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実録:銀行与信はこうして縮小した

先週から、回か中小企業、それも若い企業の「資金調達」についてご紹介しています。最初にVCに代表される「資本」の調達についてご紹介したあと、前回からは、銀行融資についてご説明しています。前回の記事はこちら

ベンチャー界隈(隅っこの方ですが)におりますと、なんだかVCや業務資本提携先企業から「〇億円到達しました。」と宣伝することがステータスになっているかのような光景を見ます。必要な分だけ銀行融資を活用して成長を図ることが頭の悪いことであるかのような言われ方すらすることがあります。そう言う人たちはベンチャーは、仕組みが出来上がった大手企業と異なり、「計画性」や「精度の高いハンドリング」ができないものだという前提が界隈にはあり、それを要求する銀行とは相いれないものだということを言うのです。

私はその前提にこそ、ベンチャーが「当たるも八卦」の世界と世間様からさげすまれる本質が潜んでいると思います。会社が計画的に制御可能であることは、会社が多くの関係セクターに指示され、やがては株式を公開して公的な存在となるために最も重要なことであると同時に、「潰れない」最善策です。そのためには、「右」と号令をかけたら機敏に右へ一斉に曲がる統制力、軍律が必要だとも思っています。今でも、和気あいあいを大事にしているベンチャー企業からはこうした「統制重視」は疎んじられているのですが、そういう企業は緩やかに死に向っているとも思います。それは、今回お話しするこんな出来事があったからです。

それは、いきなりの債務超過から始まった

私が中国現地法人の総経理から帰国すると、あるグループ会社が会いに来てくれ、新設法人を手伝ってほしいと言われました。数年前に改正されていた会社法の会社分割を利用して分割吸収合併の仕組みで業界中堅企業を買収して新しいグループ会社を新設したのです。ところがいろいろ(ここが実に重要なのですが)な理由で、この会社は中国で製品を大量生産しそれをドルベースでコンテナ単位で輸入する会社でしたが、以前別記事で書いたように為替デリバティブを大量に保有しており、リーマンショック後の急激な円高で膨大な評価損を抱えていました。増資で債務超過は回避するものの、為替が円高に進むとまた評価損が増大します。そもそも上場企業連結子会社では金融商品を時価評価しなければならないという基本を幹部がわかっていなかったらしい。

そして、毎月毎月為替デリバティブが実現するごとに、評価損が実現損に数百万から多い月で2千万円ぐらい変わっていくのです。被買収企業の幹部は、「円高が進み輸入価格が下落しても、日本のエンドユーザーへの販売価格は維持できる」と言い、他の幹部をそれを信じるのですが、その会社に移籍した私はそんなことは絶対に実現しないと幹部会議の末席で言い放ちました。「競争が存在する」とはそういうことです。実際は私の言った通り、リーマンショック後の景況感に受注単価は下落するばかりでした。
 そんな中、私の管理本部長としての仕事が始まりましたが、当初の主要な業務は買収した大阪の会社のお金の使い方やそもそもお金の動きを明らかにし、統制することと、事業計画の作成と実績対比を行い、予算統制の動きをすることでした。

ところが、ここで大きな誤算となったのが、先の為替デリバティブです。これが実現するごとに、キャッシュが減るわけです。具体的には、1ドル80円で買えるはずのものを、1ドル122円で四半期に1回40万ドル買うという契約が10個ぐらいあるうちの1つの契約だったりするわけです。これ1回で1680万円の損失です。そして、商品が150円ぐらいで売れていれば、その損失を埋め合わせてなお利益が出るわけですが、実際には85円でしか売れないとすると、当月の現金は、(122-85)×40万=1480万円失われることになるわけです。年商が25億ぐらいの会社で、このデリバティブ契約が年間20億円分以上、向こう3年以上続くわけです。
この勢いで現金が失われては会社は潰れてしまいます。オーバーヘッジもいいところです。その過酷な状況でも潰れない事業計画を作らなくてはならないわけですが、まずそこで私は誤りを犯しました。

