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「現場感覚」とは何か?

最近、1年ぶりぐらいに、現場に常駐して席を並べて仕事をするスタイルの業務を再開しました。(四季報での報告に、「初めて」であるかのような記載をしましたが、それは間違いで、一年ほど前までは、常駐型のお客様も複数いました)

 経営サポートの方法には、経営者が持っている情報を経営者に提供してもらい、分析と判断のサポートを同じ視点から経営者に対して行う、というスタイルと、経営者に許可してもらって現場に入って、自分で現場の情報を吸い上げて、経営者に上申しつつ現場へ直接、方法や方針の変更を促して成果を上げるというスタイルがあります。
 100人を超えるような規模の会社をお手伝いすることになると、全社マネジメントだとどうしても前者にならざるを得ませんし、部門の立ち上げや改善ということに取り組むとなると、後者が有効である可能性が高いのは想像できると思います。しかし、実はそれだけではありません。

 最初に誤解がないように申し上げますと、日本ではそれが正しくないと思っている人が多いようですが、「現場の業務を知らない」人が経営者になることに、別に問題はありません。組織が大きくなってくると、市場のこと、現場のことそれぞれに経営者が多少知っているとしても、それを元に判断するほどの情報の量や品質は期待できなくなります。中途半端に知っているつもりになっていて、人の話を聞かないで予見を持つことはかえって弊害を招きます。
 各セクションに、必要な知識を持ち、かつ達成に向けたマネジメントスキルを有する人を配置すること、そこからスピーディに情報が吸いあがり、指標が示すイレギュラーに対して、常に先手で判断ができることを重視するほうが正しいのです。むしろ知らない方が、客観的で正しい判断ができる(知っていると、情に左右されてしまうという苦しさを吐露する経営者の方は多い)という面もあります。

 ただし、そのような「現場と経営が情報を通じて直結した状況」がきちんと実現しているケースはもちろん多くありません。現場から上がってくる情報が、不正確であいまい、隠し事があり、兆候判断が遅れがちであるからこそ、先ほどの「経営者が現場を知らないといけない」という話になるわけです。
 が、上で申し上げたように、「現場」のアジリティやレポーティング能力を整備することが正しい対処であるわけです。そのためにこそ、一つ一つの現場に入りこんで、余計な時間と作業を取り除き、データの定義と収集を整備する必要があり、結局それが、「現場の人時効率性とサステイナビリティの向上」につながるわけです。

 目的は「現場の強化」ではなく、「経営の強化」であり、現場の強化は、その手段の一つである、というのが私の考えです。と言っても、当面は現場の「要求にこたえようと思ってもできない理由となる困りごと」を知り、それの要不要(解決方法の前に要不要を考えるというのが大事なポイントです。多くのことは、「そんなことやらなくてよい、という責任者の一言が最善の解決策だからです。)を考えていくことになります。

 その「困りごと」を「現場感覚」と呼ぶならば、常駐方式は、確かに現場感覚を得るのに適した方法です。特に初期においては、話を聞くよりも、社員のいるその場に一日いる方が、はるかに効率的に情報が得られます。
 それに加えて、本当のことを推測し、そしてそれについて率直に意見交換できる信頼関係も必要です。しかし、その現場感覚や、信頼関係は、「同じ釜の飯を食」わないと得られない、つまり同じ空間で苦楽を共にしなくてはならない、というのは昭和臭のする思い込みだとも思います。
 ある程度実情がわかってしまえば、問題の構造と、今からやるべきことの構造を示すには、口頭よりもむしろ、事前に準備しておいた文字や図表の方が便利です。つまり、「むしろSlackの方がよい」のです。

 また、「同じ空間にいた方が信頼関係が生まれる」というのも「同調圧力」が効いた時代が正しいと思っている世代の誤解です。価値観も環境もバラバラが当たり前の時代に、信頼関係の基礎になるのは、「自分たちの成果が上げられるようにベースを整えてくれる(業務を効率的なものだけに整備してくれる。売り上げが上がるネタをもってきてくれる…)」という期待と、少しずつそれが進捗することです。
 そこをきちんと伝えて、そして結果を示していくことこそ、メンバーの求心力や信頼を得るために必要なことで、テレワークでもできることだと思っています。
 なお、それは本来、「管理職のあたりまえ」のはずです。成果の上がらない突撃の先頭に立ってもらったって誰もついて行かない時代です。

 現場感覚が、「情報の的確さ」と「組織からの合理的期待」によるもので、地理的な密度によるものではないのだとすると、朝早くから、汗を拭きつつそこへ行く理由は何なのでしょう?
 それは、これからおいおい実証していきたいと思うのですが、私のそのことへの答えは、「その方が自分が楽しいし充実感があるから」であるべきだし、そのようにしたいと思っています。

 

 

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