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ジョブ型雇用を準備する⑤給与と資格

「給与は減らしてはいけない」という思い込みは日本企業に非常に根強くあります。しかし、法律上はそのような制限は記載はなく、

減給の制裁を定める場合は、1回の減給額が平均賃金の1日の半額を超え、かつ総額が一賃金支払期における賃金総額の10分の1を超えてはならない。

労働基準法91条

という10分の1規定も、「制裁」つまり、何等かの罰則が適用された場合を言っているものです。一方で、次のように、「制度がきちんと明確化されていて、それに基づく減額は違法ではない」ことも文面化されています。

職務毎に異なった基準の賃金が支給されることになっている場合、職務替によって賃金支給額が減少しても、法第91条の減給制裁規定に抵触しない

昭26.3.31 基収第938号

つまり、「制度に基づく減額」は違法ではないのです。

なぜ給与は減らないことが「当たり前」になっているのか?

それでは、なぜこんなにも日本企業は「給与は減額できない」(だから賞与で変動させる)という呪縛に囚われているのでしょうか?これは、60年代の高度成長期、人手を確保することが成長の最大の制約条件だった時、終身雇用制とともに、大企業間で競うように労働者に「一生の待遇を約束する」ことの一部として導入されたものです。当時は、非製造業では生産性を上げることよりも人手を増やして生産量を上げることが重要視される時代でしたし、今のように知識で数倍の時間差ができるというような時代でもなく、生産量と人時投下量がおおむね比例する仕事が多い時代でした。それに、55歳定年制でしたので、年齢に伴う性能低下もさほどではなかったので、「やめられては困る」時代の正解だったのです。これにより日本では、大企業にいったん勤務して我慢し続けさえすれば家が建つ、というライフプランが成立し、銀行は安心して住宅ローンを与信できるという世界でもまれな状況が実現したのでした。(もちろん、人口増、輸出増、所得増の流れがその背景にはあったのですが)

時は流れて2020年の今、会社にいる一番長い層ですら1980年頃の入社になっており、すでにオイルショック後の十分低成長な時代しか実際には知らない層(ただし、バブル期は知っている)しか会社にはいません。低成長で、かつ情報量と思考力で生産性に差がつく時代がすでに十分経過している中で、企業の人事が目指すものは、かつての「できるだけ辞めさせない」から「生産性が高い人には続けて働いてもらい、そうでもない人には社の内外で別の道へ進んでもらう」に変わってきました。

しかし、人事制度を改変するには、制度としてきちんと組上げたうえで、社員代表、また労働組合に説明を行い意見を聴取するというプロセスが必要であり、かつ前回ご説明した人事評価制度が給与制度の前提となるならば、そのための役職者へのトレーニングも必要です。

多くの中小企業では、昔取引先銀行からもらってきた古い時代のオーソドックスな会社規程のひな型をその時の担当者が適当に改変したものが延々運用されているところが多く、自社に合わせて制度を設計しなおすような余力がありませんし(これは実はとても大変なことです)、そのうえで社内で評価者研修を設計し実施するはもっと難しいわけで、(外部にこれを依頼するとあっという間に数百万円なのを知っているのでそれもできない)必要などうか以前に、やれるかやれないかという問題で今まで何もしないで来ている、そもそも規程が形骸化しているというのが実情の会社が多いのです。

結局、給料は今でも減っているのではないか?

こういう露骨な会社と社員の関係についての言い方をすると心理的な反発をする人が経営者にも従業員側にも特に40代以上では多くいます。高齢の従業員側でよく出てくる反発で代表的なものは、「戦略をきちんと立てて、社員がまじめに働けば十分やっていけるようにするのが経営者の責任ではないか?」というものです。たしかに、一部の天才だけを集めることを望むような経営のやり方では到底会社は大きくはなりませんで、社員の能力不足を嘆いているような経営者にも問題があります。しかし、個人個人で生産性に数倍の差があるのも事実であり、それはただ単に研修をすれば身につくような資質ではありません。生産性を高めようとすれば、利益のために専門性を発揮できる人をそのポジションにつけるのが「戦略」として正しく、中小企業には、そのポジションには限りがあります。結果として、はじき出された生産性が低い人は「その他」のポジションで稼ぎ出す収益に見合った所得水準にしなければ、その分の所得は「稼いでいる社員が自分の分を削って援助」することになります。それでは数倍の生産性を持つ、「必要な人材」をつなぎ留められなくなっているのが今の状況です。

