こんな場面が最近あった。
大学の同級生の二人。一人は卒業以来ずっと小さな海外進出コンサルや飲食業を自分の腕で営んできた。すべてのリスクと可能性は彼にかかっていて、その荒波を危機予知と腕力で乗り切っていた。何人かのスタッフは抱えてはいるが、基本的にはすべて彼が稼ぎ出している。
もう一人は、卒業以来、国際展開するエネルギー系大企業に勤め続けてきた中間管理職。卒業して30年たち二人は邂逅した。そして、いろいろなことが起きた。その詳細は省略するが、中小企業のおやじとなった方は、自分がリスクを負って助力したのに、口約束を反故にされたと怒り、大企業の中間管理職の方は、「企業のルールに基づいた契約、発注しか結局できない」と言い張る。
両方を知る私からしたら、「大企業の中間管理職なんてそんなものであり、言っていることを信じてはダメ」であり、友人だから特別の対応とかできるわけがないと思うのだが、それぞれがそれぞれの文化しか知らないから、相手を許すことができない。
今の私はどんな言動でも、失敗したら最悪個人弁済する覚悟で動かざるを得ないし、それを避けるためには、小さなことでも必死で勉強しなければならない。小さな出費でも、本当に安全か、最善かに慎重にならざるを得ない。しかし、自分の決断で受注を止めることも無理して取ることも、契約でわかっていてもリスクを取ることもできる。それは、前者の同級生と同じこと。
しかし、企業勤務の時には(周囲の皆からすれば、まったく勝手で自由人と思われていたようだが)、それでも部下の分までの人件費を稼ぎ、人員縮小の憂き目にあわないこと、それに規程や上司の機嫌や上司のその上司からの評価、法務部や財務部の審査の結果を気にしつつ生きていて、自分の意志で取引先と約束を交わすことなどできなかった。私はそれでも転職を繰り返しつつ、自分の生きる技能、というか場所を作ってきたが、もし最初に勤めた企業がエネルギー系の安定企業であったなら、その努力はもっと、「組織の中で生き残る」ことに費やされていたことだろう。
それは今よりもずっと高収入で安定感のある人生をもたらしてくれたはずだ。しかし、いろいろな偶然が重なって、そのルートは歩めなかった。というよりも、ある時点からは歩みたくはなかった。
もう一つ別のケース。大手の専門商社と、そこを主力取引先とする零細メーカーとのお話し。
そのメーカーの社長は70過ぎの方で、会社の規模は小さいものの、社長ご自身はとても闊達で、同業他社の経営者ともゴルフや団体活動をしたりする中で、私もずいぶんいろいろな方をご紹介いただいた恩人だった。商品は、堅実で手堅い需要ではあったが、主要顧客が百貨店で、かつ差別化できるような商品ではなかったため、事業自体は当時から決して好調ではなかった。
しかし、この会社、経理部長として2人!、影響力を行使する大手専門商社の60歳オーバー社員を受け入れていたが、この二人があまり経理の知識もないし、パソコンも使えないような人で、結局そこの業務を社長が全部やり直さなくてはならない羽目になっていた。これ、昔の話ではなく、ここ数年の話です。
実はこの会社、業務を発注してもらう代わりにその専門商社の事業部の執行役員(この方は私もお会いしたことのある大物感のある方)に事業部のお荷物を引き受けさせられていた。そして、この二人が中小企業の「臨機応変」を社長に向かって批判し、大企業流を持ち込もうとしてもめ事を起こし、さらにはこの2人同士も仲が公然と悪いという…社長とあるとき社外で話した時に、中小企業の管理系に詳しい私は、2人を営業に回して管理は若い専門職を雇った方が長期的によい、と言ったのですが、社長は、「まあ、1,2年いてもらえばあとはやめてもらうこともできるんで」と忍従の姿勢だった。なお、この会社はその後のコロナ禍で、会社が立ち行かなくなってしまった。それが二人のせいとは言わないが、もっと持続可能な仕組みにするためにバックオフィスの管理職はやることがあったはずである。
私が、その商社の役員とこの社長と話した時には、役員は「強いサプライヤーを作ることが自社の利益」といっていた。しかし、一方で建前とは異なる彼の「見た目の成果」を取引先を利用して作りこむという本音が垣間見えた。また、そんな低スキルの人間が60までは安住できるこの商社(年商1000億円程度なのですが)の余裕ぶりにも驚いた。
多分、この二人も中小企業のバックオフィス、という「なんでも自分で手を動かす雑用係兼指揮官」ではなく、「かつてやったことのある狭い範囲の業務での若手を阿吽の呼吸で使う指示係」であれば、ここまで問題になることはなかったのだろう。でも、中小企業は、一人でなんでもやらなければならないし、自分でなんでも判断しなければならない。50,60になってそれに適応するのはなかなかできることではない。
中小企業を支援していると、中小企業が大企業との取引を獲得、維持しようとするときに、この文化の違いが理解できずに障害になっていることを多くみる。そんなときに、「大企業をわかっている助言」ができる人がいたり、相手の組織のキーマンを見つけて接触する技術を持つ営業は、大企業出身者だと思うことも多い。
はっきり言えば、大企業に採用され、教育された人の方が、中小企業のOJTしか知らない人よりも、思考力や構想力、あるいは物事の改善の仕方や仕組み化のスキルに優れていることが通常である。そんな環境に私自身、ずっとあこがれてもいた。
しかし、それでもなお、この2つのケースを見ると、日本の大企業の40代以降の人材の不勉強化、進歩変化の乏しさが彼ら自身の危機を招き、同時に日本の企業活動速度を停滞させていることを認めざるを得ない。
一方でそこそこの規模の企業で長く停滞していた部門に、社外からの若い新しいメンバーを加え、彼らが挑戦する場、行動する場を作っていくと、それが旧メンバーを含む組織の活動量を増大させる場面を見ることもある。年齢構成を考えること、そして、社外の文化を注入し、彼らの思考と行動の自由を管理者が積極的に許し権限を与えることは経営者の義務である。多分、大企業人材がこうもダメなのは、その「新しい人材が組織を変えることを許さない」正しさへの思い込みにある。
今、50代になり、それでも大企業で過ごしたかったか?と言われれば、経済面や家庭面では若干の心残りはあるが、ずっと変わり続けなくてはならない、ずっと走り続けなくては生きてこれなかったという環境が、今になって自分を救ってくれていることを私自身実感している。