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経営の300光景~人はか弱く愛おしい~

2018年7月に開始した本ブログ「経営の光景」ですが、17か月かかって今回で300記事目です。当初は週6回投稿(今は基本は3回)だったこともあり、1年300回までは何とか続けよう、と思っていたのですが、当初の想定よりも時間がかかり到達です。

いつもご覧いただきありがとうございます。先日も、「ブログ見ました。ちょっと会えませんか?」とコンサル仲間から声をかけていただいたいたりと、口下手な私に代わってきぼうパートナーをごく少数の関心層に具体的に知ってもらう(決して、大衆に大きく宣伝する目的ではやっていません。)ために、作成しております。

300回に向けて、何人かの尊敬する同業と対談の特集記事でも…と思っていたのですが、忙しくしているうちにこの日を迎えてしまいまして、結局何も特集はありません。連日、お客様の業務改善にいそしんでおります。

ネタが良く続きますね?と言われたことが何度かあります。「体験談風」というか、複数事例を混ぜているとか、少し整理脚色している、とか匿名化処理とかはありますが、全部過去25年余りに自分が目にしたり体験してきた実例です。経営の現場では、毎日たくさんの事件が起きています。それでもその事件の「構造」に立ち返り、真因を除去すれば少しでも平穏な日々を送れるはず…そう思っているうちに、その「真因」はいずれの場合も人としては経営者に、仕組みとしては初期の経営の仕組みの構築にある、ということに至り、そこに取り組むことが、多くの人を不幸に巻き込まないために必要なことと思って、こんな仕事をしています。

今でもお客様のいろいろな現場に参加させてもらい、事件に遭遇し時には起こしていますので、ネタには毎日でも事欠きません。特に、人間というもの、その弱さ、頑迷さ、不思議さには、経営という観点でも、人対人という観点でも興味が尽きません。

というわけで300回記念は…~人はか弱く愛おしい~と題して、すごい経営者でもない普通の人、でも多分一生忘れないであろう、私の仕事で出会った人達を3人ご紹介します。

①心弱き元番長 Nさん

 私が家電店の売り場のアルバイトを始めたのは26歳の時でした。と言っても掃除、荷物持ちや紐かけ、品出しや展示品の清掃などが主な業務だった時期に、新婚等でまとめ販売があると、いつも店舗からの配達に手伝い指名してくれたのがN先輩でした。私よりも10ぐらい上で主任職。太り気味で格好も少しだらしない先輩は、私も住むその町では有名な元不良、番長でした。時々店でもすぐカッとなってしまうところを見せており、私も怖かったのですが4,5回は指名されたと思います。

 助手席でたばこをふかす先輩を乗せ、クラッチ付きの軽トラで荷物を配達し設置するのですが、このクラッチ付きで坂道発進が苦手でエンジンをふかしすぎては何度もN先輩にどやされたものです。でも、配達にいって設置してお客様にN先輩が説明している様子を見ると、なんだかお客様には愛されていることがわかります。この人が新婚案件(100万前後の売上になることもざら)を結構こなせるのは、知識でも、恰好でもない人柄に理由があったのです。

配達を終えるとだいたい夜8時前後。店が閉まるぐらいの時間なのですが、先輩と車を途中に止め、N先輩は煙草をふかしつつ閉店後に店に着くように時間調整するのです。そんなときにいろんな話をしました。N先輩は私をついて行かせる理由をある時こう言いました。「覚悟があるから」

それが元番長の人を見る目だったようです。確かに私は再起をかけ、そして今の妻との結婚をかけ、なんでもやると必死ではありました。「腹を決めてやっている」というのはその後の人生で2回言われたことがあります。そして、3回とも続けてこう言われました。「そういう奴が一番強い」

