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台風は休むべき?中国の場合

久しぶりの中国情報です。(中国ネタはアクセスが少ないので、控えていた)台風のため、家で過ごしていたら、一緒に中国に赴任していた妻が言い出したことがあります。「テレビの台風マークの色が刻々と変わる」

今日はこのお話をご紹介。

私が住んでいた深セン(香港の北隣)は、日本よりも少し早く台風シーズンを迎えます。私がいる時は8月が多かったように思います。日本で言えば、石垣島や宮古島よりも南、南回帰線が街を横切る亜熱帯地方のため、勢力が強いままの台風が時々直撃します。

すると、接近のおよそ72時間前からテレビ(中国都市部では基本は全世帯がCATVでの受信のため、深セン市民向けだけに画像をアタッチする、ということが可能であり、海賊版の閲覧ができないです)の左上に台風のマークが出て、これが青→黄→オレンジ→赤(だったと思う)と色が変わっていくのです。赤に近づくほど、危険が差し迫っており、風が強いという意味です。そして、黄色で学校は休みになり、赤は官公庁も閉まる、というような行動基準が設けられています。

私が総経理していた会社も、もともとは95%が会社に隣接する寮からの出金だったので、こんなことを気にする必要がほぼなかったし、社員も荒天で休業云々よりお金をくれ(臨時休業にすると、その分の歩合給を補償しろと社員は言ってくる)という感じだったのですが、勤務時にはだんだん幹部だけが30歳以上に高齢化し、近隣、中にはバスで1時間という遠隔地に家を買って(不動産を先行して入手することこそ、当時の中国の「成功」への近道でした)通勤するようになってきていたため、赤は、「寮居住者以外は出勤しなくても欠勤控除はしない」という基準にしました。

実はこれには別の意図がありました。「高齢高給層がいなくても、制作スタッフさえいれば、ちゃんと現場回るじゃないか!」という事実を当人たちに見せつける、ということです。そう大したことはやっていないのに、大卒というだけで給与が高かった層を生産縮小に伴い、大幅に削減することが必要になるために取った策でもありました。

この色による警報システムは、台風以外にも、雷や大雨でもあり、市民の生活の参考になっており、いずれも赤が一番危険を表すのですが、一つだけそうではないものがあります。それは、「猛暑の警報」

東京も暑いですが、深センは5月下旬から10月初めまでは亜熱帯の雨季のスコールと日照りを繰り返します。照れば38度。降ると生活の中で眼鏡が曇る湿度です。そんな中、猛暑警戒で一番ひどい色は、「黒色警報」です。確か、その一歩手前は紫色だったと思います。

テレビに台風と雷と大雨、それぞれのマークが3つ表示されることもあります。日本では、「台風」は雨と風両方のイメージですが、中国華南では、「風」のイメージでして、「雨」「雷」は別枠なんですね。

このマークで警戒度を表し、テレビ上、あるいは公共機関の旗などで市民に知らせ、一律に安全を確保する規制を行ったり標準を定める、という方法は当時の日本のあいまいで、各行政や個人任せの判断からすると、安全性が高く合理的なものだと感じていました。当時の日本は、「根性で出勤することが美徳」という空気が根強かったですし、私自身、家電店に勤務している時に、客のめったに来ない(たまに懐中電灯の電池を買いに来る人がいる)店舗の自動ドアの下から吹き込んでくる雨水を一日中掻き出していました。

今回の台風19号では、交通機関の計画運休に加えて、小売業や飲食店も従業員の安全を考慮して休業を選択するという流れが定着しました。警報もレベル〇〇という言い方がいつの間にか定着しているようで、ようやく、安全管理面で日本も中国に追いついてきた、という感慨を持ちました。街別のCATVではないので、中国型のプッシュ通知は難しいのですが、外国人、子供、お年寄りなど多様な人が暮らす社会では、このようにシンプルでわかりやすい通知、それに伴うシンプルなルールが安全管理上は必要です。

