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AI→機械学習ブームは終わったのか?

2年ほど前から、「人工知能」(AI)をうたった起業や新規事業がたくさん生まれ、投資対象の事業として人気を集めました。私の周辺でも、知識や開発力自体を売り物にする会社や特定の事業分野への応用を手掛ける案件などいろいろなお話を聞きました。実はそのうち一つにはお仕事でも関わらせてもらっていますが、周囲で盛んにもてはやされた若者たちの集団のかなりの数があまり高く離陸することはできず苦しんでいるような話を昨年末ぐらいから聞くようになりました。最近では、「AIというと外部からむしろ眉唾に見られるので、機械学習(ML)と言うようにしている」というお話まで聞くようになりました。

 

元々は私もだいぶ昔にWebアプリやデータサービスの開発を担当していたのですが、その後、人やお金に関する仕事がすっかり多くなり正直、最新の技術の中身についていっているとは言えない状況なのですが、記憶に新しいところでは、ブロックチェーン、その前は音声認識、ロボット、VR、ずっと前だとAR、あるいは私が開発担当だったころはXMLや軽量の携帯電話等で動作するミドルウエアなどそのたびに「話題の技術」を引っ提げて若者たちがどんどん挑戦するのに、あまりうまくいった事例が記憶にないのは何故なのでしょう。

実は悪いニュースばかりではなく、あまり派手には宣伝していなくても上場スケジュールに向けて具体的準備に入ったという「AI」ベンチャーもいくつかお話を聞くのですが、これらに共通していることがあります。これらはすべて、「ある業界の手数を減らす」ということがファーストメッセージの「具体的市場への応用」を行っています。

 

最近、ある方とお話ししていたら(その方もこうした「AIテックベンチャー」のお金回りの相談に乗られている方なのですが)それを象徴するような一言がありました。その方のお手伝い先の経営陣の方が「技術が売れない」と嘆いている、というのです。

 

「技術って売れるのか?」

その時、即座に私はそう思いました。私自身が長く、「ビジネス」を価値評価し、あるいは売り買いするような立場にいたからバイアスがかかっているのかもしれませんが、少なくともここ最近は投資家や事業会社が買っているのは「技術」ではないと思います。買っているのは「ビジネスモデル」です。(20世紀までのこの界隈のことは良くはしらないのですが、昔は「技術」に投資するというのがあったんでしょうか?)

つまり、社会である業種や地域や属性の人たちの今かかっている労力や費用を下げることができたり、娯楽性を高めたり、ということが十分認識できるほどに大幅に高確率で可能であって、それが比較的低コストで実現できること、そして、できるだけ容易に他社が参入できなかったり、代替材がなかなかない「障壁」があることが価値がある=お金を生み出すのであって、技術自体ではないと思うのです。

「すごい技術者」であるならば、悪いことは言わんからアイデアと技術をもってGoogleかFacebookに行けばよい。それが素晴らしい「技術だけ」であるならば、日本の会社ではそれを利用してお金に変えようと試行錯誤しているうちに、彼らが100倍の資本を投下して世界標準を確立してしまうでしょう。多少のブランド力や製品化力があっても、大きな市場で彼らに正面から競争して勝てると思っている日本企業はもはやありません。

 

逆に言えば、その「便益」が実現できるならば、そこに用いる技術は何でもよい。必ずしも最先端のもの、高速なもの、小型なものでなくてもよい。それはβマックス、プラズマディスプレイの歴史が証明している。昔は高速なコンピューターでモデルシミュレーションしていたものが、今は比較的安価にAI技術で精度も良く計算できるようになったかもしれないが、来年にはまた違う技術が現れていて、そちらの方が実装しやすいとか安いとか、ろくでもない理由で普及するかもしれないが、「ある人たちが便利になる」という便益がむしろ良くなり、それに必要な費用が下がるならば、市場はそれでよい、ということは経営もそれでよい。技術名は何でもよいし、多くの利用者は安くて便利であればよいのであって、技術名には全く関心がない。

必要なのは、「技術」ではなく、「実現可能な、そこそこの市場があり、ちゃんとした便益がある商品があり、参入障壁のあるビジネスモデルが見えていること」である、ということはビジネスの世界にいる人にとっては当たり前のことなのだが、「技術者」には当たり前ではないのかもしれない。

 

では、技術はどうすればビジネスに変えられるのだろうか?

逆に言えば、多くの優秀な技術ホルダーたちはなぜ自分のビジネスを立ち上げることが出来なかったのだろうか?それは、ビジネスの知識や実践力が不足していたからなわけだが、決して彼らとて、「技術偏重ビジネス軽視のマッドエンジニア」だったわけではなく、「マーケット」というものに必死で取り組もうとしたのだとは思う。しかし、ここ最近の話を聞くに、どうやら「マーケティング」「ファイナンス」といった「科目」の内容を「読んで知っている」ことをもって、対応できると過信していたのではないか?という話を見聞きするようになった。

そうした「理論」は説明を論理だてたり、今の取り組みの中で不足点を見出すフレームワークとして活用するには便利であるが、実際にそれによってビジネスが方向づけされ決定されているか?というと実は全くそんなことはないのであり、キーマンを如何に探し懐に入り込むか、いかに強い販売網を利用するチャンスをトップとの会食で手に入れるか?というような幸運と腕力で決まっているような要素がたくさんあるのが起業の現実であり、その「幸運」にできるだけ要領よく近づくためのPDCAを執念深く続ける組織オペレーション力が必要になる。そうした「地力」は誰もが持っているものではなく、理論家とはまた一線を画すものである。歳を取っていればよいというものでも全くないのだが、そういう「ゴールに現場を引っ張っていく腕力」を過去にビジネスで発揮したことのある人を中核に据えるということができていなかったのではないか?もしくは、理屈通りにビジネスが運ぶと過信していたのではないか?

そんな風に見える情報が最近多い。

 

人はそれほど賢く合理的ではない。好き嫌いが先に会って結論を出し、理屈は後付けというようなケースはいくらでもある。

 

実は、そうしたお金、人、市場へのパスといったことを具体的に考え、口だけでなく自分で行動できるという人は優れた技術者同様に非常に希少であり、なかなかに高価である。世の中に「起業を支援する」という組織はたくさんあるが、こうした実務能力を具備し手取り足取り教えてくれる、という人は少なく、金融機関関連などで「資金だけ」協力してくれたり、意見だけ提供してくれたりするという組織が多い。それでも何もないよりはありがたいし、それぞれの組織にはそれぞれの採算基準やコアコンピタンスもあるので、これらの組織に文句をいうのも違うと思うのだが、こうした「生半可な協力」が経験のない起業家たちには、「成功のパスポート」に見えてしまっているのではないか?実は、そこで得られる助言は、やるべきことの一部、それも表面的なことでしかないことが多いということを、かえって気づかなくしてしまっているのではないか?とも思う。

 

ビジネスのリアルな現実を見せ、本質的に足りない点が何なのかを半ば叱咤しながら教える「起業版RIZAP」が今の我が国には必要なのだと思うのだが、皆さんどうでしょうか?

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