何回目かのそんな閉店前のサボりタイムの時、N先輩が突然いいました。「俺、今月いっぱいで会社辞めるんよ」私はN先輩が選んでくれることを誇りに思っていたので、大変驚きました。N先輩がいうには「店長、副店長に怒られるのはいいんだけど、お客さんのクレームがホントつらい。前々からそれが嫌で、モノを作るような仕事の方がいいと思っていた。」…元番長がそんな辛さを抱えていたとは全然気づいていませんでした。

N先輩がいなくなって間もなく、私も本社に異動になり、そんなサボりタイムは2度と得られなくなりました。今でも煙草のにおいがするとN先輩のことを思い出します。あの人、怖かったけど、皆に愛されていて…そして弱かったんだな…でもそういう人が辞めないでよいように(Nさんは、そこそこは売り上げも上げていた)出来なかったのかな?と仕事のキャリアの最初に感じた悲しみだからなのかもしれません。

②嘘に追い込まれたAさん

それから15年ぐらいたって、私はとある上場企業連結子会社の取締役を務めていました。私自身は財務や内部統制構築、人事を担当していたのですが、社長が直轄するIP事業のお手伝いもしていました。そんなところに中途で入ってきてくれた20代の若者がAさんでした。見るからにやさしそうで、とあるサッカーチームを追っかけて旅行して回る今時の若者だったのですが、ある時、大きなイベントを企画し、その集客を担うことになりました。私は全く勘のないアニメ(ゲーム)コンテンツに関連するものだったのですが、目標人数に対して、毎日少しづつ申込者があるようではありました。

ところがそのイベントを今週末に控えたある日、彼が私に相談があると言ってきたのです。その時不在だった社長のお部屋を使わせてもらい、話を聞くと、「集客できている」という報告は嘘で、実態は0人でした。彼は涙ながらに、「社長のプレッシャーに怖くなって嘘をついてしまった」と言いました。社長がそんなひどい言い方をしていたかというと、まったくそんなことはなく、彼の言って見れば軟弱な気質に、「必ずやり遂げよう」と毎日励ましている、というのが客観的な見方だったと思うのですが、彼の中ではそうではありませんでした。

「少しでも早く、正直に報告しよう。」と話し、報告に同席してあげたのですが泣くばかりのAさんに、社長も戸惑い、怒る気力もないという様子でした。不正というと、お金のためにがつがつしたタイプがやりそうと思われるかもしれませんが、そうではありません。最近は、こうした「プレッシャーに耐えられない」タイプの方が気を付けないといけないのです。

イベントの方は中止となり、それから間もなく、今度は彼は会社に出てこれなくなってしまいました。「社長が怖い」というのです。その社長は私も使えない右腕として大変お世話になったのですが…そういう方ではない、賢く優しい方でしたが。

家にもおらず、会社にも来ない彼の携帯電話に彼の同僚からかけてもらい、ちょうど今頃の晩秋の芝浦ふ頭に呼び出しました。そして、何も言わずに浅草行きの水上バスに二人で乗り、橋や両脇の建物の話をし、浅草に着くと喫茶店で、「これから、一緒に心療内科にいこう」と説得しました。結局、一緒にはいかなかったのですが、翌日行ってくれて、「なんだか、ほっとしました。」と電話をくれました。彼はそのまま退職してしまい、結局社長は怖いと言って退職時も荷物を同僚が建物の外で渡すような状況だったのですが、SNSを見る限り、今でもイベント系の仕事をしているようです。

あれからもう何年も経ちます。自分の弱さをマネジメントすることを彼は覚えてくれたのでしょうか?

