Episode7 社長室にて
200億円企業の三代目オーナー社長に、一介の30歳若手社員が直接プレゼンすることなど、そうそうあるものではない。Aは自分でも何を言っているか分からなくなるような緊張の中、渾身の説明を続けた。K社長は、大げさに「ふん、ふん」と相槌を打ってくれているが、表情は一切変わらないことが余計怖かった。一通りの説明を終えると、K社長は、言った。
「で、やれるんか?」
「あっ」
「おもろいやないけ。やってみようや。」
この人は東京人なのに、なんで関西弁なんだろう?必死で考えなくてはならない場面なのに、寝不足のせいか余計なことが頭に浮かんでは消えていく。
「数字ばっかいじっとってもしゃあない。そんなもん、机上の空論や。でも、営業はそうやないで。たとえば、ノルマや。どう設定してどう達成金はらうんや。積み重ねれば会社として偉いことになるっちゅうんはわかったけど営業にはそれじゃあかんねんで、わかっとるやろうけど」
「実はそれについても、社長にご相談がございます。この「ストック商品」の評価は、「当月の獲得した将来収益額」と「継続率」を50%ずつという評価にしたいのです。」
「その将来収益ってなんやっけ?さっき聞いたけどなんとなくしかわからんかった」
「はい、簡単にいうと、平均的な継続期間の場合の総売上の現在価値です。」
「つまり、3000円毎月入って来るのが12か月継続するんだったら、36000円で評価するということか?」
「そうです。詳しい定義は省きますが、解約率が少し上がると平均的な顧客の生涯価値は大きく下がります。」
「で、継続率、というか解約率が大事というこというんか」
「そうです。そして、大事なのは、売ることではなく、継続して使ってもらう、ということを徹底したいということです。それは金銭的にもそうですし、この事業を当社がやる『意義』であるからです。」
「わかったゎ。でも、解約率をごまかされると、本人高い評価貰っておいて、会社は何年か先に大きな誤算を生むことになるわな。それはどうやって防ぐんや」
「まず、解約率を元にした将来収益額は、半年に一回、直近の全社平均で洗い替えします。その時、プラスになる時もあるし、マイナスになる時もあるでしょう。その全社平均の解約率に対して、個人別の解約率がどのくらいプラスかマイナスか、ということをもう一つの評価としますが、これは通常の人事評価と同じく四半期ごとに追跡します。それでも集団でごまかされてしまう恐れもないわけではありませんので、解約率の偽装は、架空売り上げと同じ賞罰規程を適用する、つまり懲戒解雇の可能性のあることと規程してください。」
「まあ、制度はそんなもんやろな。でも、どうやって売ってくれって、営業は全国の販売店さんにいうんや。」
「それなんですが…獲得して入金が始まって5か月後に、5か月分の利用料金をインセンティブとして支払う、という制度にしたいと思っています。」
「6か月間経費だけ掛かって、粗利0かいな、あほらし」
「しかし、この方法で積み重ね、かつずっと使い続けてもらうようなことができれば、わが社は大きく成長することができます。この図の青線のような感じです。」
「5億、お前に貸せ、言うんやな」
「社長…」
「ん?」
「社長は、本当はお分かりなんですよね?このビジネスモデルのこと。」
「わしは、おきゃくさんを大切にして、仲良くなって、いつまでもお取引したいって思っただけや。息子の代までな!」
(やっぱり、わかっていたんだ…)
「ほな、明日からやってみ!サブスクリプションビジネス推進室長や、お前。ほかに何人かいるか?」
(サブスクリプションって社長…知っとるやん)「できれば、当部のN美を一緒にやれるようにしてください。今回の検討の半分は実は彼女がやってくれたんです。」
「課長に聞いとるわ。言ってあるから、ええで」
Epilog 「すこしずついい会議室にバージョンアップさせていく楽しみを」
それから一年、A部長率いるサブスクリプションビジネス推進室は、苦しみながらも、何とか計画の8割レベルを達成していた。ある日、A部長は最年少課長となったN美と一緒に、地方の古い事務用品店を訪れていた。そこは、全国でも有数の家具の月額利用料金制度の導入実績を実現した、Aたちにとっては、大恩人の会社だった。
「素晴らしい導入実績を出していただいて、本当にありがとうございます。今日はお礼に伺いたかったのと、もしよろしければ、どんな風にご提案しているのかを少しでもお教えいただけないかと思ってお時間をいただきました。」
販売店さんの社長は、穏やかな笑顔で語り始めた。
「ホントは要らんもんを押し込むような営業なんて誰もしたくないんです。若い人がみんなが辞めていくのは、売れないからではありません。要らないものを売るのが良心が痛むからです。だから、このサービスが始まったとき、私は思い切って『返品が発生してもよいから、提案したいきれいで便利な会議室を提案しろ』っていったんです。そしたら、みんな一生懸命慣れない絵をかいたり写真をとったりし始めたんよ。で、毎月すこしずつすこしずつお客さんの会議室を変更していった。あいつらはそれをバージョンアップって言ってる。それだけ。そして、それが一番大事だってことだな」
Aは、いままでやってきたことが報われたと思い目頭が熱くなった。ちらりと見やったN美も泣きかけだった。そんなAに社長さんは容赦なくいった。
「お願いがあるんだけど、これだけ売ったんだからさ、うちにも毎月の利用料金の1%をストックでください。最近の御社の業績のことは代理店会でKさんのお話にあったから知ってるけど、うちも御社の恩恵にあずからせてよ、やることやったんだからさ」
当然の要求だったが、まったく準備していなかった。この仕組みのメリットがどのように発生するかはやってみて計算してみればわかることだ。
「社内で検討して2週間以内にご報告します。」
そういうのがやっとだった。そんなAに助け舟を出すかのように、そこの社長はいうのだ。
「実はね。もう一つ、うまくいくのに役立ったことがあるのよ。それはね。職場の植物の月額料金制度を植木屋さんに協力してもらって、これを導入したお店に合わせて提案したの。こっちもそこそこ行けているんですよ。これも、「いい会議室に必要だ、といううちの営業の発案で始めたこと。これ、逆に御社で展開していいよ。うちにちょっとだけフィー落としてもらうけど」
「答えはいつだって現場にあるんや」
K社長のどや顔を二人とも思い浮かべていた。
(完)