もう一つ考えていただきたいのは、「稼ぎに見合った所得」になるのはそんなに非道徳的でかつ非常識なことでしょうか?今の日本で当たり前になっている45歳になると早期退職対象になることや、50歳になると役職定年制度で所得が減る、あるいは60歳以降は嘱託で半分以下になることのほうがよほど非人道的だし、不公正ではないでしょうか?このような非常に乱暴な方法により結局、「給与は減らない」という約束は今でももう、ひどく不連続な形で守られなくなって、実は「稼ぎに見合った所得」が年齢という本来は直接関係しないはずの指標により実現されてしまっています。ならば、個人個人の実績に応じて徐々に増減しながら、自分で段階的に変化に対応したほうがよほど人道的だと思いませんか?そして、月額5万円程度の変動はいつでも自分に起こりうることを人生設計に盛り込んでいくことが必要な時代になったのです。(そうすると余計に少子化は進みそうですが)

新しい給料と雇用の常識

会社は10年もたてば、事業内容も大きく変わり、必要なスキルや必要な人材も大きく変わるものです。それにあわせて職務記述書も徐々に変えていき、その時々に見つかる範囲で一番適した人をそのポジションに選びます。その合理性が「ジョブ型雇用」の本質です。育成とか、そのポジションに関係しない過去の他ポジションの経験とか過去の貢献は選考に関係ありません。今からの数年、そのポジションでもっとも実績を上げそうな人を選ぶということに集中すればよいのです。それを「会社の横暴」と批判する社員はいるでしょうが、これを「ジョブ型雇用」という正式な制度にするか、それとも「メンバーシップ雇用」の中で、リストラと、役職定年、子会社出向という方法で無理に実現するか?の違いだけで、(日本だけの雇用慣行であっただけに)もう楽園は世界のどこにもないのです。

もちろん、その「適性」の中には特に管理者になれば事務処理能力だけでなく、リーダーシップや他部署と連携をうまく構築する能力というのも含まれます。だから、建前上の今までの日本の選考基準は間違っていないし、そこから大きく変わるわけでもないという言い方もできます。そして、個人も自分の技能を生かせる場所が、その会社では減ったとしても、他社でそのポジションがあればそこに行けばよいのです。ただし、それでも需要の減る業務というのはありますので、ニーズの変化に合わせて自分も死ぬまで技能や知識を獲得していかなければなりません。そのことが、これからの日本の「新しい常識」になっていくのです。

今の日本の多くの中年の働き手の本音は、「40,50になって新しいことをいまさら勉強する気になれない」とか「20代に新技術や営業開拓をやらせて、自分はそれを見守っていたい(それをマネジメントと彼らは言う)」というものですが、それがまず間違っているのであり、マネジメントはたぶんもっと若い力のある人がやることが増え、年齢に関係なく多くの働き手は前線に立ち続け、稼ぎ出さなくてはならないし、その実績に応じた給与になっていく、というのがこれから起こることなのです。

ジョブ型雇用での給与設計

ジョブ型雇用では、基本的には「昇給」という概念はありません。何年その会社にいても、同じポジション、つまり職務記述書の定義の同じ項目に該当していれば基本給はずっと同じです。ただし、多くのケースで職務定義書の「要求事項」に応じた目標管理制度が運用されていて、その度合いに応じた「成果給」(あるいは実績に応じた基本給の3段階程度のランクアップという会社もある)がこれとは別に発生する仕組みをとっています。それを年俸的に行うか、一時金で行うかは会社の選択次第です。今の日本では、「基本給をアップさせない」ことを目的に一時金での支給を手厚くすることが選好される傾向にありますが、これは基本給が下げられないことを前提にしていることであり、下げられるのであれば、年俸、つまり月給に反映することに支障はありません。