なんとか1ドル120円ぐらいの円安になる奇跡が起きないか(それは起きないことは実際にはわかっていた。当時は「質への逃避、円キャリー、通貨安競争という言葉が最初に言われ始めた時期でした。)と毎朝毎晩思いつつも、作った事業計画は、売上が急成長し、為替デリバティブによる予約外貨を大きく上回る外貨需要が発生し、そこの必要外貨は流れで買うことにより為替デリバティブの会社へのインパクトは薄まるし、利益は増大するというものでした。しかし、それだけでは計算上利益額は十分ではないため、売上高売上総利益率が継続的に改善するとともに、売上高販管費率が下落するという筋書きとし、これを役員会に報告し、了承を得たのです。

もちろん、絵に描いた餅では意味がないことも、その実現が他人の仕事ではないこともわかっていましたので、利益率の改善については、エンドユーザーとの直接契約の実現の可能性や、見積もり時の原価積算方法の速算手法の開発提供を行い、同時に膨大な交際費や海外出張費(日系会社の使用禁止)の圧縮を行い見積の全数チェック体制を敷きました。そのほかにも買収した企業の保有していたゴルフ会員権やリゾート会員権の売却、車両(実際にはオーナー家族の私用車3台と社用車1台)の売却とカーシェアへの切り替え、その後は大阪支社となっていたタワーマンションの一室の売却などを急速に行い、現金手当を行いました。

しかし、肝心の本業は改善しませんでした。むしろ悪化する一方です。決めた方針に誰も実際には従わなかったのです。当初は、社内に買収した側と買収された側の2グループがありこれが反目しあっているいることが原因だと考えていたのですが、それは違う、ということがやがて私にも理解できました。本当の原因は、その2グループの取締役やその下の幹部に、「今までやってきたことを急ぎ変えて会社で決められたことに従う」ことが会社として必要である、という経営の「ユニティ」に対する理解がほぼない、ただの「職人の親方」だったこと。そして、数字と行動とをシンクロさせる、というマネージメントに対する知識や数字に対する感覚が全くない人を役員にしてしまっているために、「行動を変革することが指示されない」ことの失敗でした。実際、その変革には、集めたばかりの社員の主に年齢層の高い方の2/3は対応できないと私も思っていました。それでもよいので、急ぎ血を入れ替えなくてはならない、という考えだったのです。

目論見が外れて次に私は、その幹部をすべて役員から交代させ、社外からまともなマネジメントを採用し入れ替えることを提言しました。業態変更すらやむなしと言いました。しかし、現実には今ある顧客、当面のキャッシュをその幹部が顔で持ってきている状況であり、キャッシュがすでにその時点で限られている状況で、しかも後発で合併でできた中小企業に容易に業界の大物が来てくれるわけもなく、1名を更迭し私がその代わりに取締役になる(私はこんな火中の栗を拾うことを望んではいなかったのだが。)事に留まりました。もっとも、この「潰れた会社の管理系取締役の経験」は私にとっては得難い経験となり、今に生きてはいるのですが。

取締役は無理でも、幹部に何とかエンドユーザーに直接営業のできるようなチームを作れる人材を招けないかと面接を大量にするのですが、いい人はなかなか取れず、営業部門の幹部が連れてくる人材は同じように数字や戦略で組織をドライブすることを知らない人たちです。ここまでくると文化の衝突となってきてしまいます。一方ではデリバティブによるキャッシュ流出を止める策(これはその後実現した)を打ちつつ、何とかそれ以外の営業キャッシュフローをプラスにしたいのですが、それすらぎりぎりの状況になってしまいますし、急成長など望むべくもない、利益率は改善するはずがむしろ中国国内の原価上昇に圧迫され低下の様相を示してきます。

狭まる包囲網

グループ内にも支援してくださる方もいたのですが、そもそも文化も業種も相違する事業で、しかも予実対比の表は大幅な未達ばかりであり、改善プランのところにもっともなことを記載しますしそれを役員会でも確認するのですが、実際には私が行う資産売却以外は全く予定通りに進まない、というか実は大して着手もされていない、という状況が続きました。これでは親会社としても表だっての継続的な支援は難しいわけでして、保証という体はとらないもののなんとなくそんな感じで、市中銀行で、デリバティブをめぐる係争がない親会社の主力銀行から直接の融資を取り付けることになりました。これが運転資金のほか、輸入のための信用状取引の与信枠も必要なため、結構な規模となりました。

