人は誰しも自分を他人よりもよく知っていて、そこを基準に判断を行うものです。そして、その自分の性格や考え方の傾向は、その人の家庭環境や生育環境、あるいは歳をとってからは仕事をしてきた環境や成功や失敗の体験を色濃く反映しています。そのため、人はみなそれぞれ異なる情報を持ち、異なる思考パターンを有します。これがチーム内の各メンバーであるならば、それは「ダイバージェンス」として多様な視点を取り入れた経営に生かすことができます。
しかし、経営者はどうでしょう?大企業ならば、まだ(そうではないケースが実際には多いのですが)一つの判断に対して取締役会で社外取締役を含めきちんとしたチェックが行われることが期待できます。歴史ある大企業では、それがまた問題になる場面もあるのですが、欠点の目立たない総合的な判断力の持ち主がボードメンバーに選ばれる傾向があるように思います。それに対して中小企業はどうでしょうか?多くの従業員の生活水準に責任を負いながら、重要な判断を一手に担う中小企業の経営者の判断がもし、フラットな視座から判断がされない状況になっていたとしたら、経営の危機に直結するとても危険な状況であり、しかもそれを周囲が止めることはとても大変です。知る限り、奥さんしか止められない、というケースが多いように思います。
経営者に限らず、人は誰しもバイアス(偏見)をもっています。それぞれ、多少なりとも「認知のゆがみ」を持ちながら、優れた経営者は自分の傾向を理解して、判断に当たって修正の必要がないかを自己チェックし、そして他人のチェックを積極的に用いています。ただ、そうではない、危険なケースも過去にはいろいろ見てきました。そういう会社はだいたい急激な縮小や事故的なことにそのあと見舞われている。
実は私、20代の頃、入院歴がありまして、その時「認知療法」というのを「認知の先生」について、1年以上にわたり徹底的に「訓練」されました。私の場合、「また悪いことが起きるに違いない」と根拠のない悲観に陥るという傾向が一番強いゆがみです。また、最近ではこれはほぼ克服するに至ったのですが、「0-100思考」(all or nothing)に陥り、中間レベルにとどめて置かずに100でないものはすべて壊してしまう、というような傾向が非常に強くありました。
まず、最初に全部列挙してしまうと、主な認知のゆがみというのはこんなものです。これはこれらの研究をまとめたバーンズという心理学者が本にまとめたもの(末尾にご紹介します)で、大変有名なためいろいろなサイトでも掲載されています。
私は仕事をするにあたり、これらを常に意識して自分で注意してきました。でも、たとえば4の「マイナス化思考」はまだまだ自分でも陥りがちだな、と思うことが多くあります。それぞれ簡単に事例と経営者が注意すべき点というのを御説明していきたいと思います。
1 全か無かの思考
オールオアナッシングの思考で、白黒つけないと気が済まない。そして、うまくいかないならば全部捨ててしまう、というような行動をとる経営者がいます。たとえば、よく営業系のリーダーで「達成率99%でも不達成に価値はない」という言い方をする人がいます。そのくらいの覚悟をもってやれ、という意味と思いきや実際、本人もそう思っていて、惜しくも達成でも怒り狂い、社員の評価を悪い点をつける、というような人が意外に多くいるものです。確かに公開企業のIRの面では計画の101%か99%かは投資家の見方は全然違うというのも事実です。それは投資家が織り込んでいた以上のプラス要素を投資先に求める行動原理をもっているからにすぎず、自分がそれに引きずられる必要はないはずです。投資家は従業員と同じく関係者の一つでしかありません。惜しくも不達成は反省すべき点はあるにせよ、得られた成果、そしてその過程で得られた実力向上や知見もあったはずであり、それらを棚卸し不足物を補えるのか?そしてこれからどうするのか?の「話の続きを書き始める」のが経営者の仕事のはずです。それで投資家があなたを重任しないならば、それでよいではないか!と思い切ればよい。(私はいつもその勢いなので、あちこち放浪してしまうのでしょうが)
