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専門家VSマネージャー

先週、ダイヤモンドプリンセス号での検疫体制をめぐって、厚労省と、国際的な検疫の現場を知る感染症対策専門医との間で論争が起きました。事の真偽は置いておいて、その周辺に、「日本では専門家が組織で活用されない体質がある」という意見が見られました。たしかに、諸外国では、トップクラスの大企業に博士号を持つ専門家が高給で採用されていて、ドクターを持っていて一人前視されるのですが、日本では一部の研究職を除いてはそんな場面はめったになく、博士号保有者は大学にしか職がなく、しかもそれも狭き門なのが実情です。

昨年、こんな議論もありました。理系修士号保有者が、最初の半年一年は地方の工場勤務を強いられる。その理由は、「現場のニーズと実情を知るため」ということで、それが当然視されている。ネット上では、当然という意見と若い時期の貴重なエネルギーの浪費という意見とがつばぜり合いを繰り広げていました。

まったく不幸な相互不信です。補足しておきますと、一点目に関して言えば、厚労省には、医官という形で医師免許を持つ人は各部署にいて、その他に各省庁は、研究機関を有してそこにはトップクラスの知識を持った人がいますし、今回の件でも参画されているようで、「おバカな50代文系おじさんが適当やった」という批判は実際には当たっていません。ただ、そこに繰り広げられた議論の中で、専門「バカ」(あえてこの言い方)に対して「そんなやり方では組織は動かない」という「大人な」意見にこの問題の本質があると感じました。

「専門家」がやるべきこと

私も「経営」という意味では専門家であろうとするものですが、30代の頃は上司である社長に、「評論家は要らん」「否定から入るな」と嫌われていました。その批判は多分に当たっていたのであり、今は恥ずかしく思い反省していることが多くあります。経営は現場を動かさなければ意味がありません。

今こうしたことを生業として自分でも心掛けているし、組織図の「スタッフ」的ポジションにいる人に要求しているのは、「より良い答えをより早く出すこと」です。その答えは、金銭、時間を減らし、あるいはエラーのリスクを下げたい、という課題に対してです。つまり、「どうしたらもっと儲かりますか?」に専門家は直接的で即効性のある解を出さなくてはならないのであり、それができない「専門家」は不要である、ということです。逆にいえば、経営者が「専門家」に要求すべきことは、「これを解決する方法を教えてくれ(できれば明日までに)」です。

日本の組織で起きている「専門家」問題

では、日本の組織で起きている「専門家」問題とは何なのでしょう?

まず「現場を知らなければ適切な判断はできない」(→だから若いうちは現場暮らし)はどうでしょう?工程、品質管理のルールは文面だけでなく、実際の人の知識やモラルに依存し、同時に環境にも依存しているのは製造業でもサービス業でも同じです。その、「実際の運用状況」を知ることは必須であると言って間違いないでしょう。しかし、「ちゃんとした専門家」であるならば、そこの人間関係含めても長くても1週間いれば問題点はわかります。石の上にも3年いる必要は全くないし、全部門を3日ずつ巡回して情報を総合的に理解した方が効果が高いでしょう。逆に会社としては、そのような洞察力や現場での質問力(分析だけでなく、人間力も必要)を有する専門家だけを採用すればよいのです。

話を次に進めると、今回の客船でも話題になった「知識だけを振りかざしても組織は動きません」はどうでしょう?組織を動かすのは、専門家ではなくマネージャーの責任です。専門家が移行すべきあるべき(効率的でリスクの低い)姿や、低コストでのそれの実現策を提示したとしても、それを抵抗を排して一足飛びに理想状態へ改善を行う姿勢がマネージャーになく、徐々にやっていけばよいと思っているならば専門家は結果何の役にも立ちません。日本では、周囲も「そんなに急に変えないでくれ」という態度を取りがちであり、それがマネージメントの「不作為」を生んでいます。しかし、その強いリーダーシップが欠如しいつまでも不効率が温存されるならば、「専門家を活用する」チャレンジをする意味はないのです。そして、そのような不連続な変化を起こし組織を速度アップするのでなければ、専門家だけでなく、マネージャーも不要です。マネージャーがいなくても組織は徐々にであれば前に進みます。

では、逆に改善意欲が高いマネージャーと、回答をアウトプットできる専門家がいれば、組織は改善するのでしょうか?そこに3番目の課題があります。実際には、マネージャーには専門家を活用する程度の専門分野に関する知識は必要であり、専門家には、RAWデータを出力するようないい方ではなく、そのケースケースで即適用可能(アプリケーション)なアウトプットを出力できるだけの自己開発が必要です。つまり、両方にものすごく勉強が必要である、ということです。一般社員にスーパーマンを要求することは不適当ですが、マネージャーとプロフェッショナルはその面では特別である必要があるのです。

日本の専門家問題の背景

ここまで書いてくれば、日本のこの問題の病巣がある程度見えてくるのではないでしょうか?日本で専門家が活用できないのは次のような理由があります。

  • 大学院(大学卒では理系も文系も全く専門レベルで追いつかない)での教育において、「社会の現場で発生している問題に適切な解を素早く、使える形で与える」ということが訓練されていないため、「会社で利益改善に参画」するやり方がわかっていない人材を輩出している。
  • 大学に入ると勉強しない日本人の習性から、多くの役職者は専門家を使える程度の勉強をしておらず、「専門家ならばより良い解を出せる可能性」「専門家への問いの出し方」「専門家の使える使えないの見分け方」を知らない。
  • 問題が起きたときに、「理想状態を具体的に描き、そこにできるだけ素早く低コストで移行する」という本来マネージャーがやるべきことに対し、「合議」「忖度」などの不要な要素を交えて減速させてもそれを許してしまうトップマネジメントの体質

この問題を解決せずに、「専門家データベース」を作って、マッチングを行ってもそのような人材サービスは無駄になるでしょう。

あなたは、普通の「優秀」とされる人が解決できない問題が瞬時に解決されたり、普通の人が数か月をかけて作り上げたものが、数日で書き換えられ、そして性能がはるかに良い、というような「専門家のすごさ」を見たことがありますか?そのような、「生産性革命」が企業の寿命を大きく延命し不可能を可能にするのです。しかし、それを実現するのは、専門家ではなく、マネージャーでもあるのです。

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