毎月10日ぐらいに前月の試算表ができると、それをFAXで送り、お電話で状況を説明するわけです。説明と言いますが、毎月が苦しい言い訳の連続です。当初は、営業中の案件リストを加工して、「現在営業中の案件」として別紙で提示して回復可能性があることを示そうとしたのですが、実際にはその営業中案件の受注確率が非常に低いのです。その理由も、提案段階から取り組んでいるものではなく、生産委託部分だけを案件としてコンペで持ってくることが第一の原因であり、しかも原価管理や人件費等に伴う利益率規制を敷いたことにより、より小さなリスクテイカーに勝てないからでした。それは私も、現場の若手もわかっているのですが、肝心の役員、幹部が生産受託の頭しかなく行動が変えられない。

銀行と毎月継続して付き合っているとわかるんです、最初は、「ちゃんと言葉や数字で説明できる人が担当として来てくれて、提出期日も守ってくれてよかった。やっと上にもこの会社のこと、通せるように話しできるよ」と私のことを思ってくれるのです。ただ、何か月かたち、立派な計画が絵に描いた餅で実際の数字が伴なわないことがわかって来ると、冷たい視線を送られるようになります。他の一般の商談が一時間単位が多いのと異なり、銀行の商談は30分基準が多いようなのですが、だんだん30分もいらなくなってきてしまいます。型どおりの定例報告の先では、銀行内で当社がどのような扱いになっているのかが見えない状況となり、不安に駆られます。

そして、このような数字が行かない状況が継続するのでどうするか?というと…人員削減です。初年度、第二期と大幅に実施しました。これはやろうと思えばやれることなので、確実に人件費を減らし、収支を改善することができます。逆にいうと、この状況で社長と私にできた改善策はこれくらいしかなかった。そして、収支はやや改善するものの、売り上げは急成長どころかむしろ縮小してしまいます。そうするとデリバティブの実現により得た膨大な外貨が余ってしまい、今度は外貨を円に換えて資金繰りに充てる、というおかしな状況が発生しだしましたし、当初は銀行にもお願いしていた「輸入拡大のための与信枠の提供」が使い切らない状況となっていきました。

銀行には様々な商品がありますが、この輸出入決済関連の手数料や為替手数料というのは、デリバティブのような金融商品を除けば、銀行にとって利益率が良いメニューであり、通常の短期融資よりもはるかに儲かるものでした。それが縮小していき、収支が改善しない中、短期借入だけが残っていくかたちになると、次には短期借入について、「枠を増やさないでおきましょう」、やがては、「少し減らさせてください。(3億→2.5億→2億と半期ごとに減らすという見込みを示唆される)」ということが起きてきました。銀行にとっては、企業は、「貸し倒れリスク」と「収益性」のバランス論であり、後者が縮小すると、前者も縮小させなくてはならないからです。ここまでは大手都市銀とのお付き合いでした。

一方で現場は使いもしないのに、大きな案件を営業するには枠がいるいると主張しますので、仕方がないので東京の会社なのに、親会社の紹介で地方の第二地銀にお付き合いをお願いしました。地銀は大手都市銀とはやや様相が異なり、しゃくし定規ではない話の聞き方をしてもらえる部分がありました。もっともこれは、保証はないものの、親会社の紹介があったからという部分がありました。そうして毎月の試算表のFAX送付のほかに、四半期ごとのご説明訪問という仕事が加わりました。この銀行が親会社の本社財務部の近くでしたので、2つを連続して、お詫びと言い訳をして回って日帰りするという苦行が続きました。

できもしない事業計画を立てることはもちろん不誠実なことだという認識はありました。しかし、「現実の今のマネジメントチームでできること」をベースに事業計画を立案すると、成長どころか黒字にもできず、返済可能性はない、ということを白状しなければならないのです。内心はかなり早い段階から親会社にもいずれそうせざるを得ない、と思っていましたがその会社では私がトップというわけではありませんし、そうなると困る人が親会社側にもいるわけで、そうした人が延命できる程度には支援してくれるわけです。銀行側も、試算表、予実対比とコメントを見て、「こりゃダメだなあ」と思っているわけですが、そういうことは言わないし、かといって言質を取られるようなことも言わないわけです。「状況は大変良く理解できました。ありがとうございます。引き続きよろしくお願いします。」と意味不明なにこやかさと何をお願いされたか不明確なよろしくお願いしますの中で、「少しずつ縮小圧力が高まる現状維持」が続いていきます。

