やはり、というべきでしょうか?このタイミングで日本でもコロナ禍での自宅勤務の常態化とあわせて、KDDI、三菱ケミカルなどで「ジョブ型雇用」への移行が発表されました。
世界で日本だけが特殊な「メンバーシップ雇用」それも、「終身雇用前提」という制度を維持できなくなっていることは20年ほど前から徐々に明らかになっておりいずれはジョブ型へ移行せざるを得ないことはわかっていました。そして、この流れはこの先5年程度で急速に進み、不可逆的であり、破壊的でしょう。それがうまくいかないで揺り戻しが来る会社もたくさんあるでしょうが、そうは言ってもこれを取り入れない会社は5年後には50歳以上ばかりで集合型労働集約型で生産性の低い業務を行う組織に衰退していきます。
これは大企業だけでなく、中小企業も同じです。そして、ひとたびこの変化を取り入れようと決意すると、今度は今までの人事制度、評価制度は全部役に立ちません。根本的に設計思想がジョブ型のそれとは思想が違っているからであり、変えるときにはセットで変えざるを得ないので、これがまた大仕事となります。
今回から何回かに分けて、私が中国や日本のジョブ型を志向する組織で体験してきたことを含めて「ジョブ型雇用の実態」、そして何を変えるべきなのか?どのような準備をするべきなのかを特に中小企業向けに特化してご説明していきたいと思います。(5回の予定です)
1回目の今日は、「ジョブ型雇用」とは何か?そして、「なぜジョブ型に移行せざるを得ないのか?」についてご説明します。
1 ジョブ型雇用とは何ですか?
まずこの「定義」が人によって相違するようです。(幅があってもよいのですが)また、よくわかりづらい説明が多いようですので、ここでは実例を挙げてご説明しましょう。
これは実際にTwitter上で話題になっている事例です。ある大学院で高分子化学を勉強した女性が第一志望の大手化学メーカーに勤務しました。3か月の研修を終えて、配属された先は地方の工場での生産管理や品質管理の仕事でした。彼女はこんなことをやりたいんじゃない、と早々に退職を決意しました。
これを読んで、あなたはどう思いますか?大手メーカーの研究部門は一通りいろいろな経験を10年してから配属される先、という今までの日本の常識からすると、彼女は、「わがまま」と批判されるでしょう。しかし、もしかしたら、その会社の研究所は彼女が知っている最先端の高分子化合物の知識を今すぐ必要としていたかもしれません。けれども疑問に思うのは、30歳を過ぎてもう一度勉強するようなやり方で世界と、具体的には中国やアメリカと技術で競争できるのでしょうか?
ではこれはどうでしょう?
「君は5年営業で係長として実績上げてくれたけど、次は総務に行って頑張ってほしい。課長になるには原則2部門での経験が必要だから」
そうやって育った「ジェネラリスト」が会社を率いるというのが日本の企業の在り方でした。けれども総務ってそんな営業経験者が異動してきて、会社全体に向かって発信できるような専門性の低い仕事なんでしょうか?あるいはそうだとしたら、総務部はそれでいいんでしょうか?
ジョブ型雇用では、ポジションに対して、「職務定義書(ジョブデスクリプション)」が存在しています。わかりやすく言うと、このポジションでは何が仕事でどのような義務があり、追及すべきKPIは何で、その前提に何を知らなければならない、何ができなければならないということが決められています。たとえば、物流センターの業務管理のリーダー級でしたら、上のうち、義務の部分はこんな感じでしょうか?
