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「隠す」文化は依然有効なのか?

少し前の話、都内のとある会社の代表から、私に役職に就任して直接サポートしてほしいというご相談をいただいたのですがご遠慮させていただきました。本当は売上も実績も欲しかったんです。しかし、この数か月の交流の中で長くは貢献できないかな、と思った出来事があり、「経営に共同責任を持つ」という点では看過できないものを感じたからでした。

そこの会社の代表はもう70近い実績ある経営者で、良くも悪くも「昔の中小企業経営者」でして、とっても人格者です。人脈はとても豊富で、でも「経営技術・知識」には欠けるので、真逆の私で補いたいということだったのです。私もこの人のことは、人物的にも、社会的信用という意味でも長くお付き合いしていてとても尊敬しています。ただ、違和感があったのは、同社で新しく事業を進めていこうとしているサービスの中で、「効果試算」に、保守費や保守部品代など全ての経費を盛り込むべきか、という時に「当初試算には、保守費、保守部品代は盛り込まず、話が煮詰まったあとで説明する」という統一方針を示されたときでした。

この進め方に私自身の考えとはかなり異なる点を感じ、今後どんどん入り込んで仕事をすると、業績以前にその点で違和感が大きくなっていくような気がしたのです。そして、それを直接当人にぶつけることはしませんでした。それは生きてきた時代や環境の差であり、おそらくは埋まらないギャップです。ならば、役職には就かずに、そっと今まで通りの関係でいた方が良いだろう、と思いました。この老経営者が特別不誠実で憤っている、ということを言いたいのではありません。実際、私よりも彼の方が実績も信頼もあるのですから。

日本では、自分にとってあまり芳しくない情報は開示しないこととし、それを「営業秘密」といい、「情報セキュリティ」という名で営業する社員の手足を縛る、ということが今でも多くの場面で行われます。これは大企業でも中小企業でも見られる現象です。「日本では」と書いたので外国では違うのか?と思われたかともしれませんが、私が知る限りこれは中国でも変わりがありません。ただ、中国では、「騙される方が悪い」という常識が売り手にも買い手にもあります。買い手も最初から疑ってかかっていますし、売り手は美辞麗句しか言いません。そして、30年前の日本も営業の現場は皆表立っては言わないものの実情はそうだったのです。(私が体感しているのは、25年前までしかありませんが)

このことは、年長者の老害、と一刀両断にして済むものではなく、若いリーダーの組織でも実際にはたくさん起きています。たとえば、別の最近目にした事例では、新サービスの利用者数について、調べればわかるし、発売して間もなければ少ないことは誰の目にも明らかなのにわざわざ隠しているようなケースがあり、質問すると「帰って調べて(本当は、上司に言ってもいいか確認して)お答えします」と、そんなことも知らないで営業してるのか?と思うような回答を平気で若者にさせている会社に出会いました。そして、そこを突くとどうやら、「数字はあるし、知っている」しかし、「その数字が厳密には誤差がある」と上司が指摘し、それを表示することを禁じていたようなのです。もちろん、その誤差が性能に関わるような製品ならばその対応もわかるのですが、全然そうではないサービスでした。つまり、その会社の若い上司は、「隠したい」気持ちを、「数字が精査できていない」という「正しさ」に置き換えて、隠し事に対する自己弁護を図っていたのです。もちろん、部下はそんな上司のいやらしさをわかっています。

それならば、今は小さいですが、こうやって大きくしていこうとしています、という具体的説明を聞いた方がよっぽど説得力があるのですが、組織のトップが、まず隠すことからスタートしているので、現場の若者もそういう発想にはなりにくくなっているし、それを指摘されて委縮している状況では、サービスの改善は望めないのだろう、と購買以前に本業の経営改善視点で若いのにすでに宿痾を抱える組織を見て暗然たる気持ちにさせられました。

たしかに、伝統的営業プロセス論(アイドマ理論)では、最初に話を聞いた時に、「興味関心を強く持ってもらう」ことが最優先事項であり、細かな便益費用分析で優位性を認識させることは、その後に行うものであるとされています。昔の販売士のテキストにもそのような書き方がされていたように思います。グダグダと細かいことを話して、本当の関心事を散漫にするのは得策ではないとされています。しかし、その前提にあるのは、「この人の話はちょっと聞いてみよう」という信頼であり、よほどのイケメンや話し上手でもない限り、「この人は嘘やごまかしはしない」という信頼がその橋頭保を確保するために誰もが出来る方法なのではないか、と私は考えています。

しかも、買い手からしたら、当然聞きたいことである、「過去の販売数」「導入実績のある企業」「導入企業での成果」「導入企業での継続状況」などの情報を進んで提供できないのは、よほど実績がなくて都合が悪いか(多くの場合はこちら)、よほど要領を得ていないか(この場合も若い企業だと時々ある)のどちらかです。

「隠すべきこと」ってあるんだろうか?

