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POSシステム刷新

前回、記載の家電量販店。ある事件をきっかけに急激に力を落としました。今日はそのお話です。

ある年の春、POSを入れ替えるらしい、という情報を聞いたのがその最初の兆候でした。やがて、ニーズのヒヤリングの場が突然設けられたのですが、私たちMD陣も特にITに詳しいわけではないですし、よく検討したわけでもないのでその場の思い付きで、「在庫状況がリアルタイムに見たい(すでにほぼ完全な単品管理がなされていたが、在庫状況は汎用機のバッチ処理で翌朝、連続紙の山となってバイヤー陣に届けられていた。)」「売上がリアルタイムに本部で知りたい。(店舗では当然店長は逐次わかっているわけですが)」というような意見が出て、「仕様に盛り込む」というような話がされたわけです。 私は、別に紙で翌朝でも全然かまわないし、本当に売り上げ状況をリアルタイムに知りたいことなんてなかったのですが、会社の幹部の先輩たちがそういうので、そんなものかと黙って聞いていました。

それから数か月がたち、夏も終わりに近づいた頃、新POSは11月の下旬に全店一斉に入れ替えが実施されるとの連絡がありました。それはその会社としては乾坤一擲に近い新店(結果としてその会社にとって最後の出店)のオープンセールの前の週でした。我々本社人員も店舗の担当者も実物を見たことがまだありませんでしたので、その時には「期日を決める前にお店の人がテストするとか、練習するとかいうのはどうなっているのですか?」というような言い方で朝礼時に発言したのを覚えています。その時の商品本部長は、さらりと「今のS社の保守が切れるので、期日はその前と決まっている。」といいました。後になってわかったのですが、大手家電メーカー系の従来のPOSの保守費用が高い、というので後述のカスタムメイドのPOSを導入すれば、保守費用が大幅に安くなる、ということが、どうやら更新の最大の理由であり、そのメーカー系にどうやら啖呵を切ってしまっていたようなのです。そのほかにも古びた汎用機でのバッチ処理など確かにコスト高だったようですが、詳細でのデータは我々にも開示されていませんでした。

その期待の新型POSは、京都の若者が率いる会社が開発した、小規模なファミコンショップで買取も含めてスタンドアローンで運用され、夜間にデータ集配信を行っていた実績があるものをベースに新規開発したものでした。確かに私のいた会社では中古のファミコンソフトやCDの買取を行っていたのですが、そこの単品管理だけはできていなかったので、そこを補うという意味では適したシステムだったのかもしれません。やがて、秋らしくなってくると本社の1階の畳の部屋に外注先の開発陣が寝泊まりして開発をするようになっていて、いつも午前様だった私は、私より少し年上のその開発元の社長さんと夜風に当たりながら話をするようになっていました。すると、当時としても相当に古めかしい「N88BASIC+NetWare」での開発であることや、こんな大きな店舗網での開発は経験がなく「何が起こるか正直わからない」ことなどを率直に話してくれました。紹介でオーナーに会う機会があり、その時デデモをしたら採用してもらうことになった、と社長は静かに言っていました。その後、一応は動くようになった、と11月の運用開始前には発表があり、販売や会員登録、私たちMDは商品登録の仕方の研修が行われたのですが、後になってわかったのですが、その研修はローカル環境で行われていたため異常はありませんでしたが、それを見て私たちも安心したところがありました。

ところがカットオーバーし、そして新店の在庫が次々と大型トラックで大量入荷し、新店のオープンセールが始まると、実は売上の集信機能は2日ぐらい遅延し、在庫数値は集信遅れが原因なのかいつまでも正しくない状態となり、チラシに合わせた価格変更処理も本部で行っても各店に反映されたりされなかったり、という状況になり、社内が大混乱となりました。さらに悪いことに、そのあとは、ボーナス商戦の歳末セールとなり、年賀状向けのプリンタ、ワープロ、インクが爆発的に売れ、紅白歌合戦に向け当時人気の平面テレビ(ブラウン管ですよ)が大量に入荷するという時期を迎えていました。
店舗の在庫も売上もわからない状況で、商品担当者は主要店に電話し在庫と売れ行き感を数えてもらい、それでもわからないので多めに発注するという行動をとりました。メーカーもここぞとばかりに販売してきました。一年のピークを迎えるなか、その行為のリスクをわかってきても、盲目状態で12月の40億円の在庫確保をしなくてはならないというかつてない状況に、誰もそれを押しとどめることはできませんでした。