そして、これを公開することで、要求事項ができる人を社の内外で探し、最もふさわしい人をそのポジションに採用するわけです。あくまでも期待値や育成ではなく、要件との合致が条件です。
報酬については、このポジションの業務の難易度、より分かりやすく言うとそれができる人材の希少性に応じて、このポジションの基本給が決まります。あくまでもその人の社内での経験値ではありません。ただし、同じポジションでも3段階程度に分かれて達成レベルに応じて給与ランクを上げる仕組みを採用している会社もあります。では昇給はどうなるか?というと、上の職務定義に対応する「目標管理」が存在し、その達成度に応じて、「成果給」が一時金、あるいは翌年の年俸に基本給に加えて12分割して支払う、という形で支払われるという方法が多く用いられます。あるいは、社内でより給与水準の高いポジションに応募をして採用されれば、給与が上がるという仕組みになります。もともとそのポジションにいた人は別のどこかへ行ってしまうわけです。それが玉突き的に募集する場合もありますし、現職がいるにもかかわらずシャッフル募集や随時FA可という場合もあります。
最初の例でいえば、「ある高分子化学製品の開発のための物質選定と量産体制確立の主任技術者」のための担当者募集を行い、そこには物性知識がどうとか、量産技術の確立ノウハウを持っているとか、言う要件があり、それに気鋭の大学院出の女性が応募する、というのがジョブ型の典型例となります。当然、入ってすぐ即戦力である人材を採用しますので、会社で行うのは、コンプライアンスと社内制度に関するレクチャーぐらいです。あとは比較的短期の一定期間内に個人の力で突破できれば給与はアップしますし、そうでなければ別の人に代わっていただきます(解雇するかどうかは法律制度次第ですが、今は一年間の期間付き雇用という制度を用いるケースが海外では多くなっています)、という制度です。
これを働く人材の側からみると、社内の職務募集を見て、自分の能力や次のステージにふさわしいと思えば応募しますし、そういうポジションが当面空きそうもなければ、類似する職務の存在する他社のそれを探す努力をするわけです。そして、同じような職務定義であっても給与水準が異なれば、高いところを選べばよいのです。また、キャリアアップという観点でいえば、大学・大学院で十分な実務対応能力を身に着ければ最初から専門性の高い業務で年収1000万円も夢ではありません。中国では有名大学卒の理系技術者は15年前からそういう状況です。専門的な高校や高専でしっかりと高度技能や知識を身に着けた人は応募しやすい状況になります。しかし、大部分の遊び中心の大学時代を過ごした大学生はそんな技能は身に着けていませんので、大学時代に「インターン」として実務能力を身に着けておくか、比較的平易な(御幣のある言い方ですが「誰でもできる」)ジョブでキャリアをスタートさせながら、個人で資格や専門知識を勉強し、キャリアアップのチャンスを求めることになります。外国で30歳台になってもう一回大学に勉強に来る、というのは多くのケースで向学心があるからではなく、自分の次のステップと思うポジションの職務定義書に書いてある「要求事項」を満たすためにほかなりません。決して楽なことではありません。
そのほかの具体的なイメージについては今後の各回でも描写していきたいと思います。
2 なぜ、いまジョブ型への移行が必要なのか?
経済紙に有名な経営学の教授が「コロナの影響でリモートワークが普及し、社員を成果でしか評価できなくなった」ことがジョブ型への移行が広まる理由だ、と述べていましたが、これは間違っています。必要性が顕在化した状況は確かにコロナが関係ありますが、「成果以外で評価する」ことが正であると信ずるならば、そのような努力をすればよいのです。「成果で評価する」ことをせざるを得ないのは、コロナのせいではなく、日本の企業が置かれている状況と、年齢別構成上今が好機であるということが関係しています。
一つ目の日本の企業が置かれている「成果で評価せざるを得ない」状況についてまずご説明します。「ジェネラリスト」という名の「何もできないおじさん」が多数派の組織では凡庸な製品・サービス、凡庸な品質・コスト管理しかできずリスクばかりを気にして競争力が低下する傾向が顕著だからであり、これこそが、失われた20年の本質であり、専門性の高いプロや進歩的なリーダーを積極的に組織の中枢に置き、そうではない人をラインから外すことをやらざるを得ない、そうしなければ有名大企業ですら、世界はもちろん、日本の優秀な人材すら集められなくなったのです。
では、なぜ90年頃まではジェネラリストが通用し、その後は通用しなくなったのでしょうか?それは海外市場も含めて考えれば「需要が徐々に拡大する社会」で「相対的に価格性能比が優位」であったので、凡庸な製品でも売れていた時代が続いていたものが、国内市場は縮小し、海外市場は中国・韓国に価格でも品質でも勝てなくなっているからです。そして、勝てなくなった原因を「労務費の安さ」に帰結される論調が多くみられますが、それも必ずしも正しくありません。生産範囲の選択と集中と技術革新・投資規模であったり、マーケットに適切な機能と価格の製品を投入したり、というより本質的な「プロの技能・知恵」で負けているのがこの10年の実態であるからです。会社で要求される知識レベルが法務でも、経理でも、航空機の規制適合でも、耐震設計でも昔に比べてはるかに高度化し「誰でもできることではない」ようになっていることに対して、「できない人に頑張れと言い続け」「できない人材をライン上に放置してきた」のが日本的には正しいとされてきた、という言い方もできるかもしれません。
