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オープンイノベーションの現実と対策③大企業を襲う時代の波の正体は?

今週は今年のビジネス界の流行語でもあった「オープンイノベーション」が掛け声ばかりでうまくいかないその理由と対策を整理しています。

1回目は、大企業でも掛け声盛んな「社内起業」を例に「大企業でのイノベーションの阻害要因・現象」を整理しました。2回目は、こちらのように「社内起業」を率いるのに必要な新規事業リーダーとはどのような人なのか?それはどのように獲得するのか?を整理しました。


そして、上の最後にこう述べました。

結局社内にある資源では不十分という箇所が出てきます。大企業の新規事業の悪いところはそこで、「社内であるもので間に合わせる」ということが正解視されるところです。昔はそれでも選ぶ側のリテラシーが低くブランドに盲従した傾向があり、売れてしまったのですが、今は大企業(そのサービスの多くは高い)であってもそれでは、百花繚乱で低価格サービスが沢山ある中では選ばれません。マーケットでターゲットにする層を明確にし、その「今、実際にそこにある具体的な問題」を直接解決するものであると納得してもらえないと、いかに御託を並べても売れないのです。そうなると、サービスのパーツかが足りなくなるか、あるいは顧客への密接なリーチが足りなくなり、それを補う必要があります。

それを自社開発していた、あるいはそれが当然だと考えていたのが従来の大企業ですが、時代の変化に伴い自社のコア(これについては次回詳しく述べます)以外は他から持ってくることでその場で解決してしまおう、というのが今の新規事業開発の基本です。

この辺から話を続けていきましょう。

大企業が「社内基準」「自社ルール」にこだわるわけ

なぜ、大企業は内製や自社基準、自社ルールにこだわり、結果として「内向き志向」に陥っていったのでしょう?それは中小企業しか知らなかった私が大企業に転職して務めた時に分かりました。そして、それは当時は「必要なこと」でした。

まず、かつての日本の大企業は自動車の例にみられるように非常に高い「品質」を求める傾向がありしかもそれが、言語で明確に定義されるようなものではない、すり合わせを必要とするようなものということが多くありました。その品質は、ぱっと出の中小企業では全く実現できない高いレベルであり、かつ彼らの要求を表現する言語すらも社内用語や専門用語が混じっていて理解できないものでした。私自身も中小企業から大企業に転職すると、その員の思考力の高さ、社内の研修教育環境の充実ぶり、品質管理やそれに必要な社内ルールの徹底ぶりには舌を巻き、本当に勉強になりました。逆にいうと、面と向かってそんなことは言わないが、大企業の製品・サービスの要求水準やそれを実現するための全体システムは中小企業(既に特定企業のサプライヤーとして合格水準に達し継続的取引をしているようなケースでは部分的には同程度を達成しているケースもありますが)、特に新興企業のそれとは大きな差があります。

この認識・要求水準のギャップを乗り越えるために、大企業は主要部品は内製、あるいはそれに近い形でのグループ会社での生産、または「系列」による長期的関係性の構築、と言うことを行って「自社の仕様」「自社の言語」「自社の制度を適用」による調達を行う必要があったし、その枠組みの中で製品・サービスを改良、高機能化してきました。一度関係性が構築し、品質が安定してしまえば、そのあとはそのパーツについてはあうんの呼吸で安定した供給ができる、という意味では優れた仕組みでした。この「数字や言葉に表現できない」品質の実現が正義である、日本企業の強みである、と思い込んでいる人はいまだに多くいます。

中小企業の方が大企業に初回営業に行くと、なんか不審そうな口ぶりで、どうせ無理でしょ、という態度を取られたり、やたらと時間とお金がかかる検査や膨大な資料を要求されたりして、「見下している」「手間ばっかりかかってちっともお金にならない」といらだつ、という場面によく出会いますが、本当に「見下している」人はそれほど多くはおらず、実際には、「使い物になるかどうか心配」「面倒な新規調達先とのすり合わせをできれば避けて安全策を取りたい」のがほとんどのケースでの本心であり、これがその「文化レベルの差」なのです。

こうしたことをいろいろな形で見知っている日本人が就職先には大企業志向であり、製品購買時には、ナショナルブランド信仰であることは当然のことであったし、中小企業が「大企業のサプライヤーとして自らを鍛えて生きていく」ことを志向するのもまた当然であったわけです。これは製造業だけでなく、サービス業、ソフトウエア産業などでも同じことでした。

しかし、この20年、この仕組みはまずは製造業、そしてその他の産業でも、ものすごい勢いで瓦解してきました。今、起きていることは、これらの「社内システム」「連携システム」が逆に手かせ足かせになっているようなことばかりです。一体何が起きていたのでしょう?

