「圧倒的なコンテンツ力」があれば売れる
こう言っているある会社が、水面下でどれだけ販売に力を入れられているかを目の当たりにしたことがあります。結論からいうと、よほどの知名度のある会社でもない限り、サービスを作って、WEB作って、Facebookやその他のSNSで告知するだけで売れる、ということはありません。商品やサービスは、①それを買う可能性のある人にその商品が認知され、②代替選択肢との間で比較検討され、優位にあると認識され、③かつ費用を超える効用があると認識される 場合に購入に至るわけでして、効果や費用が正確に認識されない限り購入に至ることがないのは当然ですし、これだけ情報が氾濫している現代ではwebサイトだけでは全然届かないのは当然のことです。多くの中小企業の頑張って更新しているwebサイトを誰が見ているか?は自分たち関係者が半分以上という笑えない話が結構な割合でありますし、SNSで拡散してインプレッションが数があがっているように見えても、それはすでに知っている「内輪受け」ではないか?と疑うことも必要です。
さらに言えば、法人向けサービスで、見ただけでは機能がわからないような新しいものはどんなにWEB広告を打っても、伝わり方には限界があります。費用対効果でどちらがよいか、は検討の余地があるにしても、電話なのか訪問なのか、何らかの形で「営業」というものが必要になってきます。
かくいう私も2000年ごろ、日本で最大の詳細地図を有する地図サイトを構築し、しかもAPI経由で電話番号、住所などのリストを交換できたり、各種の数量カウントができる、あるいは建物高さの表示ができるといった他社に先駆けたサービスを構築しました。他社サービスと技術動向を検討し、絶対優位を2年程度は維持できる(実際できた)自信作でしたが、最初の一年はほとんど売れず、大手保険会社やアルバイト派遣会社に自分で営業し、自分でSEしてサービスを構築し、ようやく3,4人分の人件費を稼ぐという状況でした。その会社には、ノンバンク系にデータベースを販売する実績ある営業はたくさんいたのですが、「APIの仕様書とサンプルサイトをもって、顧客のニーズに提案する。」というのは、いままでにない試みであり、1名を除いて誰も実際には動いてくれない、というよりも動けない状況でした。
それが、一年後に競合他社から年配の他社の類似サービスを営業した経験のある方が来てくれ、私が営業から外れてその方に営業を全面的にお任せしたら、今までよりも高い単価で月間数社のペースで契約が上積みされて行き、あっという間に採算分岐点を超えていきました。アポすら苦労していた自分の営業はなんだったんだろう?と思いながらも、力のある法人訪販営業のすごさをまざまざと見せつけられた最初の出来事でした。
その後、私は、販促品の営業会社や、世間でも最強の営業会社といわれる会社で法人営業に携わってきました。私自身は、自分ではスーパー営業マンではなく、方向性を打ち出して彼らを統率していく方が性に合っているのですが、そうもいっていられないので、電話も訪販も部下に教わりつつやっているうちに意外に売れて苦手意識がだいぶ薄れましたし、実はそこにはきちんとした方法論があることを身に染みて勉強できて今に生かせています。
最近、特に若いベンチャー企業やあるいは老舗の製造メーカーと話していると、口では「営業努力」といいつつも、実際には何もやっていない。いつもの仲間内を手を変え品を変えぐるぐる回っているだけでないの?という光景を見かけることが多くあります。彼らの動きを見ていると、コンテンツやものの品質には大変な心血を注いで立派なものを作っているのですが、それをその対象をとする顧客候補に情報を届けるということは、論理的、組織的に仕組みが構築されていないことが多くあります。両者に共通するのは、今まで営業ということを仕組みとして構築したことがなく、営業行為というのが「提案書とサンプルを持っていて性能をデモする」ということになっているということで、しかも、私からするとごく少数のターゲットに思いつきのように時々営業して、それで「営業した気になっている」ということです。
そのため、私はそういう会社にアプローチ数を2桁上げてみること。そして、その際にアプローチの成功の仕組みをいくつかの指標に分解し、そのうち、コントロール可能で重要そうな指標をKPIとして位置付けて、一定期間そこを改善することに社内の神経を集中し、ノウハウを濃縮することなどを御説明しています。営業を仕組み化し、組織だって行う、という技術についてはきちんと教えてくれる仕組みがどうやら存在していないようで、決して営業成績が良かったわけではないのですが最近ではよく使うコンテンツになっています。
ただ、それでもできない会社はできないのです。やはり、営業という仕事は見知らぬ他人にいきなり自分と自社をさらけ出す、という仕事であり、タイミングの工夫はあるものの最終的には「お金ください。」という仕事です。これを蔑む、あるいは嫌がる傾向が特に学業の偏差値の高い人にはあるような気がしています。また、そういう人が今度は制度を作る側なると、売った人がそれに見合う成果報酬をもらう、ということに対して拒否感があり制度が回らないということも最近見かけました。これを「狩猟民族と農耕民族の相互不信」と私は呼んでいます。技術は教えられます。しかし、結局は営業というのがどんなに論理的で、しかも人間力の必要な大変なスキルなのかを身をもって体験し、その汗を理解できる人が上に立たないと、ものは売れていかないのだろう、と最近では思っています。