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失敗の橋①-「いい人」をやめられますか?

前回から、何が成功と失敗を分けるのか?をただの現象ではなく、その背景にある「

マインド」「人間観」に光を当てていく連載を始めました。前回はこちら

 第一回は、時間制御に関する差異です。ある時、「失敗した経営者ほど、周囲からあんなに忙しくしていたのにと言われるほど忙しさが周囲に伝わっていた」という事実に気づきました。逆に、そこそこうまくいっている人の中には、結構メリハリをつけていて、平日ゴルフに行っている投稿をFacebookにしたり(それも半分は仕事なのですが)、土日はでかけていたり(それも朝晩は実は仕事をしていたりするのですが)します。
 後者のそこそこうまくいっている経営者の様子を見ていると、「最初だけは自分が決めて取り組み体制を采配して指示をするが、あとは次に社内であっても知らんぷり」「電話してもいるのに出てくれない」「メールも(自分にメリットがないことは)返信しない、しても一日1回程度まとめて返信」「会議では聞かれたことだけ答えればよい、という態度」など、「嫌な奴情報」が続々見えてきます。逆に前者の経営者は、「頑張っていたのに」と同情されています。でも、お金を返せなくなる、従業員の雇用を維持できなくなるのは、この同情されている方です。

 経営者になったことのない人にはわからない感覚かもしれませんが、経営者に来る情報のほとんどすべては営業にしろ、社内からの情報にしろ、ほとんどが無益なものです。全く社全体の必要性を理解しておらず、自分の都合を押し付けてくるだけのものがほとんど。これに対応するのは「時間の無駄」です。そういうと、「有益な情報が入らなくなるではないか?」と言われる方もいますが、「有益な情報」をもたらす可能性がある人とない人は、最初から、はっきり見分けがつきます。それは、「有益な情報をいつももたらしたい、と思って行動しているか、と、経営陣が必要としている情報が何かをわかっていて、それを入手できるような立場や人脈を持っているか?」によるからで、多くの人はそうではないからです。

 この「効率的な時間の使い方」ができる人には、だいたいの類型があります。
 一つは、「一人の人間ができることなんてたかが知れているので、全部はやれないし、やらない」という、自分の能力の限度をよくわかっている人であることです。「一人じゃ大したことはできない」が、「並みの人を組み合わせれば、そこそこ大きなことができる」という感覚の有無は学生時代を含めた若いころの集団活動の成功体験の有無が大きな影響を与えているように見えます。逆にあまり部活もせずに東大卒で優秀な社内事務員だったような人は子供のころからの「自分の万能感」をいい歳になっても捨てきれておらず、全部自分でやろうとして(でも実際にはできない)いて必死になっています。
 もう一つは、「人からどう思われようが構わない」という割り切り、唯我独尊の姿勢です。ただし、これは態度が横柄という事と直結するわけではなく、実際にはうまいことやっているわけですが。「言われたことを最後までキチンとやり遂げる」「いくら時間がかかっても最後まで走り切る」ことが正しい、と思い込まされる教育を「それは別に正しくはない。一部の勢力に都合の良い主張」と割り切っているのです。「おとなしい優等生」は、この点において逆効果でもあります。「自分が得する、自分にとって価値のあることだけをやればよい」方が、個人でも会社でもハッピーに決まっています。そのハッピーを純粋に追及することを自分に許すマインドを持っていることは、経営者の人生を幸福にするのにとても重要な要素です。

 経営者が立派かどうかは、夜遅くまで頑張るかではなく、雇用を維持し少しでも昇給させ、株主に配当できるかが基準のはずなのですが、育ってきた文化や環境によって、経営者としては正しくない「道徳感」gあ、その「正しい基準」をまっすぐ追求することをできなくしているケースが少なくないようです。


 実は、これは経営者自身の時間の使い方だけでなく、社員への指示にも差があります。後者の経営者は、かなりの数、「そんな面倒で儲からない仕事はやらなくてよい」というようなことをかなりの数、明言しています。これは、その部署の管理職には結構な恐怖です。自分が顧客に仕事を断りに行かなくてはならないからです。そうして、何とかサービス残業をして、利益率が低いまま何とか業務を維持しようとするのですが、そんなことをしても利益は改善しません。交渉をして価格をあげるか、費用を減らせなければ、やめてしまうことは必要なことです。
 しかし、前者の経営者は、「お客様への責任」とか適当なことを言って、社内になんとかコストダウンしろと言い、結果労務費と外注費が削られることになり、社内の誰もが幸福度が下がるのです。こういう「いい人」経営者は、社員を幸福にしません。

 経営者も人間であり、時間は同じ1日24時間しかありませんし、脳内で管理・統合できる情報には限りがありますし、一定の確率で間違えます。しかし、経営は「いつまでかかっても最後までやり遂げればよい」というレースではありません。できるだけ早くお客様のところへ走る二人三脚競走です。
 その時に、「余計なこと」を捨てることができるかどうかを決めているのは、「自分の能力では余計なことをやっていては、到底勝ち目がない」という「健全な自己評価の低さ。自分を含む人間の限界に対する暖かな目」、そして、「自分の価値は他人の目で決めるのではない。株主や従業員に少しでも金銭を支払い、正常に納税を行う事こそ自分の仕事の価値」という「健全なお金第一主義」であるように見えます。

 この「人間の限界に対する正確で暖かな目」という言葉はこの先、このシリーズで何度か出てくると思います。事業を人を使って行う時、結局一番大事なのは、「あなたも私もダメダメな一人の同じ人間ですよね。まず、そこを立脚点にかんがえましょう」というような点なのではないかと思っているのです。

 

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