しかし、なぜ日本では雪や台風でも必死に出勤することが正しいとされ、それがここ数年急激に否定されるようになったのでしょう?そして、私自身が昔は一番そのような「根性を見せる」タイプで、今は、最もそういうものをバカにしているタイプという変わり身を見せているのですが、そこには先ほどの中国との対比においても経営上のキーワードが潜んでいるように思います。

それは、「一様さを標準として、差異を排除するプロセスを通じて凝集性の高い組織を作ろうとする原理」が旧軍以降、かつての日本の組織には働いていたのだと思うのです。そして、それが正当化されたのは、とにかく前に進めば収穫が得られた環境があったので、逃げずに前に進むことを強制する集団行動原理を取ろうとしていたのです。

わかりやすく言うと、旧軍においては、対戦する相手によりも比較的優位な兵器と地理的条件をもって戦うことができる局面が19世紀後半からしばらくの間続きました。これは、設備への投資で対戦相手よりも上回っている状況が、西南戦争、日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦と続いていたためです。この局面では、とにかく戦力を分散せず、戦略目標に戦力を集中して突破することが正当化されたのです。(ランチェスター戦術ですね)。もちろん、投資、それを支える金融ではるかに自己を上回る相手に同じことをしても、これは前提条件が異なります。それがアメリカとの間の戦争で起きたことです。

戦後は朝鮮特需以降、波がありつつも需要は常に拡大し、政府は設備投資を政策的に支援し、労働力は欧米よりも安く、アジア諸国の産業は非常に貧弱である状況の中では、とにかく作る、売り込むを強く繰り返すことで一定の収穫が得られていました。その過程で、顧客満足の高度化であるとか、環境性能の改善を思ったとしても、言わないことが組織の収穫最大化のためには正しいことだったのです。異論を議論する時間があれば、その時間で市場浸透を少しでも先んじることが最適解でした。そして、労働力は多少戦闘で減耗しても人口増加局面では次々と供給されていたのです。

投資という面でも、労働力や労働単価という面でも2000年以降大きく優位性が失われてしまいました。投資規模も重点産業においては中国、韓国の方が日本よりも一桁多い状況があちこちに現れました。メモリ、LED,液晶、太陽光パネルに電池、最近では電気自動車などの分野で、コストでも技術でも日本は中国の後塵を拝する状況になりました。今の国際市場において、昔のように進軍ラッパとともに、突っ込んでいってもそこにはコストでも技術でも勝てずに死屍累々の戦いが待っており、相手の物量戦に対しては、局地戦をその地に合わせて、各自が細かな工夫をし、臨機応変な対応をしながら積み重ねることがビジネスに求められるようになりました。そこでは、ひたすら考えずに突撃、の方針は通用しないのです。

一方で日本の労働市場自体が、高齢化し「旧軍勢力」だけでは人数が不足するため、女性、外国人が多数働くようになり、彼らにそっぽを向かれると仕事は立ち行かない状況になり、新たな「男性」労働力の供給は人口構成上減るばかりです。

進軍ラッパで統率するタイプの組織は市場の獲得という点でも、労働者の確保という点でももはや、成り立たなくなってしまったのです。その点、中国は女性の勤務率はほぼ100%で男女平等がほぼ実現しています。言語も学歴も多様性がある中で、安全という意味でも分かりやすい基準が必要であるし、「成果」以外で人を区別していては成り立たないし、価値観は統一されないことが前提の社会なのです。日本も、進軍ラッパを吹いても誰もついて行かない社会になった、ということなのです。

実は昔から雪や台風の日に出勤したところで、売り上げが上がるわけではなく、電話が少ないので、落ち着いて過去の業務整理をし直すことができる程度のことでした。しかし、実はこれ自宅でもできます、強い精神力さえあれば。そして、場所は問わないが、成果は問う厳しさが組織にあれば、ですが。

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