この話をすると、どうしても、「下がった社員はやる気をなくす」という意見が出てきますが、一度下がっても、そこで窓際族というわけではなく、一年後、二年後に勉強して、他のポジションで実績を上げて再度そのポジションに応募することもできる「再挑戦可能」な仕組みですので、若い人の中には再挑戦する意欲のある人が一定数います。現に同じような仕組みをとっている日本企業ではそうでした。そうして組織の活力は維持されていき、力のあるものがポジションに選ばれていくのです。再挑戦する気力のない人は、給与は低いが安定したポジションを社の内外で探せばよいのです。そういうポジションも世の中には実際にはたくさんあって、自分を知り自分に正直になれば自分で選べるのです。ただし、今までの日本のように、人口ピラミッドを前提として若いうちは猛烈に働く代わりに年を取ったら社内で何もやらなくてよい(わけではないはずなのですが、実際そういう人が多くいる)ということにはなりません。

また、管理者はそんなに理想的に実力本位で選ばれるのだろうか?と思われるかもしれませんが、もちろん、アメリカだって中国だって人間の質は日本と大して変わりませんので、疑問のある人材が政治で選ばれることはいくらでもあります。ただし、結果を数字で見られるという点では「数字は正直」(数字を粉飾する事例ももちろんたくさんあるのですが、それは日本でも同じです)ですので、誤りを正すことは日本型よりも容易です。

ジョブ型雇用を採用することにより企業は、今までの日本で多くみられる問題である収益性とリンクせずに人件費が増大していく、ということは仕組みとして抑制できますので、給与水準を決める要素は、同等の他社の職位にある人に選んでもらえる水準(もちろん、金額だけの競争ではなく、会社としての総合的な魅力も含めた競争になるのですが、金額が重要な要素であることは確かです)にする、という「市場の論理」で決めていくことになります。よく、「労働市場」という言い方をしますが、ジョブ型雇用では、商品サービスの市場と同様に、「市場との対話」を人事部がキチンとおこなって、自社の職務記述と報酬の水準を調整していくことが今まで以上に大事になります。

ジョブ型雇用での役職設計

もう一つ、ジョブ型雇用では、役職の変動、具体的には日本のこれまでの概念では「降格」に相当する事例がルールとして起きる仕組みになります。これは、このシリーズで解説してきた1回目の組織図が時代に合わせて変わっていくことで、縮小する部門はポジションが減り、拡大する部門はポジションが増えるというのが一つ目のケース。またより適切な人が見つかり交代する場合というのが二つ目のケースです。

実は、これも今の日本でもこれだけ変化の激しい時代であるだけにすでにたくさん起きています。しかし、その結果として、シリーズ一回目の事例に出てきた「部下のいない部長」「よくわからない呼称」という問題は給与が下げられない、という呪縛(これは法律ではないということはもうお分かりいただけたと思いますが)のほか、仕事の内容に基づくはずの呼称が、給与ランクを決める呼称にすり替わっていることにより起きています。

日本でももうすこしスマートな会社では、基本給+役職給という構造をとっており、ポジションを外れると役職給の分だけ減るという形をとって、それにFA制度(他部署と自分で話をつけてくる)を組み合わせていますが、これはジョブ型雇用に近い形態といえるでしょう。

何度も繰り返しになりますが、連載②で構築した理想の組織図で必要なマネジメント担当はその部門で一人が原則であり、その下には一部の専門家スタッフは配置することはあっても、おおむね同質同列なオペレーションの遂行要員が配置されているというユニットがピラミッド状に組み合わさるというのが組織の基本構成であり、そこにだれを当てはめるかを考えていくのがジョブ型の基本です。人がいるから役職を作るのではないのです。その組織が事業を拡大し大きくなれば、課は部になり、部の中に課ができ、係ができ、専門技術職ができ、スタッフ職ができていくのですが、それはすべてあるべき姿の「設計」ありきであり、今そこに人がいるからではありません。新しく設計されたポジションに、過去の類似業務で実績を上げた人がつくこともありますし(多くはそうなるのですが)、適当な候補者がいない場合は社外から探してくるのです。

そういう言い方をすると、毎年1,2回社内が全部ひっくり返る革命が起き続けて安心できないのではないか?と心配されるかもしれませんが、実際には会社全体が急流に飲み込まれているわけではなく、安定した部分が8割の中で、成長部分1割、改革部分1割というような組織運営をしなければならないのが経営者ですので、「大半は従来を踏襲しつつ小幅改良」という決定を毎年の組織見直しでするのです。経営者は決して万能ではなく、多くの社員の信頼とある程度の安心がなければ会社は成り立たないのも真実ですので、それをわかっている経営者は改革の杖をやたらと振り回すようなことは普段はしないというのは結局日本と同じなのです。

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