関西電力と高浜町のやり取りには、憶測やら失笑やらがニュースやSNSで盛んに流れています。ここ数年会っていないので、こんなタイプの人がかつては会社の上の方や地方の実力者にはたくさんいたことを私は忘れてかけていました。
こんなタイプとは、接待漬けにして弱みを握るようなことをして、それから蛇が巻き付いて相手を締めあげるようなやり方をするタイプの営業型の人間です。特に個人向け証券営業や、大手広告代理店の営業などでこの手のタイプの人が15年ぐらい前まではたくさんいて、しかもそこそこ出世していました。そうはいってもそういう人は大組織のトップにはやはりなれないので、子会社役員ぐらいで65歳までの上がりポジションを務めるわけで、そういう人とそういう人が連れてきたそういう人のお世話係に仕えたことが何度かあります。
今ではあまり見ることがなくなったマネジメントスタイルがこの世代の「たたき上げ」には他にもいくつかありました。たとえば、自分のいうことを聞かせるための「人身御供」的手法。自分のやり方に従わせるために、真反対のやり方をする人間をつるし上げてそれを衆目に晒して、恐怖から大衆を従わせるというやり方です。そういう手法が落下傘役員には必要だと私に教え諭したつもりでいた地方出身の役員もいまして、その後仲たがいして私がその「人身御供」になったこともありました。
それまでいた大組織で自分が通用させていたルールを、子会社ごとき、それも20歳も歳下の役職者に、冷めた目で距離を置かれることに彼らはいら立ち、違和感をあらわにし、怯えていました。
飲みニケーション(会社のお金で)というのも、この一種でしょう。そこで話を聞くのではなく、自分のやり方に従わせるための一種の監禁、洗脳を行うわけです。若い人にこうしたスタイルが嫌がられるのはそりゃ当然でしょう。
彼らは知識や技術や学歴やらに引け目を感じ、パソコンは苦手、文章も書けない、そういう層が人を従わせ、畏敬されるにはどうしたらよいか?という時に、自分の知っている自分のやれるパターンがこれしかなかったのです。
まだ戦前教育を受けた、体制への盲従を是とする親に育てられ、そうした文化が色濃く残る地方出身の層がこうした私が仕えた人たちでした。その世代のエリート層はそれに反発し安保闘争、学生運動などへと走り、非エリート層はその旧軍スタイルから抜け出せなかった世代でした。
今回の助役はさらにその上の世代で、すでに亡くなられているとのことですが、私が仕えたこうしたスタイルの元上司もすでに現役を退いて長くなりました。もうこうしたスタイルは消滅したのかと思っていたのですが、それでも一部の部活やスポーツ団体などで時々こうした問題が噴出しています。いずれも、「考えずに従え」というスタイルしか知らない、不勉強な指導者がそれを強制することによって生じている問題です。自分がそういう風に傷づけられてきて、それしかしらないので、それが正しいと思うことで自分を守り、そして自分も下の世代にそうすることで、自分を正当化する、という世代間の継承が一部にはまだ残っているのです。
私たちは、そのような硬直的で恐怖により思考を奪い去る集団統率が、成果をだすという観点では決して良い方法ではなく、分析的、逐次改善的であり、課題に対して多様な解決策を集めるスタイルを進んで学び、それを伝えることにより、こうした20世紀の残滓を洗い流していかなければなりません。
今回のニュース…くだんの助役は、すぐ激高して恫喝したと言います。多分、今の若い人なら「SNSに晒す」ことで自分の正義を守ることでしょう。昭和のマネジメントスタイルを無力化したのは、多様な価値観の認め合いと発信力でした。
今つるし上げられているサラリーマン社会の頂点に立ったはずだった人たちは、蛇のような男に巻き付かれて身動きが取れなかったと言い訳しますが、そうではないでしょう。巻き付かれていたのは男にではなく、盲従を是とする古い体質の企業文化に、です。世の中は大きく変わってしまったのに、会社は、幹部は変わらなかった、その歪はいつかこうして組織の破断を起こします。会社が大きくて古くて、事業が堅牢であればあるほど、こうしたリスクを企業は内在してしまうのです。
そして、歳をとると前脳が変化を受け入れにくくなり、自分が正しいと主張しがちになります。関電、日本郵政、ここまで呆れられていても内輪の論理をまだ言い続けるのは、時代に学び、変化を知ることができない以外に、自分の衰えを知ることができない人の姿を垣間見るような気がしています。