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失敗の橋-最終回-「運」とは何か

 松下幸之助は、面接の時、「あなたは運がいいか?」と聞いて、自分でいいという人を採用し、そうではない人は採用しなかったと言います。たしかにビジネスの成長には、多くの偶然が作用しています。人との出会い、あるいは相手の勘違い、提案したタイミングやその時の天気まで…。ただ、それは、多くの機会に触れる中で、掬い取る力量があったということであり、運ではない、とずっと思っていました。そう思わなければ努力なんて続けられません。

 そんな私も50代になり、やはり「運のいい経営者」がいることを認めざるを得ません。概ね何をやっても、上手くいくことが多く、昨今のように経営環境が厳しくなっても、それがプラスマイナス両方が拮抗して、実際にはそんなに悪くならない…なぜ、この人はこんなにうまくいくんだろう?という興味だけでその経営者のお仕事を受けて数年たつ人がいたりします。

 そういう人に共通しているマインドパターンが一つあります。それは、「いま社内のみんなが執着、凝視しているポイントとはだいぶ違うポイントをつまみ食いする傾向がある」ということです。これを視野が広い、と言って片付けてよいのかというと、それとも少し違う気がしています。普通に視野が広いならば、いろいろあるものを列挙して、そのうち可能性が高そうなもの(つまり、今皆が執着しているもの)を論理的に選択する、という行動をとるはずですが、そうではなく、「思い付き」(のように)でそこを選択してくるのです。そして、それが時々ヒットする。(大部分は外れている)

 こういうことがいくつか重なり、気づいたのは、その人は「気づいた」のではなく、「どっかからその情報を仕入れてきた」ということです。彼は社内の課題について情報交換ができる経営者仲間を有していて、社員からは全然見えていないのですが、夜会食などしながら話した中で言われたキーワードを自分なりに調べてみる、ということをして、掘り下げてみたら当たりだった、というようなことが多いのです。同様の事例で過去に成功事例を有している経営者から聞く話は暗中模索の社員の報告よりも成功率が高そうということです。

 無料で手に入る情報(ネット上の情報)など、嘘も多ければ、大して役に立たないものばかりで、そこそこ使える根拠のあるものはやっぱり情報は高いものです。そして、本当に自分のケースに即していて、かつ即効性があるような情報は、お金では買えません。それは継続的な信頼関係の中で交換して得るものです。経営者が見ている世界は、し同じ分野であっても、社員よりもずっと高いところからずっと広い範囲を見渡していますので、その中で入ってきた情報が当たりかどうかを見分けることが社員よりもしやすいのです。

 つまり、まとめてみると、「運が良い」とは、「少し高いところから情報を収集する眼を持っている」に実は近い
のではないか?というのが私の考えです。そう思って過去の「運のいいひと」を思い返すと、だいたいにおいて、ポジティブで楽しげで、そして偉ぶらずにいて、社外の「友人と呼べる人」がちゃんといて、その「運」はだいたい、そのネットワークからきていたように思います。

 ただ、これは生存者バイアスというもので、その「友人」から爆弾をつかまされて死んでいった経営者もおそらくはそこそこいるのだと思いますが…


 もう一つ、運をつかむ人には、そうではない人と大きな差があることがあります。それは、適切な範囲で「賭ける」ということです。競馬好きな経営者も多くいますが、ここで言いたいのは実はそれに近いものです。どれが当たるかは実はわからないのですが、それでも何かに人とお金を投下して追いかけてみる、という指示ができる経営者と、現状の業務維持に社員同様に汲々とする経営者の両方が経営者にはいて、運をつかむのは常に前者である、ということです。

 こう書くと当たり前のことに見えますが、その行動原理を実行に移せるのは実はそんなに簡単ではありません。なぜならば、目先の業績や資金に追われていると、こんなことはできないからです。そして目先の業績に追われないためには、いつも一歩先の構造改革をし続けていないといけないはずです。窮地に至って一世一代の大博打、というのは銀行も社員も許してくれないのであり、小ばくちをその前から小さく打つのがビジネスばくちの極意です。そのようにみていくと、運をつかむ経営者というのは、年柄年中「儲からないことは辞めて、これを試す」と社員を振り回し、自分でも夢中になってやっている人、という像が浮かんできます。
 確かに昔はどっしりと構えている経営者というのが一つの典型像でしたが、変化の激しい今の時代、それでは流れをつかめないようになってきているようです。


実は、もう一つ「運」について気になっていることがあります。それは、そこそこうまくいっている経営者の多くは、一般社員、あるいは「ワーカー」に比べると相当信心深い、ということです。私は自分が経営幹部の時には神社の二礼二拍手一礼ルールもよくわかっていなかったのですが、こういうのは問題外で、昇殿参拝をしたり、熊手やお札にかなりの金額を掛けて社内や家内に飾ったり、神棚に水と榊を上げる習慣があるような方が相当多いのです。
 これは神道だけでなく、キリスト教徒の方もいて、忙しいさなか、日曜日午前だけは用事を入れずに必ず礼拝に行く、という経営者の方もいらっしゃいました。

 もちろん、ここで「紙のご加護」論を論じたいわけではありませんし、彼ら自身がそれを信じていることを公言しているわけでもありません。ただ、そういう方々と付き合っていくと、やっぱり何かが違うと感じるのです。言ってみれば、仕事のせめぎ合いの中でも関係が「清々しい」のです。こういう人たちには、「仕事の時間(それが9時5時というわけではないのですが)はひたむきに取り組んで、それが終わると、「天命を待つ」心境になり、そして心の平安を重視してオフタイムを過ごす、という共通点が見られます。

 もちろん、そうしたからと言ってそうではない場合よりも、その行動自体により成功確率が上がっているわけがありません。しかし、判断を行う際の冷静で広範な視野や、自分の小ささを健全に知り誰とでも対等な立場で丁寧に対話する、という当然必要とされる素養がどこから生まれているか、と言えば、この「心が寄って立つ柱」がしっかりとあるということを感じることがあるのです。

運とは運ではなく、人格なのではないか?そうだとしたら、松下幸之助が見ていたのは、運ではなく、「心が健康で、皆に信頼され、愛される人かどうか」だったのではないか?というのが、私の見解です。

 というわけで、「成功する経営者と失敗する経営者を分けるマインドセットの差」を5回に分けてお話ししてきました。これまで何百人という経営者の方に親しくお話をさせていただくことができ、どの会社の事業も(ごく一部をのぞいて)世の中のほんの一部であっても必要とされており、そしてそのことに多くの経営者の方は懸命に取り組んでおられました。そういう熱意に触れ心動かされることが、私のこの仕事がやりたいと思う一番の動機です。

 私は知識や分析、情報収集や作業力はかなり人並外れていると自分でも思っているのですが、そういう「このことで世の中に打って出たい、貢献したい」というような対象が30年も考えてもとうとう見つかりませんでした。それで、それらを持つ方のお手伝いをすることにしたのです。そして、そんな経営の光景を書き留めて、今回で499稿目です。

 これまでこの仕事を続けてこれたことを心から感謝しています。周囲で支えてくださった経営者仲間と、妻、そして神に。

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