似たような行動で「不達成だったらその業務分野から撤退する」、という行動も見たことがあります。撤退するかどうかはその市場での今後のシェアや自社の資源の集中方針、競合の状況、それに現在の競争力を合わせて判断すべきことであり、勢いで行ってしまってその言葉に縛られてそれをやって、気づいたノウハウや情報ネットワークの今後の使い道も考えない、というのは、この傾向を持つ経営者にありがちです。それは他のゆがみとも相まって、得られたものすら無価値と思い込んでしまうのです。「成功と失敗の間にはグラデーションがあるのです。」というのは、私に認知療法を施してくれた佐野先生が毎回口にしていた言葉です。
2 行き過ぎた一般化
経営は常に不完全な情報で判断を下さなければならないわけですが、これを誤って意識しすぎると、あるパターンでうまくいかなかったから他のパターンもだめだろう、という認知パターンに陥りがちです。そして、「今時の消費者はこうだ」と非常に形式的で一般的な思い込みから判断するようなことが多くなります。部下は影で「あの人はこう思いこんでいるから」とささやきあい、それに合うような意見、話しか持ってこなくなります。
1の「グラデーションがある」になぞらえて言うならば、「市場は、細かなセグメントの集合体であり、セグメントはそれぞれ異なる特性を持っている」のであり、ある個所での失敗は、他の個所での失敗とは少ししか関係のない事象です。言われてみれば当たり前のことですが、それが長年プレッシャーにさらされているとその柔軟性を失ってしまい「ゆがみ」が頑固に定着してしまうのです。行き過ぎた一般化では、「あいつはいつもこうだ」「僕はいつも振られる」というような例がよく上げられます。それが経営者の場合、個人対個人ではなく、会社対市場、会社対従業員、会社対取引先 というようになり、市場、従業員、取引先が多様でしかも変化する存在であることを見失います。たとえば、こんな例がありました。
「あいつは俺に服従しないで、なんか一言多い。俺のことをバカにしている」→「あいつは俺の意向の反対をやる」→「あいつは中国の子会社のコストを上げようとしている」→「一人当たり平均コストが上昇しているのは、あいつが中国人の給与を勝手に上げているからだ」→「その子会社ごと捨ててしまえ」
これは実際に上場連結子会社で起きた事例です。
3 心のフィルター
同じ現象であるのに、フィルタを通すと、悪い情報ばかりが見えてしまうゆがみです。たとえばコールセンターで電話をかけるとします。そうすると電話に出てお話しできる人自体が100人に2,3人、そのうち、具体的な話ができるのは1人以下しかいないというのが多くの業務の実情です。この時、「99人は話を聴いてくれないが、一人ぐらいは聞いてくれる人がいる」という事実を、心のフィルターを通すと、「99%切られる。自分はダメな営業だ、首になってしまう」と思う人と、「100人に一人でも聞いてくれる人がいるなら、その人を見つけるまで頑張って、その人に心を込めて接客しよう」と思う人がいます。そして、後者は「一日300件かければ3人ぐらい聞いてもらえるからなんとかなるだろう」と思うし、前者は「もう辞めたい」と自分を誘導するのです。コールセンターは大変な仕事です。私も音を上げてしまいました。そんな中で実績を上げられる人は、こういう「図太さ」を健やかに持っている人です。
経営を管理する側でいうと、ある断面での経過成績を見て「今年の新人は質が良くない」といって表を投げ返すような役員がいます。確かにその報告された実績状況は到底お眼鏡に叶うものではないのでしょう。しかし、たぶん同じ母集団から同じ方法で採用していると多分去年と今年の質はそんなに変わらない。たぶん来年もそんなに変わらない。その中でやや足りていない個所と、そこそこやれている個所、あるいは個人別にもそこそこいけてる新人とやれていない新人がいる、というのが事実なのに、そのごく断片的な情報を見て判断して、宝の山を放置してしまうのです。これは、「手短に報告しろ」「結論だけ言え」というようなデータに対するリテラシーの低い管理者に多い傾向があるように思います。
