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「過剰品質」を生む社会

どうして日本企業は労働生産性が低いのだろう、という議論が最近は盛んにあちこちで行われています。私もこのブログで、「儲からない事業から撤退しない」日本の組織の意思決定の弱さや「儲けない人材を保持し続ける」人事評価制度の時代錯誤を時々書いています。しかし、もう一つ目立って存在する原因があります。それは、「完璧な品質」を求めて、過剰なコストをかけ、過剰な準備期間を置くということです。

いつまでたっても準備中で営業開始しない「新サービス」、かつてはあった大量の返品に恐れをなして海外で2度、国内でさらに検品をして結局高くつき、生産元にも愛想を尽かされる海外生産。そうして費用だけが膨らみ、売上を引き下げ業績の重荷になっていく事例が後を絶ちません。

「過剰な」という言い方をしましたが、「過剰」とは何を基準にいうのでしょうか?中小企業にとって(本当は大企業にとっても)それは、「計画していた市場で計画していた数量を売るのに必要」な基準であり、「不良事故0」や「クレーム0」ではないはずです。特にBtoBのビジネスでは、費用対効果が厳しく求められる中で競争優位に立つためには、サービスに関して言えば、「効果が発揮できる市場で戦う」と同時に、できるだけ費用を抑制する(もちろん十分な利益が出る範囲で)ことで提供価格で対抗(それがどの水準なのかはケースに寄りますが)することが重要なはずです。

品質が良ければ売れるはず?

まず、「品質が良ければ売れるはず」という多くの人が思っている思い込みは正しいのでしょうか?世の中に同等商品が沢山あり、利用者がそれがどのようなものであるかをわかっていて品質比較が容易なものでは、同じ価格ならば品質が高い方が売れるでしょう。しかし、その品質が高いかどうかはどうやって確認できるのでしょうか?皆さんは家電コーナーのテレビ売り場に行って、「画質がいい」と宣伝している高額な新方式のテレビと、普及価格帯の量販モデルとの画質を別々に見て、良否を判定できますか?並べてみてもほとんど差はわからないでしょう。実際には、品質ではなく、ブランドへの信頼感で選んでいるのではありませんか?そして、ブランドを信頼しているからと言って、新興海外メーカーの2倍の値段で買いますか?実際には、小さな差しか許容しないでしょう。

もちろん、機能を果たさないような粗悪品を提供してよいわけがありませんが、売れる商品は、「自分の困っていることを最低限のコストで解決してくれるもの」で「品質が問題にはならないと信頼している」ものです。そして、本当に品質が優れているかどうかは実は多くの場合、確かめることができないのです。

売れてるものは品質がよい

実際には、売れてるものは、ノウハウも蓄積され工程の改善も進めやすく、人員や設備の投資もできます。結果、知恵も集まり技術も高められるので品質を良くしやすいし、それでも共通費が広く薄く分散するので平均コストを維持できる、というのが起きている現象の正体です。つまり、原因と結果を逆に理解しているケースが多いように思います。特に中小企業の場合、事前の投資規模は限られているので、「売った利益で改善していく」ということにせざるをえません。

つまり、そこそこ出来上がったら、そのサービスが通用するであろう「強みのある小さな市場」で不十分な点が残っていると認識していても、そんなことはそ知らぬふりで投入して必死で売ってしまう、もちろん起きるであろうクレームは改良点として甘受する、という姿勢を取るということです。その代わり、そのターゲットにする「小さな市場」ではわかりやすい明らかな効果があり、それが費用を明確に上回ることが必要です。まだ、改善点がある、準備不足だと躊躇する現場に、「いいから、売ってこい」と指示し、事前の改善に差し向ける労力は市場のクレームのうち、汎用性があるものへの対処に投下するべきなのです。

実は、これは日本以外では当たり前のことです。最初は大したことのないいい加減なサービスを出しながら、やりながら毎週のように改良していき、いつの間にか日本企業が追い付かないような品質、規模になっているものが中国発、アメリカ発でたくさんあるのは、その姿勢が原因ではないでしょうか?

品質恐怖症を克服するには

なぜ、こんなにも「品質恐怖症」が日本には蔓延してしまったのでしょう?この現象は特にいわゆる「(学業が)優秀な人」が集まる企業で規模の大小を問わず顕著な傾向のように思います。歴史的経緯、そして過剰品質が売れていた時代が短い一時期あったという幻想を除けば、今そこにあるのは、「利益とは直接リンクしない道徳観念」であり、顧客(多くの場合、それはエンドユーザーからの責任追及を回避するための流通業者)からの「叱られることへの恐怖」ではないでしょうか?そして、そこにさらに、「お客様は神様」というもう一つの誤った常識が思考停止を発生させています。これが全日本規模で発生してしまっているのは、いろいろな社会的背景があるのですが、長くなるのでそれは別の機会に譲りましょう。

ここまでご同意いただけたら、対策は自明でしょう。一つは企業での行動基準、評価基準は、「利益」であって、「クレーム0」ではないのです。品質は、「利益」の手段であって、目的ではありません。そんな当たり前のことが徹底され、そして指示や評価のルールに組み込むということです。

そして、もう一つは、誰に向けたかわからない品質に割くコストは無駄であり、対象とする層に、効果を納得してもらうことにコストを割くべき、というマーケティングファーストの考え方と販売政策立案ルールの組み込みです。御幣を恐れず言えば、「本当に優れた品質か」ではなく、「品質が(その人にとって)優れていてぴったりだ」と認識させることにお金をかけるべきなのです。

そして、日本人に広く深くしみ込んでいる「儲けることは卑しいこと」という価値観を徹底して否定していくことは実は日本の経営者にとって重要なことだと思います。儲けなければ、社員の昇給もできず、技術への投資も、残業0への増員もできず、地域貢献もできないのです。

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