最近、私の周辺でアラフィフの経営者が体調を崩す出来事が続きました。みな、「昔のようにはいかない」と口にしていました。私もそれには同意です。それとは別に、もう少し若い世代の経営者が突然亡くなったという事件も身近でありました。
経営者以外でも親しい知人やその家族で健康を害した(それも防げるものではないものもありました)
例も続いて「命のもろさ」を実感する出来事が続いています。
また、ここ数年で、そこそこ立派な経営者や士業だった方がアルコール依存やギャンブル依存で仕事どころではなくなってしまう、という例も見ました。聞いたときには、「えっ!あの人が!」と思うような方でした。
お話しする経営者も自分と年齢の近い方が多くなってきていて、忙しさと気ぜわしさの中で、どうやって自分の健康を維持していくかというのは大きなテーマであることを会話の中に感じます。もちろんこれは、彼自身の人生を納得いくものにして欲しい、という事もある一方で、事業の継続性、あるいはリスク管理という面でも重要な取り組み課題であり、健康とは別に、No2や後継者の育成ということにそろそろ具体的に取り組んでいかなければならないということでもあります。
かくいう私も50代になってから、かつて20代のころの一日16時間労働(それでも当時は週に1日ぐらいは休みがあった)を超える労働時間をパソコンの前で過ごしており、功を遂げた人気漫画家が激務の末、若くして亡くなる事例が相次いでいることを、わがことのように危機感を持っているところです。
「経営者という生き方」
従業員には、残業規制や最近ではインターバル規制などで健康を守る仕組みが存在し、健康診断も義務付けされています。万一病気になっても各種保護制度があり、最悪の場合は失業手当もありますが、経営者にはそのいずれもありません。労働者を保護することは法的義務であり、同時に現代においては、優秀な人材を獲得し、退職リスクを下げるための必要条件ともなっているため、昔の私のような「連日午前様」のような職場は淘汰されてきています。
その一方で、多くの経営者は、借入やリース契約に対して個人で債務保証をしているため、経営の失敗が住む家を含めて個人の全財産を失うことに直結します。そのため、彼自身、「なんとか会社を生き延びさせなければならない」というプレッシャーに常に晒されています。 もちろん、親の資産を継承しての経営でもない限りは、老後の保障も経営者にはありませんので、そこへの対策も自分の経営の中で作らないといけません。
その上、経営者には全般に自分の仕事が好きで土日も夜もずっと仕事をしている人が多いようです。その証拠に私のSlackやチャットワークへの経営者からの連絡は、時間に余裕のある夜間土日の方がむしろ平日日中よりもはるかに多くなっています。
好きでもなければ、自分で事業をしようと思いませんし、24時間営業でもしなければ事業を軌道に乗せることなんてできないのもまた、事実です。経理も給与も、営業も、製作も全部自分の役割であり、わからないことだらけの中、決算日、支払日と日々をギリギリ「切り抜けていく」サバイバルな日々が延々続いていきます。
その一方で、「やった分だけ組織が前に進んでいる感」を味わうことができるのも、また経営者の醍醐味です。ゲームで少しづつ自分の戦力値が上がっていくことにハマってしまって長時間夢中になるように、なかったものが自分の腕でできあがっていく過程は没頭、そして陶酔を生むものであり、この「自分の人生を自分の力で生きている」という感覚こそが「経営者」という生 き方のもっとも特徴的な側面でもあります。下手な娯楽やスポーツよりもよほど楽しいという人も多くいますし、先ほども言った通り、その反面、そこで成功しなければ破滅が待っているという状況にもあります。
その「没頭」こそが危険なのです。
「夢中になって、楽しんでいると、大変でも苦にならない」という言い方をする人もいますが、これも危険な誤りです。その時点では麻痺しているだけで、実際には、その間に精神も肉体も摩耗しています。そして、あるタイミングでそれが限界値を超えたときに、継続不能な状況になってしまうのです。
その経営者の心身を、(経営者に伝わりやすいように)会社に例えれば、持続性のある業務の仕組みを維持し、継続性リスクを事前に洗い出し、リスクの確率、影響度の大きい箇所には事前に対策をする、ということを経営者は何らかの形で自分の業務に対して実施しているはずなのですが、肝心の自分に対してはこれを十分に行うことは決して簡単ではないようです。
理解してくれない家族はむしろありがたい
家族がこれの歯止めになってくれればよいのですが、経営者みんなにこれが期待できるわけではありません。家族がいない人ももちろんいるし、家族が「応援してくれている」からこそ介入・口出しせず、この深みにはまって抜け出せない状況を脱却できないケースもあります。
だからこそ、人に頼らず、自分で何とかしなければならないのですが、その方法として一番お勧めなのは、そうした「仕事の習慣」に対して、「別の習慣」を加えて中和するということです。
例えば、いまのところ、私が見つけている中で一番よいのは、「仕事の行きかえりの工夫」と「仕事以外のルーチン」とです。
仕事の行きかえりの方は、起業したころから、駅から片道30分を必ず歩くことにしています。元はと言えば、起業後にバス代をケチって生活を死守するという事が主目的だったのですが、「街を見る」「人を見る」ことが仕事上も役立つ、という意味付けをしてずっと継続しています。「仕事以外のルーチン」の方は、最近は家で終日作業をしていることも多くなってきているので、土日は私は一万歩以上歩くというルールにしています。昔はランニングしていたのですが、少し体調を崩したこともあり今はもっぱら歩いています。
家で作業しているときには、あと二つあって、「朝7時の始業前にストレッチをする」「昼、5分だけ休憩してベランダで外を見る」という事もマイルールにしています。
私の例がいいかどうかは分からないですし、本当はもう少し運動強度があった方が良いようにも思いますが、言いたいのは、自分の仕事の習慣を変えられるのは、「別の習慣」であるということです。というわけで、私も3年ぶりに検診を申し込みました。
会社が小さく、社員数がわずかな会社では、社長と言っても、戦力の中心の一人です。社長が24時間365日全力を出さなければ、社員の人件費を賄えない、という状況にある中小企業も数多く目にしてきました。しかし、その仕組みは持続的ではありません。もう少し人を減らして利益を確保し、時間を減らす、という決断をしなければ持続できません。これ以上減らせないと思われるかもしれませんが、事務作業をアウトソーシングすることや、採算性の低い業務を取りやめることなど、あらゆる手段を使って、「余裕」を作ることは、経営者個人、そして会社にとって非常に優先度の高い課題であるはずです。