土日は時間がある限り時事ネタを短めに取り上げています。
今週話題になった吉本の古い体質。契約書を締結したがらない、恫喝、論理よりも感情を優先する非合理性、経営責任、説明責任を果たす言語能力に欠如する「現場の上がりポジションとしての社長」…
それと並行して弊社は今週、お取引先で行政関連業務への応募をするにあたってのガバナンス、コンプライアンス体制に関してレポートするという課題があり、若いベンチャーの社長に、統治システムとしてのガバナンス体制、具体的には内部でのPDCAシステム、業務フローの明確化と判断ポイントでの証跡保管、そして外部チェックの仕組み構築と機能保全策などの基本的考え方を説明することに多くの時間を割くことになりました。
日大アメフト部暴行事件から1年、またアメフトOB(吉本 岡本社長)の「脳みそ筋肉」体質が露呈したとか、私も軽口を叩いていたのですが、説明の言語能力の欠如、行動のコンプラ上の抑制という点では決して無関係ではないと思っています。現代において、社長は経営の戦略遂行の責任者であると同時に外部の関係セクターに対するその状況の最高のスポークスマンであるスキルも要求されています。その「スキル」のある人間を社内外から合理的に探して起用するのではなく、声も大きく押しが強く、それでもってよく売った人が前任社長に後継指名され、前任を否定できないままに何も変えないでいる、という体質は古い日本企業では良く見られてきた事例です。
これは世の中の「会社」というものに対する要求がこの20年ほどで大きく変わっている、ということに対して、経営陣、もっと言えば株主であるテレビ局・広告代理店・創業家の認識の甘さが、時代遅れの体質を生んでしまったのです。
吉本興業は一度は上場したものの、その後上場を廃止しています。その時には表向きにはいろいろな理由があったものの、実際には、上場維持に伴うこうした「リスクへの予防措置を会社にインストールすること」の要求の大きさが嫌になった、という実情が今回の大崎会長の発言からは見て取れました。要は、「昔の大阪流を続けたかった」のでしょう。今回の騒動を見ても、そうした「古い体質で育って新しい社会規範を知らない層=ベテラン層」の芸人は概して現体制に同情的です。
しかし、非上場ならそれは許されるのか?ということはそうではない。確かに上場すると不特定多数の株主が生まれるということでこうした株主を保護することが上場という制度の枠組みの中で要求されます。しかし、非上場であっても、多くの取引先や顧客、あるいは行政当局などの「関係セクター」との関わりの中で生きており、年商数百億、1千億という規模になれば、上場有無にかかわらず、社会的責任というものはいやがおうにも増大します。しかも、官公庁の仕事に手を伸ばしていたのだからそこは無視できるものではありません。
この20年で大手企業の総務、経理の見る風景は大きく変わりました。一言でいえば、一つのリスクの具現化が会社の事業価値を大きく棄損するようになり、これらを未然に有効に防止するためのガバナンス、コンプライアンスを会社のシステムとして実現するということが要求されるようになりました。企業は資金ショートよりも、むしろ、ガバナンスの失敗により危機に陥る時代になったのです。その中で総務経理も昔のように、経理処理や設備メンテをしていればよいという役割ではなくなり、理解力も、チェックと是正を行う力量も高いレベルが要求されるようになりました。そして、ここが機能を果たせない管理部門、あるいはここが会社の存続の安定性を担っていることを理解していない経営者が不正経理やコンプラ違反などの事件を起こすのです。
そして、今回私もお取引先にも先に列挙したような基本的手法をご説明したのですが、その中で一番重要なメッセージは、その背景にある「会社がパブリックな存在であることへの責任」です。これが組織に浸透していないと、これらの業務システムはたちまち形骸化します。企業は利益を出して配当すればなんでもよい、という話は少なくとも日本では全く通用しなくなりました。中国等外国の企業文化を知っていると私もこの「余計なことに足かせをはめられている」という感覚を持たないわけではありませんが、現実には「市民の良識」が定期的に大きな企業を危機に陥れています。
今回の出来事の前にも、カネカの転勤問題、損保ジャパンの介護分野への大量異動、今治タオルの外国人研修生の酷使、セブンペイの会見失敗、かんぽ生命のモラルのない営業…昔では問題にならなかったこと、あるいは法律上は裁判では負けないことが企業を危機に陥れているのです。
21世紀型の企業の統治システムは、口では「お客様~、社会に~」といいつつ、その中にいていままでのあいまいで自分の裁量、というか融通を効かせて自分の味方を作るような仕事をしていたような人からすると、費用が膨大にかかり、しかも、「つまらない」ものです。しかし、それは、「パブリック」にとっての「つまらない」とは異なります。たとえば、世界で最大のエンターテイメント企業の一つであるディズニーは、その理念を非常に大事にし、同時に優れた収益性と周囲から十分信頼される内部統制システムを実現しています。時々問題が起きることもありますが、おおむね高い顧客満足と従業員満足を実現しているともみられています。ディズニーの経営者は他の企業にも高給で引き抜かれ、「プロ経営者」として評価されています。パブリックはそのつまらなさを評価しています。きちんとした統制、コンプラを実施したら面白くなくなる、ということはこれをみれば逃げ口上でしかありません。ただ起きるのは、「新しい社会規範、ルールに対応できない能力の人・組織の退場」でしかありません。
つまり、今巻き起こっている批判の背景は、自分の好きにやりたいことを優先し、社会の変化に対応することをやめてしまいながら、それでもパブリックであろうとする吉本興業の時代遅れさから生まれているのだと、私は思うのです。吉本がディズニーになれるのか…それは経営者次第であり、あの「脳みそ筋肉」ではだめなんだろうな、と思ったものです。