵正しくありません。(この場合の「正しさ」とは「最短で収益や市場シェアを確保する」ことです。)現場が頑張ってどうにかなる要素など実はそれほど大きくはない。リーダーの戦場の選び方と戦力の投下量でだいたい結果は決まっているのです。
- 資源の有限性を認めることができず、人的資源、自分の時間、金銭を多くのものに配分しようとしてどれも不足する。
→これも多くの「優秀な」経営者に見られる現状です。似たような事例で、全部なんてできるわけがない課題コミットメントを提出する部長がよくいますが、そういう場合、「それでお前はどれを止めてその資源をねん出するんだ?」と言ってあげるのは経営者の使命であり、それはその場で経営者が決めなくてはならないことです。
特に経営者が有能でバイタリティ溢れる方の場合、自分は万能で何でもできるという思い込みがあり、さらには自分の選んだ、多くの場合自分に似たサブリーダーも自分同様万能であるかのような錯覚をしています。しかし、そのサブリーダーもリーダーの前でそのように装っているだけで、実際にはそこまで100%の自己犠牲を会社に払ってくれるわけではありませえん。家族や友人との間で資源配分をしているのであり、それはすべてを投じるオーナー経営者とは明らかに立場が異なります。
もちろん、時間もお金も有限です。なのに、「どうにかする方法があるはずだ」と躊躇している間に、さらに戦局は悪化します。そういう問題ではなく、「資源が(質的に量的に)足りていないし、それは簡単に補充できない(中小企業は特に)」のです。
経営者を見ていると、事業を大きくできる人は、必ずしも、個人として「仕事ができる人」とは限りません。むしろそうではないケースの方が多いようです。それは、なぜなのか?というと、こうした「自分と他人に対する諦め」を前提に組織運営と意思決定ができる人とできない人の差なのです。経営者とは何か?という本質に対する理解、あるいは教育がないことがその背景にはあると私は考えています。