その中でデリバティブの解約(これは実に大変でした)や資産売却、不採算顧客の明確化などを少しずつ行って整理していくわけですが、会社の従来の市場自体がリーマンショック後に大きく変容してしまい、中国で物を作って収めるという従来のその会社のドメイン定義では急激に苦しくなっていきました。その中で新規事業にもなんとかチャレンジしようとするのですが、それができる人員も限られており、やがてその会社は終焉の時を迎えました。

会社はどう終わるのか?という時、本当に資金がショートして終わる時もありますが、そうではなく、このケースのように真綿で首を絞められるように徐々に追い詰められていき、経営陣(この時は私がその中心だったかも)がさじを投げる、という形で終わる時もあります。この時は、銀行にも親会社にも大変な迷惑を当然お掛けしましたし、その責任を感じたこともあり、私は15年いたそのグループから去りました。取締役だったので、失業給付ももらえず、次の会社に巡り合うまでかなり家庭的にも大変でした。

当時与信枠を提供していただいたいくつかの銀行には、丁寧に対応していただきましたし、特段の不満もあるわけではありません。そのうえで、銀行は、判断したとしてもはっきりとしたことを伝えてはくれないし、「こうしてくれ」とも言わない。しかし、生殺与奪の権は握っている、という不思議な存在であることも実感しました。今、私はよく、お付き合い先の銀行の営業担当者にそれが彼らの立場的に難しいものであることはわかりつつも、「この会社がどのような状況を達成したらどのようなサービス、メリットを御行は提供できる可能性があるのか、といったお互いの中期的なビジョンをすり合わせましょう。」、ということをお願いします。それがかなったことはまだないのですが、そうした「予見可能性」が銀行との関係の中でも必要だと思っています。

借りられる会社になるために~きぼうパートナー1周年にあたって

いろいろな経営の光景を20年以上にわたり見てきた中でも、この「破滅への道」は私の中で一番強く印象に残っている出来事の一つです。そして、経営とは何かということを多大な犠牲を払って学んだ出来事でした。それまでも、経営理念とかビジョンとか、戦略の一貫性とかは語っていましたし、帳票設計や計画立案の要領は優れていました。しかし、この一連の出来事はそうした「各論」の問題ではなく、「各論を統合する力」と「各論を統制をとって前身させる組織としての遂行力、あるいは組織の初期の構成」がうまくいかなければ、「各論のプロ」は生かされないし、むしろ邪魔になったという結果でした。

私は今、ビジョンや戦略、計画書、予実対比という各論以上に、「遂行可能な組織の構成と統制」ということを非常に重視しています。時には、「個を殺す」という批判も受けてきました。そして、そのたびのこの会社のことを思い出していました。私は経営は、「予見できること。商品の納品だけでなく、その合計値としての決算を計画通りになんとか収められること」が出来なければならず、それを阻害する個人、商品は排除するべきだと思っています。それがこの一連の出来事で銀行への苦しい説明に追われる中で、学んだことです。

ネットを見るとなんだか突然の大ヒットや大きな提携で売上が急伸し、あれよあれよと3,4年で上場を実現する、というサクセスストーリーが踊っています。そして、多くの若いリーダーはいつか自分にもそういう幸運が舞い降りてくる、と信じているかのようです。しかし、ほとんどすべての新興企業にその幸運は訪れません。地道に販路を開拓し、資金を確保しなければならないのです。その時に何が必要であるか?は天才のひらめきではなく、統制のとれた事業遂行能力である、ということを私は若い皆さんに言いたいのです。

今回書いた一連の出来事は始まってから10年余りとまだ新しい出来事のため、これまでこのブログではあまり書いてきませんでした。ファイナンスとHR,M&A、会計と状況が含む要素が複雑ですし、何よりもまだ関係者がたくさん関連する箇所にいるからです。私自身にとっても最後は精神的にも苦しくなり、カッコ悪い出来事でした。

きぼうパートナーは2018年7月7日の創業です。今日のこのブログは1周年記念回です。本来は謝辞でも書こうと思ったのですが、私のお付き合い先への主張の原点でもあるこの出来事を書くことで、「決してつぶしてはいけない。そのためには個人は組織に従う。組織は一貫と変革により純化する」と私がいう意味をぜひ分かっていただきたいと思い、書かせていただきました。

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