その間、開発陣は、急いで機能を削ったり、専用線を増強したり、プログラムを改良したりしていました。ようやく正しい集計がされるようになったのは、年が明けてからであり、正しいのか正しくないのかわからない在庫を合わせるために臨時で棚卸を行うなどしました。そして分かったことは、衝撃的なことでした。新店はすぐ近くの主要道路沿いにYKKの一角がその前に進出していたことで、オープンセールが不発におわっていたことはセールに応援に行っていて薄々わかっていましたが、全社の在庫はなんと適正水準の2倍以上に達していました。
そして、そこから何か月かは、月初の数日しか売れ筋含めて発注ができず、在庫が減るのを待つという状況に陥り、店頭は売れない商品が山積みになり、売れ筋が仕入れられないという状況になりました。本社人員は必死に店舗間の在庫移動を毎日自分の車も使って行って売れ筋を保とうとし、店舗では、お客様注文品のふりをして売れ筋を発注するというようなことが相次ぐなか、客足は遠のき、社員の士気は低下しました。

私が笑い話でよくお話しする、「PCメーカーN社への支払い代金のため、主要店を回っておつり用のお金を分けてもらった。」という事件もこの後起きたものです。

そこからのこの会社の七転八倒の話はまた別の機会にするとしましょう。しかし、この話は、本当に課題が多い出来事でした。どうして旧システムをあと1年使い続けるという決断をしなかったのか?どうして、開発元の実績や技術的根拠を誰もチェックしなかったのか?あるいは採用技術の方向性を自分の意志で決めなかったのか?なぜ、本番レベルの運用テストをしなかったのか?プロジェクト管理は誰がやっていたのか?(実質外注任せだった。)、経営に重要とは思えない要件をなぜ無条件に追加したのか、など当時はシステムに素人だった私にとっても、納得のいかないシステム更新でした。

でも、実はこれがシステムの話ではない、組織の話であると気づいたのはそれから1年半ほどして私自身がシステム開発のマネジャーに転職してからでした。
まず、一つ目は「オーナーがどっかから連れてきた」「オーナーがやるといっている」「オーナーがメーカーと会談して保守の件は話をした」という、200憶円もの規模になりながら、思考停止に陥っている組織の在り方でした。
また、それなりの規模の情報システム部がありながら、そこの部長はこのプロジェクトを御することができるようなリーダーではなかったのは周囲から見ても明らかだったのですが、若い技術者には問題点をわかって指摘している人がいました。その人に任せていればたぶん状況は変わったと思います。こう書くとまるで頑固で無知なオーナーが会社をつぶしたかのように思われるかもしれませんが、先日の「接客品質」という点では非常に頑固でしたが、それ以外の点では普通に温厚で理解のある方だったと思います。(少ししかお話したことがないのですが)

本当の問題は、オーナーのせいにして、環境が変わっていることや、プロジェクトをまとめるには知識と責任感のあるリーダーがいることをきちんと主張し、そして「私がやります」と言えなかった私を含むリーダーにあったはずです。私は、会社が滅んでいくのを傍観してしまったこの失敗をとても悔いています。楽園だった自分の最初の職場を自分が守るべきだったと思っています。そして、その数年後に、次の会社での日本最大の地図システムや、汎用機での生産システムのダウンサイジングの時に、システム設計やプロジェクトマネジメントを学び、「退いてはいけない」と歯を食いしばり、私なりにリベンジを果たしました。

 

 

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