また、日本では強みを持つ本業の市場が縮小、あるいは国際シェアの縮小を強いられる企業が多いなか、新しい事業分野を育成しなければならないとき、社内の人的リソースではどうにもなりません。その「どうにもならない」という「失敗」を重ねてきて、採用しても必要なプロフェッショナルに逃げられ、給与面待遇面での不足を指摘されてきたはずです。
これに対応するために、企業は、各機能に高い専門性とマーケット意識を有するプロフェッショナルを配置し、そのプロフェッショナルを有機的に結合するマネジメントを行う、という文字にすれば当たり前のことに立ち返る必要があり、その時に「年功序列」「メンバーシップ雇用」「ローテーション人事ルール」は、この最適な組み合わせを阻害するためむしろ有害であるのです。
3 なぜ今、その動きがようやく急になってきたのか?
このことも本当のことをだれも書いていないように思います。「今」であることには表立って言えない理由があります。
日本の大企業は、1988年から91年頃まで特に採用数を極端に増大させました。いわゆる「バブル世代」です。91年のバブル崩壊後に就職活動をした93年新卒以降とは格段の差があります。その世代は大卒だと51歳~55歳、高卒だと48歳~になっています。働かないおじさん問題の中心はこの世代にあります。そして、この世代が今、90年代に次々導入された「役職定年」に達しつつあるのです。つまり、この世代は、メンバーシップ雇用制度の中でもラインから外れて余生を過ごす状況になりつつある、逆に言えば、旧制度で逃げ切りです。(もちろん、かなりの数が子会社に出向転籍になったり、経営破綻の影響で退職したりはしているのですが、それでも、それ以降の世代に比べれば恵まれた世代です)
つまり、「たくさんいたバブルの遺産、既得権益層にようやく片が付いた」から今できるようになったのです。今、高らかにジョブ型への移行をPRしている大企業の顔ぶれを見れば私が言っていることが当たっていること、そして、そんなこと表立っては言えないこともお分かりいただけるでしょう。
4 そんなんでうまくいくとは思えない、という声に対して
そんな劇薬は使いたくない、という経営者の方、あるいは既得権益という問題は除いても危惧する管理職の声もあります。もちろん、今のメンバーシップ経営で売り上げが伸長し、事業と利益が拡大し、若い人材が嬉々として集まり定着して行く傾向が続いているならばそのまま続ければよいです。これは社会的「正義」の問題ではなく、企業の「利益」の問題であり、結果が出ていればその方法が正しいという理解でよいと思います。
しかし、そう言っている当の経営者の会社の40歳以下の業務の仕組みを見ると、外部の専門企業の専門家が常駐していたり、派遣で効率的な事務員やオペレーターを採用し、あるいは期間雇用で性能選別を一定期間後に行っている、という「実質的なジョブ型の業務の進め方」を「正社員以外の範囲」で実現していて、正社員はそれらの「マネジメント」と言いつつ「傍観者」ということが多くあります。実は、「ジョブ型」への移行は静かに少しずつ、必要に迫られる形で厳しい面だけが先行して(メリットを享受できない形で)日本企業でも進行していたのです。
それは若者の意識にも表れてきて、目的意識のはっきりした大学生の就職は、「ジョブ型」を志向する傾向が強くみられるようになってきており、そのためのインターンによる知識や仕事の仕方の勉強が当たり前のようにされていて、特定の分野で即戦力であろうとする学生も増えています。そういう社員が「10年以上にわたるローテーション人事でジェネラリストを育てる」という名目のもと、当面を営業や製造の現場に配属されては短期でやめてしまうのは当たり前でしょう。会社側ではそれを「そんな理解がない、こらえ性がないものはやめていい」という言い方をしているかもしれませんが、それも長く続いた企業優位の時代の錯覚であり、商品の顧客と同様、労働者にも、特に若い世代に「選んでもらえる」会社にならなければ会社は先細りします。つまり、「市場に合わせてやり方を変える必要がある」のは、商品市場だけでなく、労働市場でも同じということを忘れている経営者や部門リーダーが多くみられます。
そういう大企業から早々に離脱した人材がベンチャーで専門性を生かせる仕事を集中してやって注目を浴びる活躍をしている事例も目にします。自分の興味のある専門分野を20代の吸収能力の高い時期に集中して取り組めば、高いパフォーマンスを発揮できる可能性は当然高まります。この時期を棒に振らせては会社の大きな損失です。
もう一つ、ジョブ型雇用のよく言われる懸念は「長く務めてもらうことができにくくなる」ということです。これはその通りだと思います。しかし、メンバーシップだったら「必要な人材」に長く勤めてもらえるのですか?あるいは本当に20年、30年と務めてもらいたいのですか?
