前回は、VCなどの「投資家」の人気投票としてのベンチャー投資の側面を取り上げました。こちら
もちろん、彼らとて、ベンチャー企業に「失敗してよい」とは言いません。一部のベンチャーキャピタルはベンチャー経営者に「上場・売却に至らない場合は、株を買い戻せ」というような条項の入った契約書を要求します。法務リテラシーの低いベンチャー経営者はこうした条項をさほど考えもせずに応諾し、そしていざ会社が立ち行かなくなると金銭的精神的に追い詰められてしまう、そんなケースも少なくありません。私の仕事はそういう「大人の仕掛けた落とし穴」を事前に若者に教えてあげることでもあります。
VC(ベンチャーキャピタル)は、ベンチャー企業が企業価値を高めて上場するか、あるいは大手企業に事業を高値で売却する化した際に、保有していたその会社の株を売却することで収益を得ます。それがうまく行ったときには、買った値段の数十倍、数百倍になるのです。しかし、ベンチャー企業がすべてうまくいくわけではありません。実情を言えば、こうした「期待の星」の9割は失敗します。したがって、VCは、失敗を小さなうちに早めに見切り、成功しそうなところをどんどん支援して大きくする、という行動をとります。また、成功したときの実入りは非常に大きいですので、経営者の経営管理スキルが低い場合にはそれを指導したり、あるいは人材を紹介したり、提携先を紹介したりといった形で成長を支援してくれる機能をどこも充実させています。それがとてもありがたいのです。実際、そうした支援をVCがしてくれることにより、チャンスをつかむベンチャー企業はたくさんあります。
ただし、VCは、最終的には投資した会社の株を売却することにより収益を得ますので、「何年以内に上場するか、売却するかしてほしい」という時間制限のある強いプレッシャーを受けながら経営を進めることになります。このスパンの長短はVCが組成する投資ファンドやスタンスにより相違がありますが、10年を超えるようなものではありません。
VCの経営支援機能はとても魅力的ですが、上場も売却も目指さずに企業を成長させようと思うと、この支援を受けることは彼らの性質上できません。そして、弊社は、「上場」はほかに資金調達する方法がない場合の最後の手段であるべきだと思っています。昔は「上場」が会社のブランドであり、求人にも営業面でもプラスの効果がある、ということを言う人が多くいました。しかし、今、上場企業は日本証券取引所グループ(東証、大証)だけで3600以上あり、30年前の倍以上になっています。ブランドの象徴である「東証一部上場」というのも2100以上ありまして、これも30年前の倍になっています。その中にはもちろん信頼を絵にかいたような日本を代表する企業もありますが、そうでもない、業績も事業構成もなんだかあやふやな会社もたくさんあり、最近では、「上場」と聞いても名前を聞いたことがあまりない会社は有価証券報告書やその他の資料を見て業容を自分なりに確認しないと決して安心はできないと思っています。そういう意味で、昔ほど「上場」「東証一部上場」の威光はないし、逆に資金以外のそうした「プレゼンス」を出したいのであれば、webやイベント、広告などでいくらでも方法はあります。そして、その方が低コストだと思います。
上場には、その過程でも内部統制ルールの整備や監査法人の指導の受け入れなど大きな金銭的・人的負担が生じますし、維持するうえでも効率的な組織運営とは真逆のルールを敷きながら文書化や株主へ対応などに大きなコストを払っていかなければなりません。こうした「上場基準」のかなりの部分は、その時点での企業の規模や広がりに応じて企業の健全性を維持するのに妥当な統制ルールを大きく上回る要求であり、そこを売上の対象とする、証券会社、コンサルタント会社や監査法人の売上を増やすためのものなのではないか、と思うことが多くあります。
あるいは、形骸化した業務フローやRCMを見るにつけ、上場が目的になってしまってその場しのぎの制度導入をして、本来やるべき適切なリスクコントロールすら実際にはできていないで事故が起きる様子を見ると、経営者としてその在り方は投資家にも社員にも不誠実であろう、と思っているのです。
小さな会社が世界進出や大型投資を行うために、大きな資金を集めたいと考え、それが金融機関からの融資や私募債、非上場での増資、合弁などの業務提携では間に合わない時に初めて上場すればよい、というのが私の意見です。
銀行は100%返してもらわないと困る存在
では、どうすればよいのか?というとまずは銀行からきちんと融資を受けられる体制を構築することです。これと上場できる体制づくりは実は大部分が一致しているのです。当たり前です。収益が拡大基調で安定していて返済できることと、株主価値が増大しながら配当できることはかなり似た状況だからです。ただ、先ほどのVCと相違し、(少なくとも日本の多くの)銀行は行動原理が全く相違します。そのことを十分理解することが対応策を考えるには必要です。
先ほど、VCは口とは裏腹に、相当割合の投資案件が失敗することを前提としたエコシステムである、ということをお話ししましたが、銀行はその真逆です。回収不能にならないことが融資の大前提です。
VCは投資家(法人、個人)から資金を出資してもらいます、その時に、「失敗案件もあり、元本が棄損するリスクも0ではないが、大きく配当できる可能性が大きい」という説明をします。ハイリスクハイリターンです。それに対し、銀行は、(法人も預金はしていますが)個人からお金を預かっていますが、これは「ノーリスクである」ことが日本では前提となっています。昔はここに数%の利子が付くことになっていましたが、その金利の機能は預金側では、もはや失われて久しく、「金庫」としての機能しか預金には残っていません。それを銀行は企業の資金需要に対して貸付けし、利息を得て、その利息が基本的には銀行の利益であり、銀行員の給与の源泉です。
