前回(こちら)は、営業プロセスを分解し、各要素を個別に改善していくことで全体を改善していく、という改善プロセスについて実例とともにご説明しました。電話の件数、初回の訪問件数だけに頼って怒鳴り散らす営業マネージャーはダメなマネージャーだということもお話ししましたし、それでも達成できない場合、それはその商品のマーケティングミックスやそもそものその会社の資源とのミスマッチに原因がある、つまり「経営の失敗」である、ということを御説明しました。
【分解的アプローチの長所と日本の中小企業の現状】
営業に関しては、新規採用人員の「教育コスト」は商品自体の勉強のほか、顧客のニーズ、競合の動き、社会の変化などとても多面的で時間もかかるものであり、難易度も高くコストも大きい、経営上の課題であるにもかかわらず具体的対処がされていない会社がほとんどです。もっと悪いケースになると何も教育をしないまま、「OJT」と称して勉強は本人任せにして、売れないことをその人の実力に帰結させている会社も実は相当割合あります。そのあたり、要件となっている技量さえあれば、実務対応は比較的早期にできるようになる経理やデザイン、ソフトウエア開発とは明らかに相違する部分があります。こうした視点からはまた、他の業務と異なり営業が相当外注が困難である、ということにもつながります。世の中には「アポどりの外注」という会社がありますが、使ってみると相当細かく範囲を限定し、トークを指示していても、それでも取れたアポの質は思っていたものと全然違います。質の高い訓練された営業こそが、技術を売り物にする会社を含め多くの会社にとっての「コア」である、と私は思っています。
この方法は、そうして分解したプロセスに対して、アイデア出しと試行錯誤から得られたベストプラクティスをマニュアルという形で残して平均値を上げて組織を底上げしていく、あるいは教育期間を短縮する(教育コストを低減する。)ということを可能にする、経営にとってかなり望ましい「方法論」です。光通信、リクルートなどの好業績の営業会社ではこの方法論を自社なりに咀嚼して全社で絶え間なく運用し改善サイクルを回しています。「KPI(Key Performance Indicator)」という言葉を聞くことがあると思いますが、前回上げた変数のうち、特に重要性が高いと考えるものをKPIと呼び、これに着目して集中的に手当てするというところは各社共通しているようです。そして、この方法は小さな会社、数人の営業チームでも十分に適用が可能であり、販売対象や手法が変わっても応用が利く方法論です。
いろいろな会社とお話する機会を得ても、ここの営業の構造的な管理、というところはできている会社がほとんどありません。当社も当初はここをそんなに重点を置いてノウハウをご提供するということは想定しておらず、ビジョン、予算統制などをメインに置くつもりでいたのですが、むしろこの話の方が多くの会社にとっては目新しいスキルと映るようで今ではすっかり人気コンテンツ化しています。ありがたいことです。
しかし、いいことばかりではありません。
【人のこころは科学に従わない】
この方法は前述のとおり、平均値を底上げし、プロセスと改善状況を可視化するのに優れた方法ですが、私自身は若いころにこれを適用された時にとても嫌な感じがしました。そして、管理者、法人代表となりこれを適用する立場となった時にも躊躇がありました。
この方法は、基本的にはチームで同じパターンを同じ手法で多数回繰り返す、ということを前提としています。そして、実際にやってみると初期に得られる結論は、「まずアプローチ回数(電話や初回認知接触のための訪問)が圧倒的に足りない」ということであり、そこを解決すると次には、「きちんと簡潔に初回に伝える内容が伝わるよう資料、ツールを整備し、そのあと相当回数のロールプレイイングトレーニングを行って、その際の営業マンの合格不合格を明確化する」ということに行きつくことが多いのです。だいたいの組織がこの最初の段階で躓いています。そして、そこをクリアすると他に様々な工夫があるわけですが、通常はこの二つがもっとも影響度(成果)が大きい、ということが多いのです。
結果として、あんなにけなしていた「馬鹿な営業リーダー」と同じく、「もっと電話をかける回数を増やす」「ひたすらロールプレイイングで、優秀社員のノウハウを詰め込んだ資料の説明と対話の練習をする(その過程で理解を定着させる)」ということがやることになってしまいます。結局、これらが「営業」の基本であることは間違いないです。スポーツ選手が基礎動作を毎日繰り返し確認しているのと同じく、営業のプロの基本はここにあるのですが、それを強いられる社員の側は「方法論」を理解しても、それを自分が進んで受容するかというと、やってみると結構心理的な反発・あるいは摩擦があります。そうです。それが積み重ねできるぐらいなら、みんな一流のスポーツかゲームかビジネスかのプレイヤーになっているはずで、そうではないからそこにいるのですから。
科学的にアプローチすることにより、パワハラまがいの営業組織の運営から脱却し、もっとみなのノウハウを結集した営業組織の運営を目指したはずなのですが、優秀な営業マンほど、この段階で思うのです。