その人の能力向上と会社の事業拡大に伴うポジションの増加や高度化が歩調が合っていればお互いにハッピーな期間を過ごすことができるでしょう。しかし、そんなことが決して多いわけではありません。あるいはそれが長く続くことは社会の変化の速度が速くなりすぎてもう来ないでしょう。そして、この「長く勤めてもらう」という「家」意識こそ、日本型メンバーシップ雇用の象徴的な概念であり、中途半端にジョブ型に持ち込んではいけないものです。
ジョブ型では、今採用したら、1,2週間のオンボーディング期間ののち、3年フル稼働してもらい利益貢献してもらう。それに見合う給与を会社も支払う。という対等な関係が「正常」であると考えるべきです。3年たってより上位を目指すもよし、社内の関連する他のポジションの求人に応募するもよし、どちらも納得いかなければ社外に行くもよしなのです。
現行法制度での「解雇」の問題は付きまといますが、どちらかが職務定義と能力との間にギャップを感じたら「卒業」して次を探してもらえばよいし、必要になればまた戻ってきてもらえばよい。3年が短すぎるならば、10年間、貢献と報酬支払のバランスがとれることを目指せばよいのであって、若いころには安く働かせて、その分を40台以降の生産性低下時にも保障する形をとる、という「終身雇用」の方が不自然なのだと考えるべきです。そして、出世レースを走ってきたのに、50歳を過ぎると給与が激減するという今の日本の制度もまた特殊ですし、健康的ではないのであり、35歳以降横ばいで安定するようなことがむしろ望ましいのではないでしょうか。若者の給与が安いことは若者の失業率が低いという日本のいい面を生んでいる面もありますが、優秀者が外資や成果主義の会社へ行くという動きも生んでいます。
その辺は一年前のこちらの記事で解説しておりますので、参考にしていただければと思います。
本当は年齢は関係ありません。けれども不勉強で、肉体的精神的衰えが出始めている45歳以上の人は、今よりも恵まれなくなります。具体的には制度に基づく給与減や担当できるジョブがない、ということが起きます。アメリカではジョブに対する応募レジュメに対して、一般には人種だけでなく、性別も年齢も書かないのがルールです。それは、「募集している職務の定義、要件に合致しているかどうか」以外を判断の要素に加えることは、「社会的に不公正なやり方である」という社会的コンセンサスが存在するからです。そして、その先にあるのは、個人間での職務能力をめぐる競争であり、企業間の人材獲得のための「公正な」競争です。
これは、本当は今でも厳然と存在している競争であるし、私なんかはその「競争」を明確に意識して仕事をしてきました。しかし、それが幸福なことなのか?というとそうは言いきれないという気持ちも持っています。それはともかく、これは日本の企業文化、国民文化に大きな影響を及ぼし、そしてその文化ゆえに失敗する事例も多く出てくるであろう変革です。
次回からは、その「ジョブ型雇用」の「個別具体の対策」を中小企業がどのように行っていくことが良いのかについて、方法論を述べていきます。