今週は、「働き方改革」関連で月曜日には「副業解禁」、水曜日には、「リモートワーク」について取り上げました。どちらも、それ自体の問題というより、社員をいかにモチベートし、そして成果を追いかける組織運営を実現できているか?言って見れば成果さえ出せば、働き方なんてなんでもいいじゃないか!というところに組織として合意できているか?ということがうまくいくポイントだということをお話ししました。
中国の組織はこれが比較的うまくいっているように見えます。すなわち、組織が「ミッション」ドリブンなのです。この言い方は「事業理念」を大事にする人、あるいは、「イシュードリブン」という名著が最近あるのですが、それに影響された人からすると、卑小に思われるかもしれません。しかし、現実には、これが現場でマネジメントするのにちょうど良い会社がほとんどです。というのも、皆、理念に賛同し共鳴しているからと言って、その皆が自分のイシューとミッションを自分で明確化し、それを日々の実行計画にブレイクダウンして、着実にそれを実行する、というような理想的な姿を実現できるわけではない、むしろそういうことができる人は非常に少数であるのが、どんな優秀者を集めた組織でも現実であるからです。そして、理念を無視しているわけではないが、従業員は皆自分の生活のための給与と時間の方が大事です。だからこそ、その少数のプロジェクトマネジメントのできる人が、具体化、細分化の作業を担うピラミッド構造の伝統的組織がいまだに必要とされているのです。
組織を設計するにあたっては、人はさほど勤勉でもないし、優秀でもない。そして、日本人は特に他人に悪く思われたくない、嫌われたくないという意識が強く、出ない杭であろうとする、ということを理解するべきです。頭のいいリーダーはこれを誤解しがちです。しかもその割には、「結果ではなく、プロセスを管理しようとします。しかも、その「プロセスが適正であること」は品質管理上重要である、ということは認めますが、実際には管理しているものが、「プロセス」自体ではなく、同調、勤務態度、服装、服従…といったプロセスではないものをプロセスの背景にあるものとして管理しようということが正当化されることから、生産性が世界でも中~下位に低迷する状況を生んでいるのです。
私が今回お話ししたかったのはそういうことです。最終回の今回は、逆に「制度」の制約の話から、今の状況をどう理解するべきか、ということを補足として述べます。
■時間管理は免れ得ない
このことは、批判的意見も多いのですが、これだけ働き方改革と言われながら、依然として、タイムカードによる時間管理と時間当たり最低賃金の順守、残業の36協定内での管理という「工場のライン」を前提とした従来の労働法制は全く変わりがありません。そのため、リモートワークにおいても「自宅から打刻」は当然必要ですし、「勤務時間中ずっと作業していることが前提であり、終業時間を過ぎ退勤を打刻したら、その後はPC作業はしてはいけない」というようなルールが敷かれ、あるいはPCにそのような設定がされている会社もあります。
たしかにホワイトカラーの職場においても、過重労働が常態化しついには自殺者を出した電通のような事件があることは、労働負荷に適正な法的制限がないと容易に組織は暴走することを証明しており、野党がホワイトカラーエグゼンプション法案(一定範囲の労働者の時間管理を廃止する法案)に強力に反対することに一定の根拠を与えてしまっています。その挫折もあり当面は時間管理は管理者を除き、どの労働者にも必須のものとなっています。また、この「管理者」もかつては「管理職」を意味するものとして「名ばかり管理職」が横行しましたが、今はそれも多くの会社で是正されつつあります。日本の課長、大企業では部長ですら、実情は全然管理者ではなく、そのうえに執行役員、上級執行役員、取締役…とさらに数層があるのですから。
しかし、この「ホワイトカラーエグゼンプション」法案がなければ、「自由な働き方」は実現できないのか?というとそれは違うと思います。逆に今の旧弊はびこる大企業にこの手段を与えても、おそらく生産性は上がらないでしょう。