一言でいえば、その「高い文化」は文化でしかなくなり、売れるかどうかとは関係ない、揶揄の対象でしかなくなってしまったのです。

デジタル、スピード、コスト、小回り、グローバル

一つはデジタルの製品の世界では、「感性によるすり合わせ」は大きな意味を有しないし、生産規模の拡大が圧倒的なコスト差となるため、グローバル標準製品を採用する以外の選択肢がなくなった、と言うことが大きく影響しています。せっかく技術を磨いた社内や系列のパーツよりも、大規模投資を行った海外のパーツを採用せざるを得ないのです。

もう一つは、嗜好が多様化、という言い方をしますが、この言い方はあまり実態を正確に表してはいないと思っていまして、実際には、それほど日本人は豊かでもないし、かといってモノやサービスが不足しているというわけでもないので、そこそこの値段で、しかも自分にピッタリのものでないと買う動機がなくなっている、ということです。そのためにコスト要求も強いし、ロットは小さくなるし、一時的に売れてもすぐに売れ行きが落ち込み、また変更が必要になる、という市場になってしまいました。

もっとも余談ですが、この点はさらに豊かさが落ち込みつつある現時点では「低スペックの汎用低価格品が沢山売れる」という1960年代の状況が再現しつつあるようにも思います。

こうなってくると、作った仕組み通りにしか動かない従来の大企業システムは、
厳格な品質やそれを担保する社内のルール自体が車体の重みを増し、いちいち市場の変動に対応しようと新しいことをしようとするたびに慣性が働いて止まれない、曲がれないという状況が起きてしまっているわけです。

これを企業の内部から見てみると、決して今まで培ってきたマーケティングノウハウやブランド、製品の基礎技術が全部だめなわけではないのですが、以前は通用していたその周辺部分、パーツ(機械のパーツというだけでなく、サービスやマーケティングの部分という意味を含む)を常に入れ替えなくてはならないし、それも対象によって様々に異なるが、その対象のすべてに詳しい(この要求水準も以前に比べて厳しい)、と言うことはさすがの大企業でも実現できなくなっているわけです。

逆に、買い手(消費者や顧客となる法人)の側から見てみると、「自分の今ある課題を解決してくれるもの」を探しているのであり、しかもそれが5年、10年使える必要は昔ほどありません。どうせ変わってしまうのです。それが他社と同じであったり、有名メーカー品である必要もありません。自分の財産である必要すらなくて、借りて済むならばそれでよいようになってきています。そして、そのような代替財が世の中に多く提供され選択肢となる時代になっているのです。

大企業的なるものの否定

市場の反発を恐れて誰もそのようなことを口にしないため、いまだにその認知は広まっておらず「日本的なるものの価値」がまだ信奉されている部分があるのですが、供給側は「品質はそこそこに、顧客のニーズへのフィットを素早く低コストで追う」。需要側は「比較的短期的視野で、低価格品を中心に利用価値を重視して選択する」に変化しています。これは、今までの大企業が、「高品質なものを改良しながらしっかりとした体制で販売していく」ことを仕組みとして実現した「高い文化」を否定しなくてはならなくなったということです。

結果として大企業は、市場のニーズに対応するための星の数ほどのパーツの中から、自社が競争力があって利益源になるものを残し、そうではないものは諦めなくてはならなくなりました。事業や製品、サービスでもそうであるし、人材・職種・スキルという面でもそれは適用され、「いるいらないを分別する」動きがずっと続いているのです。このうち、「いる」部分を便宜的に「コアコンピタンス」と呼び、これを高めることにより競争力を得よう、ということを言っているわけですが、コアコンピタンスだけでは製品・サービスとして、需要側の問題を解決するようなものにはなりません。やはり、周辺のパーツ、特に需要側への理解に基づくその分野に特有のパーツは必要になっていきます。しかも、それはさほど高くは買ってもらえず、さほど数も出ない、というもので、これを社外から調達することが必要になっています。

かつての「系列調達」と性質が異なるのは、かつてほどの「品質要求」はもはや望めず、むしろ、スピード、コストと対象への高いフィット感を実現することが要求されているということです。さらに大きな問題は、かつての調達では「このようなものを製品化するので、このようなパーツが必要」という仕様が事前にあきらかになっていたのですが、今はそれが大企業側も「正直言うとわかりません。一緒に考えてください。教えてください」になっています。大メーカーの企画・マーケティング担当の予測はなかなか当たらず、試行錯誤をしながら考えるのが当たり前になってしまったのです。

こうなると、製品・サービスの開発は、①対象顧客層や価格帯、機能ごとに得意とする、よく知っている専門企業・集団と組む。②組む相手の持つ知識・ノウハウを製品開発自体に生かす。③短期で製品化し改良をスパイラル的に進めフィット度を高めるためにソフトウエア部分をサービスとして提供する形をとる。というような形になり、大企業にとっては、「教えを乞う」ことが必要になってきているのです。これを今風にいったのが、「オープンイノベーション」なのではないでしょうか?

しかし、それでも大企業はそう簡単には変わりません。以前として、パーツ納品型の「受発注システムによる注文書」が交付され、「仕様書」があり、「品質検査」「調達先の情報セキュリティ監査」があります。古い部長や役員、財務の取り扱いルールや意識も、結局昔の「下請けさん」(という言い方をする会社はあまりありませんで、「パートナー」「協力会社」なのですが、それにしても仕事を出す側、受ける側という意識が根強くある)のままです。

だからと言って誤解してはいけないのは、大企業が苦しんでいる一方で中小企業が自由闊達に市場を席捲する時代になったのか?というと全然そうではありません。結局、総合的なマーケティング力も開発を進める力も依然として大差があります。今(実は昔もそうだった)、ベンチャーの時代と盛んに宣伝されていますが実際には、優れたベンチャーはいつの時代もいましたし、昔も今も中小企業の大部分は、紙面を飾っているような市場開拓力や開発力を有してはいません。

だからこそ、大企業はその意識と仕組みを変えないと結局、市場の変化には対応できないのではありませんか?そして、中小企業の側は、それをうまく大企業に提案し組み込んでもらわないと結局うまくいかないのではないでしょうか?

だいぶ長くなりましたので、どこをどう変えるべきなのか?については次回(多分最終回)に整理したいと思います。


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