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知っていますか?有給消化義務化!

2019年4月から有給休暇の消化が年5日義務化されます。ジャパンビバレッジの「全問正解で有給チャンス!」みたいな人格のおかしな管理職もいますので、念のため記載しておくと、有給休暇は法定で労働者が使用できる「権利」です。会社が許可しないということは許されません。よほど経営に支障があれば(これもかなり限定されています。)、時期の変更を協議することが法律上会社に許されています(時季変更権)が、いつでも自由にとることができます。

 

【これは、日本のホワイトカラーの「部活根性論的経営」の終わりの始まり】

 電通事件以降、昨今の過重労働防止(残業制限)、そして今回の有給休暇取得の強制的推進は、日本企業に根強く残る「部活根性論」が、ホワイトカラー業務での成果とは連動しない幻想であったことを、「部活的根性論」で学生時代と企業戦士を生き残ってきた管理職(私も実はそれに大きく染まっていた一人なのですが)に突きつけ、きっと戸惑わせるものになるであろう、と私は考えています。部活根性論自体、様々なスポーツで覆い隠していたものが次々噴出し、60代、70代の「偉大な指導者」が一夜にして「時代錯誤のドンキホーテ」扱いされることを毎週の我々は目にしているわけですが、それは他人事ではない。スポーツだけではない、日本社会に深く根付いているものだと思うのです。

 

今回の「義務化」をもう少し説明すると、年5日については社員の希望を聞きつつも会社が日時を指定する形で「ここで消化してね」という指定を行い有給を取らせることになります。義務を負うのは、「社員」(とる義務ではない)ではなく、会社(とらせる義務)です。そうなると、通常のオフィスでは、もともと有給取得者が多い休みと休みの間の平日や三連休前の一日を「一斉有給休暇取得推奨日」に指定するようなことが現実的でしょう。現に今でも夏季休暇は旧規定のお盆時期3日間のまま、その前後に一斉取得推奨日を設定して事実上夏季休暇を延長している会社もあります。私個人の意見では、どうせ仕事しないであいさつやら初詣やらしているのだから、それを廃止して1月4日を推奨日にして、5日からフル稼働すればよいし、年末最終日もなんだか仕事しないであまり効果のない掃除をしてあとはダラダラしていたりする会社が多いので、そういう会社はそこも休みにしてしまえばよいと思っています。

 

低い低いと言われる有給休暇の消化率ですが、実は平均すると60%程度が消化されているようです。これはみなさんの実感と一致していますか?たぶんそうではないでしょう。ちゃんと消化して海外旅行に年に2度も行ったりしている人がいる一方で、2,3日しか「取れない」という人もいる。かくいう私も10年程度は有給休暇のある立場(専従の取締役には有給休暇はありませんでしたので)にいたのですが、たぶん最高に消費した年で7日ぐらい。そのうち、5日はインフルエンザで伝染防止で出勤できないというものでした。でも、その海外旅行に行っているような「遊び人」が実績をあげていないかというと、実は全体の中でいい方の順位であるケースの方が多いようにも思います。

 

それを「要領がいい」と苦々しく見る人もいるようですが、要領がいいのは実はオフィスワークでは重要な能力の一部です。それは、「嫉妬」です。

オフィスワークの場合、労働時間と実績はあまり相関性がなく、能力が占める要素が多いし、工場作業のような仕事よりも個人の能力差が非常に大きいです。同じ内容を完成させるにも、5分で終える人と、1週間かかっても終えられない人がいるわけですが、それを「時間で補える」という誤解があるのも感じます。また、「時間で補える」のは「作業」であって、それが「成果」ならばよいですが、「成果」は売上やデザインセンス、あるいはシステムの完成度であるわけで、時間をかける人ほどむしろ「下手」でたとえばシステムならバグも多く、営業なら余計なトラブルを呼び込んでくるなどセンスもよくない傾向にあります。

その残酷な「能力差」の存在をまず個人も会社も認め、それを埋める努力は個人がすべきことである、というところをまず出発点にするべきだと思います。会社は学校ではありませんので、実力に差があれば、給与に差があるのは当然のことです。そして、能力のある人を選別して使えばよいし個人も企業を選別すればよい。その当たり前のことが今までの日本企業では「村落共同体」精神から「言ってはならないこと」、「不道徳なこと」とされてきた傾向があるわけですが、だからと言ってそれが守られてきているか、というと今起きているのはそうした文化が海外との競争で負ける要因になっていて、しかも建前ではそれを保持しつつ、実態としてはすでに相当部分がセーフティーネットのないままなし崩しになっているわけです。

 

昨今の残業制限、そして今回の有給取得義務化といった一連の流れは、日本に根強く残る「根性でなんとかなる」という思い込み、あるいは「言霊信仰」をいよいよ打ちこわすことになるでしょう。そして、それは労働者にとってはある意味「実力がないと救いがない」残酷な事実を突きつけられることに直結することでもあり、顧客の支払い意思に直結しない日本的な自己犠牲や完璧主義が「ムダ」と堂々と評されることが許される時代を切り開くのではないかとも思っています。

 

【取れなかったのはなぜか?取らなかっただけだった】

でも、本当にとれなかったか?というと取らなかっただけです。オフィス系ではそういう人が多いのではないでしょうか?