そもそもそれ以前に、無意味な残業、売上に関係のない仕事、やたらと細部の美観にこだわっているがその割には中身のない資料、発言もしないのにたくさんの人が参加している会議、貧血で倒れそうなほど延々続く朝礼、そして行きたくもないのに同調圧力で行かざるを得ないと思わせられる宴席と女性はお酌の強要、そうしたものが生産性と働く幸福感を下げているのであり、「自由な働き方ができないこと」が幸福感を下げているわけではありません。そして、これらの多くは、旧軍部以来、日本の組織に特有の問題点です。それは何に起因しているか、というと、「時間当たりの利益」以外のことは本当は考慮する必要がないはずなのに、それを気にしなさい、とする日本の家庭や学校での教育である、というのが私の考えです。日本では、このような教育風土が依然根強く残っているために、「成果主義は根付かない」と言われてきました。
しかし、成果を出すために必要な協力はすればよいし、必要な資料作成はすればよいが、成果に関係のないそれらはする必要がないのです。
昨今、職場に新しく入ってきた外国人の働き方になぜ、中年管理者はいら立ちを覚えるのか?というと、彼らが最小の時間で最大の成果を上げる自分の本来の任務に忠実であるからです。私は21世紀のある時、親会社から天下ってきた古いタイプの役員にこう言われたことがあります。「お前のやり方で成果がでるのは当たり前。でも、おれはそういう奴を許さない」
しかし、「成果だけにこだわる」ことこそが若者が働きやすい職場を作り、若者が発展的展望を持てる環境を用意でき、同時に時間当たり生産性を向上させ、所得を改善することができるです。
この考えは、成果を上げられなくなった中高年の所得の減少を伴うため、これらの層は頑強に抵抗します。そのことは致し方ないことです。しかし、現代においては若者は昔と異なり職場を変えることが抵抗なくできるようになっています。結果として、今能力の高い若者を集める求心力を発揮している会社の、「働きやすさ」とは「楽なこと」ではなく、「組織論、仕事の進め方、評価や協力の在り方が時代に合っていること」であり、大企業からエース級が次々離脱し転職してしまうのは、「働きにくい」からなのではないでしょうか?
私は、時間管理義務がある状態でも、「成果にこだわる組織運営」こそが、「働き方改革」を実現する原動力になる、と考えています。
同一業務同一賃金
中国に総経理として赴任して最初に秘書さんに要注意事項として言われたのが、この同一業務同一賃金ルールでした。中国では、「年功序列」「学歴に依存する初任給」は違法です。それから15年以上がたち、ようやく日本でも限定的ながらこのルールが2020年4月から施行されます。
日本では、正規雇用と非正規雇用で基本給や賞与の評価基準において同一業務で待遇の差があってはならない、ということに限定して適用され、企業内の年功序列、学歴格差は経済団体の強い反発で着手が見送られました。しかし、このルールは国際労働機関(ILO)の基本憲章にも記載される「グローバルスタンダード」であり、日本が立ち遅れている部分です。そして、前章で述べた日本特有の「おかしな文化」と並んで、アジアの優秀な若者が日本企業を選ばない理由となっています。
実際、私が中国で総経理として人材確保にあたっていた10年前ですらすでに、中国では日本企業のこうした年功序列の給与体系と階層構造というのは中国の若者の間で異常なこととして有名であり、英語を学んでアメリカ、ヨーロッパの企業に勤める、というのが当時から優秀な学生の潮流になっていました。それがいまでは中国国内企業がそれに対して賃金水準で高いレベルを提示して獲得しようとしており、制度と風土の改革に立ち遅れた日系企業は、大卒人材の獲得に苦労しています。
同じことは今、日本でも起きつつあります。多くの優秀な外国人、女性、若者を引き付けて、発展しなければならない時に、今までのやり方がその障害になっているのですが、それを社内の既得権益が改革を妨げています。
私は会社を分割してNewとOldに分けてでも風土改革はやらなければならないと思っています。そして、ある程度アメリカ、中国型の職務定義型の組織に移行せざるを得ないとも思っています。そうしなければ、グローバル競争の中で生産性を上げることが難しい時代になっています。これは一見「社会正義」の問題のように見えて、実はそうではない、日本の旧弊に起因する不利な競争環境を克服する葛藤であると捉えています。
会社の在り方を決めることができるのは、社員ではなく、経営者です。そして、時代に逆らうことはいずれ出来なくなります。この「働き方改革」は社会の他人事ではなく、経営者の「強さを希求する決意」次第です。