外部から非公開を前提に開示されたその人が所有する情報は約束を守るべく隠すべきでしょう。個人情報についても法律上のクローズでの出入り管理が義務付けられています。でも、他に隠すことに一生懸命になる必要のある情報なんて、社内の情報であるんでしょうか?そんなことをしても、真似をしようと思えば大抵のことは出来てしまうし、製造原価も工程も分解すればわかってしまいます。人事で言えば、社内の退職率や休日出勤の発生率も検索でわかりますし、検索しなくても推測が付いてしまいます。どんなに取り繕っても、店舗サービス業系は全般に退職率も休日出勤率は高い傾向にありますし、5万円の「高級ブランド品」の製造原価が数千円、化粧品や健康食品に至っては数百円なのは皆わかっています。その先にマーケティングや競争はあるわけです。退職者は文書自体は持ち出さなくても、学んだ帳票管理のイメージや方法論、人脈は持ちだして次の会社で実践していますし、商品が導入されて現場でどうであるかは一定の販売数量があれば、検索すれば基礎調査ができてしまう時代です。

組織はますます人が入れ替わるようになり、外部の組織との協業が当たり前になっています。その中で競争力が存在するのは、組織としての効率的オペレーションを行うためのトレーニングとPDCAサイクルによる改良の実行を行うノウハウにあり、容易に入れ替わってしまう「特別な個人」や簡単に模倣のできる「staticな設計等の情報」にはない時代になっているのに、「秘密」に関する制度は前時代の概念を依然引きづっているのではないかと思うのです。

結果として、隠す対象とルール上なっていたことは実際にはほとんど隠されておらず、そして、そのための「情報の棚卸や報告帳票の作成」「セキュリティルール」に膨大な時間と費用が投下されているが、それらは、ベンダー業者のためにはなっても会社の生産性強化にはむしろマイナスになっているのではないでしょうか?

何のために隠すのか?

もし、あなたの会社が上場企業で情報セキュリティ監査が行われているならば、管理台帳の品目上、法律や相手方の制約で非開示になっていること以外が本当に必要か見直してみるとよいでしょう。そして、その残った項目をなぜ隠すルールにしていたのかをもう一度見直してみてください。

隠す理由は漏れると悪用されるからでも、模倣されるからでもないはずです。本当の理由は、今の自分たちの課題、未到達の部分を「わかってもらえる様に関係セクターに説明するのが面倒だから」でしょう。そして、さらに言えば、「どうすればそれを改善できると思っているか?」を自分でも筋道立てて描けていないで反論できないからでしょう。

時々、決算やその他の外部公表資料で、「お化粧をする」という言い方をすることがあります。それは、当然しなければいけない決算時の科目内の整理を指していることもありますが、そうではない「誇大表示」的なものも見かけます。そういった修辞虚言に引っかかるような方にもリテラシーに問題があるのですが、その時にはやっている側は、時間稼ぎをして、その間に現実を言っていることに合わせられるよう頑張ろう、という気持ちなのです。

しかし、それが実際にできることはそれほど確率が高くありません。多くの場合、そうはうまくいかない。そうすると、「化けの皮が剥がれる」状態となり、内外から失望を招くわけです。中身を充実させることに重点を置き、説明できるような進め方をして、お化粧はほどほどに、というわけです。

もっともこの件も、使い分けもあるのだと思います。最初からマイナス面含めてキチンと情報開示して、でも説明すればわかってくれる、というのは若い担当者、事業企画や営業部門に見られる傾向です。総務財務部門や50代以上の担当者、それに金融機関にはこうした「中身の話」はなかなか通用しません。依然「隠す」文化が隠然とある(でも、隠すと烈火のごとく怒る)ことが多いという日本の現実もまた対処しなければならないところです。

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