某住宅メーカー、〇マホームの2代目社長(創業者の息子)がコロナは5G電波が呼び寄せる、トランプ勢力クーデター予測派だと文春砲に暴露された翌日、猛暑の中をショッピングセンター近くの住宅展示場を歩いていました。すると、同社のモデルハウス前で若い女性が日傘をさしながら、通りかかった私たちに「どうぞご覧くださーい」と声を掛けて来ました。その声は暑さで掠れていました。通り過ぎながら、内心では「いろいろ大変ですね」と声を掛けていました。
どの世界でも、「評論家」が全然論理的ではないことを言って世間を惑わすことは多くあるものです。テレビに出ている評論家と言うと、さも知識と経験があると誤解しがちですが、彼らは正しさよりも、刺激や関心を売っている人たちですし、実務経験が豊富というわけではない(実務経験が豊富で実績があればそんなところに出ている暇はなくて現在進行形で実業の場にいる。)ので、仕方がないことです。そういう職業だと思ってテレビやネット記事をみることです。
しかし、経営者は異なります。その考え方を受けて、多数の人間が行動を縛られ、その行動により社会的評価を受けます。直接的に収入と多大な時間を支配しているという意味では、政治家以上に、一般の社会人の生活を左右する存在です。
社員は、経営者が嫌なら会社を辞めればよいのですが、家族がいて生活もあれば、そんなに安易に辞められるものでもありません。ある程度いやでも、陰でメディアにネタを売りつつも、表向きは面従腹背でやり過ごすしかありません。
そして、情報は洩れるものです。漏れることを前提に言動を決める必要が経営者にはあります。逆に漏れることを利用するぐらいでなければなりません。
今回の〇マホームの例は、上場企業の経営者として、極端に不適格であり、公衆衛生の観点からは反社会的な例ではあるのですが、ここまでひどくなくても、「無知故に会社を危険にさらす」という事例は時々目にします。特に、昨年来のコロナ禍では、まったく非科学的な「殺菌」「抗ウイルス」が世にたくさん出周りました。
経営者曰く…
これらは、皆経営者が「妄信」して、社員に「言わせている」ことです。そして、すべてがもっともらしい「実験結果」「調査結果」(それも公的機関の)が付与されて、知識がない人にもっともらしいと思わせています。けれども、原理的に言っていることがおかしいのです。
問題はこれらの会社の経営者が、このような科学的にあり得ないことを信じ切っているということにあります。
こうしたことは、概して「有名大学の研究成果を語る」(実際にはお金で買った寄付講座を有していて、そこでは研究はおこなっていないし、そこで送り込むのはかなり高齢の一度引退した研究者だったりする)、「論文の体を取る」(実際には査読がない「記事」であったり、なんでも載せられるような論文誌だったりする。あるいは論文の結論と主張の結論は相違している。)、消費者のモニターテストの形をとる(健康にいい気がしますか?に半分以上が良いと答えるなど)などの仕掛けがあり、「原理」には踏み込んでいません。理系の一定のリテラシーがある人ならば実は見抜けているものなのですが、信じている経営者にはそうしたリテラシーがありません。
私からしたら、天動説を信じているようなものです。もちろん私は会えば指摘するのですが、そんなどこの馬の骨とも知らぬ個人の言うことを自信満々の経営者が耳を傾けるはずもなく、結局放置するしかありません。
もちろん経営者が、このすべての知識を有していることを要求できるわけではありません。しかし、売り手の主張をうのみにせず、批判的に検証することはできるはずです。そして、それが会社を守ることに繋がります。
こうした「アンチ科学」は常に経営者を狙っています。
科学とは少し違うのですが…もうふた昔も前に私が使えた某経営者は、「中国はいずれダメになる」が口癖でした。そして、中国系航空会社は危険だと言って決して乗らず、上海リニアはいずれ空を飛ぶと言って空港に車を呼び寄せていました。そして、中国人への不信を理由に中国事業の拡大に背を背け続け、結果会社の大幅縮小を招きました。彼が退任し引退する前には、中国はダメになりませんでした、というかますます発展しました。
中国がいずれ経済破綻するという論は、私が中国に深くかかわるようになった25年ぐらい前からずっと継続して日本の保守論壇にありますが、それは一部の現象、一部の失敗(それは日本やほかの国にもあるようなものです)を針小棒大に捉えた願望であり、一向にその兆候がなく、むしろ日本との規模、勢いの差は広がるばかりです。
これは、技術革新を含む相対的な輸出競争力優位性という外需、それと人口増と所得増という内需の両方のエンジンが組み合わさり続ける限りベースは堅調である、という当然の歴史的事実に基づいているものであり(だからこそ、無限に続くものではないということも事実です)、中央統制型市場経済への好き嫌いを差し挟んで判断するものではありません。
普通に考えれば、中国人でも日本でも、同じくらい優秀な人の割合はいるし、同じくらい信用できる人もいて、そうではない人もいるはずです。そして、それはほかの国でも同じことです。
どうして彼は、大きな会社の立場ある役職につきながら、そんな狭小な判断基準しか持ち合わせないのか?ということは当時からずっと考えていたことでした。 その当時のその疑問への仮の答えは、「自分の世界が狭い」し、「それが世界の中心で正しい」と思っているということでした。そして、自分は彼の下にこのままいては、成長できないし、影響を受けるようになってしまってはいけないな、というのが私の判断であり、そこを辞しました。
それから時は流れ、その当時のその経営者の年齢に私も差し掛かりました。同年代の知り合いの中には、同じような狭小な窓から世界を見て、それを公言するような人がぽつりぽつりとみられるようになってきました。また、別の同世代には、「今持っている立場や利得を何とか守り切ってあと10年余りを逃げ切ろう」という姿勢を感じることが多くなりました。
そして、自分の中にも、「精神的な我慢強さ」「きちんと順を追って考える」体力が徐々に衰えてきていることを感じるようになりました。
当時は気づいていなかったのですが、あの経営者の狭小な姿勢の一部は、50過ぎの「老化」だったのだと実体験として知るに至ったのです。そう、私も同じ穴のムジナになる恐れがあるということを恐ろしく思いました。
今現在、どうすれば、それを緩和、回避できるだろう?と考えたときに一番よさそうと思ったのは、自分より若い経営者や管理職の話を対等に聞かせてもらう事でした。それがお金ももらわずいろいろな経営者の話を聞きたがる理由の一つであり、お客様先に常駐するという選択を取る理由でもあります。
そうして、知識と「普通の判断」を常に補充し続けないと、危ないと感じています。