なぜ、取らなかったかと今振り返って述べると、開発や営業、管理などのオフィス仕事の時は ①.自分が報告するか主催する会議が2,3日おきにありその当日と準備のため前日、前々日は休めない。②月末は収益責任者は最後を締めてメールで社長やり担当役員に報告するのが当然という空気 ③休んでも、アパートでは家でやることがないし、遠くに行って何かスポーツや美術を鑑賞するような素地がないので、お金を使わないと楽しめない。 というところです。見て分かる通り、これらは「風習」や「空気」に流されているだけで、実は利益には全然関係がありません。報告は表と文章でメールですればよいことですし、意思統一は口頭でやるより、戦略と行動を図化したものを配布し、各自と空いた時間に5分個別にミーティングして疑問点を解消できていることを確認すればよいことです。③はそういう国、文化で「戦闘員」として生きてきたので、何も知らないという私の悲しい現実です。

そもそも、「自分がいないとできない」仕事があることは、それ自体が組織として問題であり、常に代替可能である状態にすることが指示すべきことですし、「自分がいないとだめ」というのは完全に思い込みです。私は起業する前、大手上場企業の連結子会社の代表だったのですが、皆から「あなたがいないとだめだよ」と言って引き留めてもらいましたが、今その会社は残ったメンバーで私がいた時以上に頑張っています。うれしくもあり、「なーんだ」というさみしさもありますが、私自身、仕組みを作るというプロセスでは私の力は十分発揮できたと思っていましたが、運用と改善という次の段階ではもう私がいなくて大丈夫という自信がありました。

 

【そんな悠長なことを言っていられるのは、実はホワイトカラーだけ、という批判は当たっているか?】

ただ、それができるのはオフィス業務の会社・現場だけであり、店舗がある会社や、ジャパンビバレッジのような毎日配送がある会社は、結局のところ人を増やすか、休業日を増やすかしないと回らないわけです。しかも、人を増やすためには単価を上げなくてはならないが、それを顧客・発注主は許さない、あるいは自販機の欠品は許さない、という問題の構図がここにはあるわけです。私の子供のころはコンビニなんてないのに、自販機の欠品なんて当たり前のようにありましたけど、なんでこんなに日本人は費用も払わず完璧を口を尖らせて人に要求するようになってしまったんでしょう、私の知る限りこんな国は日本だけです、というのは実は日本のサービス業の生産性が他国に比べて著しく低いということに深い関係があり、その誘因は社奴を養成する学校教育とそれを再生産する家庭教育にあると私は思っているのですが、これは経営者が直面している問題には直接関係ないので、ここでは論じないでおきましょう。

 

私も昔、家電店に勤めていました。私も店舗で12連勤、本部で19連勤、しかも連日深夜2時退社とか当たり前でした。そして、その会社は潰れました。

そう、もうこれが答えです。私がいた家電店は260億円程度の年商でその地域では長らくNo1の地位を占めていたのですが、90年代後半に北関東からヤマダ、コジマが進出して来て、価格、営業時間、サービスで激しい競争になりました。価格で下をくぐり、営業時間を競合よりも延長し、配達は即日社員が閉店後行うことになり、それでも既存店の売り上げは落ち込む一方でした。家電店は人気のある各メーカーの主力商品は近くの他のお店でも扱っているし、展示・在庫もあります。メーカーもそのように指定してきます。そして価格帯やサイズ別に陳列すると必然的に似た売り場ができます。近くにそれがあれば、普通に需要は分散しますし、その相手がバンバンCMで安いと言えば、当然そちらに顧客は流れます。当時でコジマが2000億円に届こうか、という時期であり、この私がいた会社の徹底抗戦方針は負け戦が最初から社員にも見えていた無謀な戦いだったのです。

しかも意味のない改装閉店セール、DM封入とお電話で社員は疲弊していき、売り場は能力がある人から辞めていき、他には行けないような人ばかりが残っていく。急ぎ社員を補充しても、来てくれるのはサービス業には向かないようなタイプの人ばかりになっていきました。実は私もこの崩壊の最終盤、体がもたないという本音を「仕入れたものではなく、自分で作ったものでないと差別化できないと思いそういう仕事をしたい」という建前に包んでソフト開発業務に転職してしまいました。こうした会社は勝ち組に対して策を見いだせないまま「負け戦」を延々続けている会社である、とみるのが正しく、会社はその戦局は放棄して退却して他方面に進出しなければならない、その兆候がなければ社員は自分を守るために逃げ出さなければならないということが事の本質である、と思うのです。

もう間もなくすると、「中小企業の悲鳴」と称して「有給休暇義務化」の取材がされるようになると思います。でも、全然困っていない、むしろそれを歓迎し利用しようとしている会社も同じドメインに実はあるのです。優秀な人を集めるアピールをするのに、新興勢力にとってこれはチャンスです。そして、少子化・規制強化の中で同じドメインで下位の会社はどんどん苦しくなっているのが、こういう機会に顕在化していくのです。ジャパンビバレッジにしても、棚が大きく集客力のあるコンビニに対して、位置が分散してちょっとしか入らない販売機に品切れなく補充し続けなくてはならない、しかもコンビニに、それもコンビニPBに需要が吸い取られている、という呪縛の先に光があるのかというと、私がいた会社のように、もう「死の行進」に入ってしまっているので、支店長からして頭のおかしな人がならざるを得ない状況になっているのでしょう。現場の大変さは配達のバイトを思い出し、少し涙がでそうです。

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