4 マイナス化思考
「マイナス思考」ではありません。「マイナス化」というのは、物事を本質以下の価値に引き下げて認識してしまう傾向です。ある程度うまくいっている時には、「まぐれだ。いつもこうはいかない」と思い、うまくいかない時は、「まただめだ、いつもこうだ」と思うような傾向です。これって、日本人の美徳のように言われますが、発言がこうなのは外部向けにいいと思いますが、本当にそう思っていると、判断がゆがみます。確かに失敗の方が回数は多いのです。でも、それは「明らかな成功」を成功の基準としているからです。私自身がこれについてあるお世話になっていた弁護士の先輩に言われた言葉があります。「会社はつぶさなければ大成功!」(でも、そのあと潰してしまったんです。)
5 論理の飛躍
これは日本の経営者にとても多い。特に多いのは、「心の読みすぎ」という現象で、「あいつに聞いてみようかな、でもあいつこういうタイプだからたぶんダメだろうなあ」と考えてしまい自分で結論を出してしまうような傾向です。そんなこと言っていないでその場で携帯電話かメールで「忙しいところすいませんが、こういうことをお願いできませんか?」とぶつけて断られたら、「ダメだった」と納得するぐらいでよいのです。そして、その人のその時は都合が悪かったか、ニーズが合わなかったか、であり、また別の機会に別の要件は遠慮なく言えばよい。ただ、相手にニーズを考えることはもちろん必要です。
一寸長くなりましたので、一旦ここまでにして続きはまた来週に書こうと思います。
実は、この項目、分かりやすく会社での失敗例に紐づけて書きましたが、「いいこと」として教わってきた、という感じを持つ方はいらっしゃいませんか?日本の多くの教育課程~学校でも家庭でも~では自分はダメな存在、小さな存在である、他人を優先し自分は数に入れない、他人に迷惑になるようなことをしないと思うような教育がされている傾向が外国に比べて強いように思います。その結果、日本では管理者でも、このような経営判断には適さない「誤った道徳観」に根差した判断をするゆがみを持つ人が多くいる、とくに学校の成績がよい「いい子」に多いように思います。実は私も家庭でそのような教育を受けて育ってきてその傾向を克服するのにいまだに努力が必要な状況なのだと思っています。他人の迷惑を考えないことを推奨するわけではありませんが、仕事は自分の要求を他人にぶつけて反応を見る、ということの繰り返しであり、そこで相手の反応をフラットに正確に受け止めないで、誤認していたり、あるいは反応を見ること自体を辞めてしまっては当然実績は上がりません。
成功しているリーダーの方で「おれ、バカだからさ。あれこれ考えるよりも行っちゃう。やっちゃう。電話しちゃう。そのあと見てみてかんがえるのよ~」という言い方をする人がいますが、これは全然バカではなくて、まず反応をぶつけてみて、それをフラットに判断する、という本質を言われているのだと思います。
なお、今回は、経営者「個人」の傾向に関するお話です。本稿で思うところがあり、専門家に助言を得たい、と思う方はためらわず、「心療内科」や「精神科」で、特に「認知療法」について知見のある医師、専門家にご相談することをお勧めします。誰かに話を聴いてもらうだけでもだいぶ気が楽になるのですが、その時にその「聴く」専門のトレーニングを受けた方であることはかなり重要なことです。(私に言われても、私も責任を持ちきれないので、「一緒にお近くの専門家に行きましょう」というのが最大限の協力です。)
また、「認知のゆがみ」については詳細については、デビッド・バーンズ(私もこの人の本を専門医に読まされました)の「フィーリンググッドハンドブック」という本(日本語訳は元防衛医大の野村先生が翻訳)がこれに詳しいです。