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過剰な為替デリバティブをなぜ契約した?

これはまだ終結して10年もたっていない出来事なので、事実関係は少しぼかして書かせていただきます。

中国現地法人の総経理から日本に戻ってくると、別のグループ会社で中国進出するので手伝ってほしいという話が来ました。喜び勇んでうかがうと、そこで待っていたのは、買収した会社が膨大な為替デリバティブを抱えているという状況でした。上場企業の連結子会社ですので、これを時価評価しなくてはならないわけですが、その会社の買収を実質決めたのは2008年の秋、その後あのリーマンショックが起き、為替相場は1ドル110円台から一気に80円を切る水準へ円高が進み、そして80円近辺でその後しばらく推移しました。

それからの3年あまり、バニラやらヨーロピアンやらという為替デリバティブ用語との闘いの日々が始まり、佐藤明夫弁護士にもお力を借りて複数のメガバンクと解約の調停を受けることに奔走しました。この内容については守秘義務がありここでは記載できません。しかし、2005年前後に中国から輸入を行っていたSPグッズなどを下請けするオーナー系中小企業で、この過剰な為替デリバティブと相場の急変に翻弄され経営が傾き、あるいは消滅への道をたどった会社はほかにも相当数あることを知っています。そしてそのうち、2つは私は経営に深く入り込むこととなりました。なお、この過剰なデリバティブ等金融商品の販売というのは、その後2007年頃に金利オプションの件で金融庁の指導が某メガバンクにあったことを契機として鎮静化したので、その前数年に集中していたものです。

なぜ、こんなことが起きたのでしょう?決して銀行を悪者にして終われる話でもない、と私は思っていますし、今回のテーマは「経営者のマインド」なので、それについてもう少し書かせていただきます。

実際私が見てきたケースでは、実に団塊の世代の経営者にありがちな構図、そして大手銀行の正体がそこには横たわっていました。まず、銀行側は、低金利時代に、貸付よりも何十倍も利益が上がる金融商品販売で営業の成績評価が左右される状況がたしかにあったわけですが、すでに右肩上がりの事業計画で融資、輸入与信枠、貸越枠設定を受けていた中小企業のオーナーは格好の営業対象になりました。その右肩上がりの計画すら、融資等を実現してその会社を助けるための銀行の営業担当者の口添え、下書きでもあるわけで、経営者自身にそのような計画を策定する力がなかったケースも多くありました。銀行のことをあまり大っぴらに悪く書くと、私の金融支援にも影響がでるのでここはこのくらいにしておきましょう。そして、為替デリバティブがリスクがある商品であることが説明されていなかったか、というと決して説明していなかったわけではありません。

石油元売りや自動車メーカーのような膨大な外貨取引がある会社ならば、その道の専門家もいるでしょうし実需も大きいだけに、多少の設定ミスがあっても吸収することもできるでしょう。しかし、団塊世代の中小企業の経営者が為替予約のリスク、デリバティブとは何か、レバレッジ(あるレートに達すると、2倍の金額を買うという条項が発動する)をなぜ利かすのか?をきちんと理解していたか、というとそもそも理解する財務的素地すらなく、あるいは為替のボラリティや最大時の発生するリスクを検証、確認してくれるスタッフが中小企業にいるわけでもありません。しかも、私が見た企業は、月商1億~2億の規模で、2~4行から合計でその月商額をはるかに上回る予約をしていました。

まず、日本人の特有の「相手の空気を読み、相手に合わせてしまう」という判断をこんな重要事においてもしてしまっていたように思います。「今後業績も拡大し輸入も増えるでしょうから」「そやなあ」「円安が進んだ場合(もちろん銀行は円安になるとは言わないわけですが)には、実際の円建て費用は増えてしまうわけで販売単価が一定では赤字になってしまいます。」「それは困るわ」「先の為替を予約する方法がありまして・・・(為替予約ではなくてオプションなのはよくわかっていない)」という話をされていたようです。そこで経営者自身も実はこれがなんだか怪しいぞ、ということは気づいていたわけですが、そもそも輸入の信用状取引の与信枠が小さな会社なのに数億円に達したり、出版社相手の付録の販売だと長期の手形販売だったりと、小さな会社なのに大きな与信枠、貸越枠が必要な弱い立場に置かれていたため、「銀行とよい付き合いをしていかないといけない」という気持ちがまず先立ったのです。窮状に至って20以上も年下の私になぜ、そんなことをしたのか、と言われて、複数の経営者が「銀行がそんな悪いようにするとは思わなかった。」という話をしました。そして、一行が販売に成功すると、他行は、「なぜうちはダメなんですか?」ということを口にはしないが匂わせてプレッシャーをかけてきたようです。

そのうえでこの高度成長期を作り上げてきた世代特有の「需要は拡大するのだから業績は拡大していくはず」という過去の幻想がかさなっていて、さらに自分の人生をかけてばくち的事業を乗り切ってきた勝負師としてこのようなかけ事が嫌いではない、という特性も共通していたように思います。仮に当たってもうけが出たら、その枠を他社に供与して手数料を取ればよい(業界でいうLC貸し)というような色気もあったようです。そして、この業界、実はジュースのおまけや雑誌の付録を中国で作る、ということが隆盛していた時期だったので、それがいつまでも続くという錯覚もあったようです。実際には、こうしたSPグッズというのは、顧客の変化もあれば、消費者の飽きもあり、生産地の中国の政治経済的変化という要素もある中で、自分たちも変化を迫られる可能性は意識しておくべきなのですがそうはできなかったのです。

では、「逆に動いたら会社がつぶれるとか思わなかったのか?」と聞くと、「その時は主力のお客さんへの提供価格を今と同じにすれば、別に問題ない」という計算もあったようです。ここにも「今まで数年懇意にしてくれたお取引先がそんなに簡単に自分たちとの取り引きを切るわけがない」という大きな思い込みがあったのです。しかし、実際には、円高になれば容易にその日本を代表する大クライアント達はそれに見合う値下げを要求し、それに答えられないと答えられる他社に発注を切り替えていきました。彼ら発注主にとって、メーカーは、為替や海外生産の品質やナショナルリスクのヘッジ先であり、代替可能な存在であるという視点が、飲食の絡む(多くの場合こちらが負担しているわけですが)付き合いの中で麻痺してしたのです。

こうして記載すると、さも段階世代の中小企業経営者が頑迷であるかのような印象を与えるかもしれません。しかし、私が知るこれに苦しんだいずれの会社も、経営者はとれも魅力的な人物で、そのデザインや技術はとてもチャレンジングであり、それゆえに一時はメディアで話題になるような成功を収めていました。日本のSP業界を変えた存在でもありました。しかし、彼らの意識は営業やそれを支える生産にあまりにも偏っていて、総合的な判断やリスクを分析し大きなリスクにあらかじめ備えるような本来の意味の内部統制はとれておらず、それが極端に悪い結果を生んでしまい会社を傾けたという出来事でした。かつてはこの機能すら銀行が支えてくれていた部分がありました。しかし、その銀行も自分たちの収益を稼がなくてはならない時代になったとき、彼らはカモになってしまったのです。

どの会社でも数年にわたってデリバティブは契約されていました。評価損は数億円におよび、毎月平均200万ドル程度の決済が実勢レートよりも20円以上高い水準で行われ、結果その掛け算の金額の為替差損が実現していき、他の様々なガバナンスの問題もあり私の管理業務人生の中でも、最も長いトンネルの時期でした。

 

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