③最強の秘書Kさん

中国に赴任している間、私の仕事、そして私たち夫婦の生活をバックアっプしてくれたのは、総経理秘書・通訳兼人事課長のKさんでした。赴任前から彼女のことは出張時に良く知っていました。私より一つ年上で小柄で美しい彼女が結婚したのは私が赴任する直前のことでした。彼女は朝鮮族という少数民族(といっても数百万人いるのですが)の出身で、今の北朝鮮に近いエリアから南の深センに日本語力を生かして移り住み、歴代の総経理の右腕として働いていました。

赴任して机を並べてみると、彼女の「自分にもミッションを与えて成果を評価してほしい」という要求に驚きました。日本側の「通訳さん」という見方に彼女は反発心を持っていて、人事課長として退職時の補償金制度の構築や品質評価基準の各部導入などの実務を通訳業務と合わせて実施し、かなりの部分を実現していきました。ところが、重要な人事の給与・賞与査定権は総経理の私ではなく、董事長である日本側社長にあり、普段彼女と接していないし、中国法人を「低コスト生産の工場、ワーカー集団」としか見てくれていない日本側では、人事、経理のプロの仕事が顧みられることはなく、私の抗議もむなしく、彼女の給与は、いや彼女を含めた、少数精鋭化した管理業務グループの給与は依然として現地トップ企業に比べて低いままでした。

3年目に入ると彼女は辞めると言い出し、私は約束をたがえたのはこちらだし、日本側を説得することもできず、やむを得ないと腹を決めたのですが、中国人の副総経理が説得してくれ、留任してくれました。その時、面接で彼女は悔し涙を流しました。うすうすわかってはいたのですが…

  • 自分が朝鮮族として差別を受けてきたが、若い経営者として登場した私に実力を評価してほしかったのだが、あまりにも日本側の壁が厚いことに失望したこと。
  • 家でも女だからと言って(彼女の夫は同じ私の会社の現場管理職だったが、そのころ辞めて独立しようとしていた)家事を押し付けられ、会社では自分の方が役職も給与も上なのに、尊重がないし人のお金を食いつぶしている。
  • 自分もいい歳なので、この先の「発展」(これは中国人にとってもキーワード)を追求したいが、この会社では、いつまでたっても「通訳さん」扱いでキャリアが積めない。

私はよく、「数字だけで人を評価するべき」ということを言い、白い目で見られます。しかし、出自や性別、年齢などによる差別を全てなくして、平等な会社を作ろうと思う時、人はどのような評価、区別されるべきなのか?というとそれは、経営の追う目標へ定量的貢献をした度合いなのではないか?と私は信じています。それを私の前職である「光通信の文化」と思われている方もいらっしゃいますが、最初にそれを強く意識したのは、Kさんたちの「自己主張」への対処をしたいと持ったときです。(光通信はそれが非常高いレベルで実現している組織であったのは間違いありません。)

その後、私は離任し、その会社を辞め、その現地法人も間もなくして解散してしまいました。私のした仕事は文字通り何も残っていません。Kさんは今どうしているんだろう?時々妻とそんな話をします。妻はKさんのことを慎ましやかなかわいらしい女性と思っているようですが、私は彼女のど根性と闘争心に、5年間机を並べて尊敬とともに正直ヒリヒリしていました。私が最もマネジメントとして鍛えられたのは、間違いなく彼女の席の隣で、400人の中国人たちの対応を二人でしていたあの時間だったのだと今でも思っています。

私自身、何度もへこたれたし、逃げるようなことをして後ろ指をさされたこともあるし、ミスや失敗は今でも毎日しています。さっきもシステムへのデータインポートで誤ったデータをインポートしてしまいました…

会社を経営するという時に私は、「仕組み化」ということをかなり強く経営者の方に言う傾向があると思います。日本の経営者の多くは制度で人を動かす、ということのスキルが低い傾向が著しいと思っています。しかし、同時に多くの経営者の方の人間的な対応力はとても素敵だと思っています。


人は皆、何か足りない。弱くて、逃げ、突き詰めないし、感情的になる。経営とは、そうしたものの「何とか足りるところ」をつなぎ合わせて成果にし、危なっかしいところを炎上しないようなだめつつ、何とか同じ方向へと進んでいく、そうした様はとても見ていて楽しいし、興味深いのです。

そんな光景を少しでもハッピーエンドにしていくお手伝いを弊社ではしていきたいし、少しでもお届けして参考にしていただきたいと、300回を機に改めておもっております。

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