「俺ってこんなこと一生やって過ごすんだっけ?」
しかも、何も管理していない時に比べて、きちんと数値管理しルール化されている分、「檻の中」感を強く感じ、退社しやすくなるのです。いえ、別にこんな方法を用いなくてもたくさん売ってくれる、という結果をもたらしてくれている人はそれで全然かまわないのです。ですが、この方法で、各プロセスを分解し対策を練る際、彼らのハイパフォーマンスデータと行動の観察と分析こそが「教師データ」なので、彼らは「手本」として衆目の下に監視されてしまうのです。大事な時には集中して資料を読み事前調査はするが、普段は喫茶店でのんびり時間調整していたりするのが実情なのに・・・。
この「ハイパフォーマンス人材のストレス」を防ぐ方法は彼らの給与をアップすることと、公式非公式に成績と貢献を顕彰することに限られます。しかし、この「優秀な営業マン」を管理者にするべきか?というとそうではないことの方が多い、というのもまた組織にとっての問題です。
【こんな人が営業マネージャー】
こうした仕組みの運用に対処できる営業マネージャーというのはどんなひとなんでしょう?まず、こういう人を選んではダメ、という人はいくつかあります。
基本的には、このマネージメント作業、とても地道でなかなかうまくいかないことを粘り強く一緒に考えるというコーチ業です。これですね、別の機会に記事にしようとおもったのですが、今の年を取ったスポーツエリートが起こす「スポーツ団体不祥事」と同じ構図のような気がしてなりません。
逆にこういう人がすごいというのはこんな感じです。
これを書きながら思い出していたのは、剣道部でやたら声の大きい厳しめの部長の補佐役で、面倒見の良かった先輩です。
このような分析的アプローチでの営業組織の管理者は、彼のような営業マンの心理をケアできる「包容力」と大きなEXCEL表を更新しながら要因を洞察しそれを素早く言語化し、全員に周知するという「頭脳」の持ち主であり、往々にして直観で顧客に食い込める天才肌の営業マンとは相違していることが多く、「自分はプロ・専門職として評価されるが、偉くはなれない」ということが、この方法論と組織運営ルールから彼らが導く一つの結論でもあります。
学校を出て最初のころは仕事を覚えて実績を上げようと必死であり、同時になにやら正体の分からない「営業」というものが「方法論」で理解できることに納得感をもって取り組んでもらえるケースが多いのですが、30代、40代になるとこうした心の問題がマネジメントを難しくします。経営に携わるとたびたび思うのですが、「合理的な経営」の最大の障害は、「人はみな合理的ではない」こと、そして、「人は老いる」ことなのです。
現時点で営業組織で普遍的に改善可能なアプローチとしては、このような「KPI」をベースとして分解的アプローチを上回る方法はありません。よくAIDMAモデルに代表される心理学的アプローチが講義では取り上げられますが、それを「資料」に生かすことはできますが、社長さんの組織運営に生かすという方法論はありません。したがって、このような方法を導入しつつ、心理的な摩擦を感じる上位者には別途ケアする、という対処が現実的対応となります。
人は不合理であり、しかも中小企業にとっては、「いくらでも変わりのいる交換可能な資源」ではありません。心情だけでなく、経済的合理性の面でも習熟した営業担当が抜けることはそれを補うことがとても大変な損失なのです。下位者は離れるに任せればよいか、というと中小企業ではそんなわけにはいかないのが実情で、だましだまし、ツールを改良しながら頑張ってもらうしかないのです。そうなるとこういう方法を強度を調整しながら使っていくしかない、というのが結論です。
【私が大手上場企業を辞めてしまったわけ】
私は、この方法論を徹底するある営業会社の子会社の代表だった時、この変数の一部、具体的には先ほどの架電件数なのですが、これを「やり切れない」、「やりたくない」メンバーがいることに対して、15歳若い商品部側人員から「そんなの、さっさと人、入れかえろよ」と言われたことを契機に、この会社を辞めました。
大会社の中で「人が代替可能な資源である」として教育を受けてきた彼らと、それほどでもない組織と資金をやりくりすることを20年やってきた私との間に埋めがたい溝を感じました。そしてその会社はこの「科学的アプローチ」を万難を排して実行することで成長を続けてきたことに対して自分が子会社の経営者としてもはや失格である、と感じたのです。ただ、何年も一緒にやってきて苦労を共にしてきた同僚たちを会社の方針と営業対象が変わって心理的な障壁があることを無視できるような経営の仕方はしたくない、と強く思い決断し、そして、きぼうパートナーを始めたのです。営業は科学できます。今回は細かい点を省きましたが、相当範囲で構造的なアプローチが可能です。それをお教えすることもできます。しかし、それに携わるスタッフの気持ちを無視して突き進むことは科学の横暴であると私は思っています。そういうことに共感していただけれる社長さんと私は仕事をしていきたいと思っています。
最後はつまらない身の上話をしてしまいましたが、「営業の科学」はいったん、前回と今回で終了です。