もちろん、金融緩和の流れで投資信託や金融デリバティブ商品の販売、最近では保険商品の販売など銀行も多角化を目指して取り組んだのですが、今のところどれもうまくいっていません。それも銀行が悪いのではありません。日本では個人にこれまで金融商品は大した需要がなかったですし、需要がある人は市中銀行よりも手数料のより有利なネット系金融機関や海外の金融機関で自分で選んで購入しているからです。他には外為関連の両替、送金や信用状発行などの手数料収入もありますが、地銀ではそれも限られます。
とすると、たとえば、どの借入希望企業も同じ金額の借入でどこも金利が3%だと単純化すると、33件融資して利息を得ても、1件返済不能になるとすべての利益が吹き飛び赤字になることになります。これが今の日本ではなかなかありませんが、もっと高い、たとえば8%の金利で借り入れられるとしても、12件融資しても13件目が返済不能になるとやはり赤字になります。
そのため、銀行は、VCと異なり、「確実に返せる」ところに、「確実に返せる」範囲でしかお金を貸せないのです。だから、担保(土地・建物や証券)があればそれを換金したら返済できる範囲では貸してくれます。しかし、無担保ではなかなか貸してくれません。損ができないからです。
「銀行は目利きができない」という批判がありますが、私はこれは正しくないと思っています。銀行がきちんと目利きをしていているからこそ、経営力のない会社には貸せないのです。上の例でわかるように、企業への貸出金利が中小企業でも2%程度しかない時代においては返済期間において98%以上倒産しないことが見込まれる会社でないと貸せないからです。だから、「困っている会社を助けない」のは当たり前のことです。
これを緩和するには、金利を上げるか、直接的な経営指導により貸し倒れ率を下げるかの2つしかなく、そのいずれも各金融機関とも取り組んではいますがこれはまた、別の機会に譲りましょう。
それでは借りる側はどうすればよいのか?ただ頼み込んでいればよいのか?あるいは個人保証をつければよいのか?というとそれは上で見たように正しくありません。個人保証をしたところで、個人が会社と連動して破産してしまえば回収できないので実際には個人の資産をはるかに超える規模の保証は単なる「脅し」でしかないのです。(これに関しては「経営者保証に関するガイドライン」が昨年改訂されていますので、これもまた別の機会にご紹介しましょう。)
一番の基本は、資金需要の必要性と返済が可能である事業計画を作ることです。当たり前のことをいうようですが、これすらできていないことが多い。ただ、最近「事業計画を作ってほしい」という依頼はよく受けるのですが、遂行の伴わない計画を作って私がそれを説明するということは弊社はお受けしません。自分の会社の行動を数字で表現できない経営者や、それがどのように自分がマネジメントするかを知らない経営者は、日本の中小企業にはごまんといますが、そういう人たちは正直これからの金融機関と渉りあっていくのは無理です。細かい具体化部分を弊社のような会社がお手伝いするのは良いと思いますが、その理解は絶対に必要です。
そのうえで、より重要ななのは、「遂行可能性への信頼」です。計画を作ること自体は弊社で手伝うことは比較的短期に可能なのですが、実際にそれが大部分は遂行可能であり、一部の誤算は他の箇所でリカバリーできることが説明でき、実際に実行できることが必要です。これは社長だけでなく、部長の資質、そして数字によるマネジメントの浸透という問題を伴うため、短期的な改善が困難です。ただし、資金繰りが企業の生死を決めること、それには「返済可能性が外部から見て十分維持されていると信用できること」が重要であるということを経営幹部であっても十分理解していないケースが多くあります。その「無知」こそが日本の言われなき、銀行悪玉論の背景にあります。
ですから、「一か八かの大勝負」とか「営業は確率だ」とかいうことを銀行にいわなければならないような状況、言ってしまうような幹部では困るのです。そうではない状況をつくらなければ借りられないですし、その状況が維持されていることを積極的に発信していくことで信頼を得ていくような努力も必要です。困ったときだけ泣きつかれても銀行としても困るのです。
また、見込みが外れてしまうことも経営にはそれでもおきます。その時に具体的な対処があらかじめ用意できていること、そしてそれを実行する胆力があることも実際には必要です。
日本では、「リストラ」は、主として以下のものが行われます。①役員報酬の見直し。②必要人員数の見直しと社員削減、③社屋等土地建物や車両等固定資産の売却、④不採算事業や拠点の廃止、⑤不動在庫の処分現金化。これは多くはその会社を深く知らなくても、財務関連データから問題の存在を発見することができるものであり、「外から指示や要求ができるもの」です。本来は、ここに至る前に、自社内で顧客の見直し、営業改善、単価改善、経費改善等をしておくべきだったのですが、それが不十分だったり、それを超える規模の失敗があると、「返済可能性」を維持するためには、こうした追加策が必要になる、というのが、日本の「リストラ」の多くの背景にはあります。
概要紹介はこのくらいにします。ながくなりましたので、次回にしますが、次回は、私が実際に取締役として銀行と与信(融資等)枠を巡って5年にわたって交渉し、そして最終的には緩やかに信用縮小した、つまりこんな偉そうなことを言っているが実際にはうまくいかなかった経験を差し支えない範囲で事例としてご紹介したいと思います。