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正義と妥協 経営者の勇気

先日、お世話になっている弁護士さんが自分の事務所を開所されたというので、応援?(お邪魔?)に伺いました。異分野の若い力のある専門家のお話はいつも刺激的です。その中で、その先生が運用に取り組まれるADRの有用性について説明を受けました。

ADRは法廷外で紛争処理を行う仕組みを指します。私も昔、為替デリバティブの解約をめぐり複数のメガバンクと全国銀行協会のADRを利用して最終的には調停に至ったことがあります。

裁判が、「正義の主張」で判決を公的に得ることで決着するならば、ADRは良識ある有識者が状況の分析の結果提案した「落としどころ」を起点とした合意による解決です。誤解を恐れずに言えば、妥協であり、金額面でいえば責任割合に応じた中間のどこかの点での妥結になることも多くあります。(個々のケースによりもちろん相違しますので、乱暴な書き方になることはご容赦ください)

個人であれば、自分の信条や正義を主張し戦うことも人生の一部であるかもしれません。義に殉じることが日本人は好きです。しかし、企業経営は顧客と社員と取引先との関係を安定的に持続させることが前提であり、それを具体的に紐づけているものは、「お金」であり、「時間」です。

先生は、何気なく、「ADRは企業にとって実用性が高い解決策だ」ということを言われたのですが、その時、私の頭に浮かんだのは、「妥協する勇気」という言葉です。企業には常に多くの不条理が襲い掛かります。一方的で高圧的なクレーム、詐欺まがいの提案や請求、やめた労働者からの突然の要求、思ってもみなかった他社からの提訴、突如顕在化する気づいていなかった知財リスク。もちろん、企業に非がないケースもたくさんあるのですが、それが従業員の業務を妨げ、担当させられる社員の退社につながり、部門のミッションの遅滞につながると具体的な業務上の損失への繋がります。

経営者、特に若い論理的で理知的なリーダーにとっては、こうした理不尽に屈するように妥協することは納得いかないことだと思います。しかし、多くの企業間、あるいは企業と個人の争いにおいて、「論理的に話して説得する」ことは労多くして多くの場合は益がありません。それが効果があるのは相手にも同じような合理性に基づく判断を尊重する場合だけであり、国家間にしろ、企業間、企業と個人の場合でもそもそも紛争になっているのは、論理ではない解決(多くの場合、力による解決)を一方が望んでいるからです。

突っぱねるか妥協するかをできるだけ早く決めて、その手続きを社内の業務からできるだけ切り離してあげないと会社と社員は痛みます。そして、残念なことに突っぱねて判決に持ち込んでも、多くの時間とお金が浪費されます。不条理なことに「適当に払って妥協する」時の何倍もが費やされます。

そうした場面で弁護士会などの第三者を立てて、調停を行う、ということは現実解と言わざるを得ないし、適当に合意文を双方で作って捺印するよりも、相手が「力による解決」を望んでいる以上効果的です。そして、経営者の「納得いかない感」を弁護士会などの公正な第三者機関が中和してくれるという効果もあります。要は、経営者には、「筋が通らない」ことを納得する理由が必要なのです。それは社員に対してもでもあるし、自分自身にたいしてもでもあります。

調停手法としてはあまり知られていない方法ですが、会社間、会社と個人などの紛争処理に覚えておいた方が良い方法だと思います。そして、経営者にとっては正義をまげて妥協するのはつらいことですが、時間とお金の世界に生きる以上、その勇気も必要ということなのでしょう。

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