紳士服チェーン大手の業績が振るわない、という上期決算ニュースの解説には、決まって「スーツ離れ」という言葉が表れていました。私も20年以上毎日スーツでしたが、独立してからはスーツを着るのは週1,2日になりました。というのも、若い人たちがたくさん集まる会社とお付き合いさせていただく機会が多く、彼らのトーンに合わせて、私もスーツではない格好で伺っているケースが多いのです。でも、いい年してジーンズはみっともないので、ユニクロの白のオックスフォードシャツに、ユニクロの感動パンツ、最近は寒くなってきたので違うスラックスを買わないと、と思っているところです。
営業していると、夏でも冬でも急いで歩くのと緊張とで大汗をかきます。特に私はその傾向にあります。毎日クリーニングできるわけではないし、シャツもズボンもクリーニングに何百円も払わなくてはならないこの慣習が到底合理的とは言えない、とは私もずっと思っています。そもそもこのスーツ姿、19世紀のイギリスのお金持ちのやせ我慢から始まった格好優先のスタイルであり、毎日何時間も歩いたり、夏35度以上になったり、ということは全く想定されていないわけです。
20年ほど前までは工場などの「作業用の服が安全衛生上適当」なところを除けばほぼすべてがスーツが当たり前でした。1999年、当時はまだディレクトリーサービスを中心にしていたヤフージャパンに商談に伺ったら、ジーンズ姿の担当の方が自分でウオーターサーバーと紙コップでお水を持ってきてくれて、「スーツ姿必須で女の子がお茶係」だった会社しか知らない私には、同社のそれに一番「新時代の旗手」感を覚えたのをよく覚えています。同じころ、私がいた会社でも他の部門の管理職の方が「私服作業OKにしよう」と言い出し、チノパンはいいがジーンズはダメ、とかコードを決めて取り組まれて私も2週間ぐらいユニクロのチノパンで出勤してソフト開発業務を行っていたことがあったのですが、親会社から来た50歳の(私の不倶戴天の敵である)役員がこれを毛嫌いして、すぐに全社廃止させられました。
それが今では朝の電車にのっても、冬になってもノーネクタイの人もそこそこいるし、私服姿の人も決して少なくない時代になったわけで、時代の変化の速さを改めて思いますし、紳士服チェーンの苦吟は気の毒に思うばかりです。
あるお付き合い先の社長さんは冬でも社名入りのTシャツ姿で大企業だろうが、官庁だろうが会いに行き、テレビ出演までこの格好でしてしまうので、ここまでいくと「あなたは広告塔として冬の外でもずっとそうしててください。」という感じではありますが、それでもお付き合い先のベンチャーの幹部の方には、社長と同じ感覚ではいないで、時と場合に応じてスーツを着ることをお勧めしています。その時と場合とは、基本的には「相手のルールに合わせる」ということです。そのこと自体を迎合ととらえよく思わない若いビジネスマンもいますが、売っている相手が同じような考えの会社ならばそれでよいでしょう。しかし、レガシーな大企業に営業に行き、先方の役職者にサービスを説明し、先方で社内稟議を起案してもらおう、というときに、自分たちが「異文化の新興企業」と思われているか、「常識的な付き合いができる会社」と思われるか、どっちが得かと言えば、通常は後者であり、そんなところで角を立てる必要はまったくない、と思うのです。
大企業の勤務経験がない若いベンチャーの経営幹部の方は、大企業の意思決定の仕組み、そしてその背景にある圧力がどのようなものであるか、ということを十分理解されず、「新しい、面白いものを提案すればきっと関心を持ってくれる」と無邪気に思われているケースをたくさん見ます。そして、実際にジーンズ姿で商談にいくと、相手の方は「面白いねえ」と言ってくれます。それに気を良くして会社に帰って「〇〇商事さん、大変興味深いのでぜひ上と検討したいと言っていました!」と報告しみんなで拍手しているが、実際にはなかなか進まないのはなぜなのでしょうか?
一つは、多くのチェックを稟議の過程で受ける(実際には大してみられていないのだが)中で、定量的に効果金額が投資金額を上回ることが説得できるものは比較的容易なのですが、そうではない定性的なメリットの商品はその会社の前例や同業他社での導入効果事例といった「前例」を必要とします。また、「大きな欠点がない」ことが稟議前の「ご相談」をするうえで必要になり、その際に大事なのが、「その会社が大丈夫な会社なのか?」という点であるからです。この大丈夫な会社とは、表面的な財務的評価、あるいは反社との付き合いがないといったことだけでなく、継続的に良質なサービスが提供されうる仕組みであるのか、や、この先継続的に取引していくことが自社の評判や社員の知識涵養にマイナスではないか、などの要素も重要になってくるわけです。簡単に言えば、「自分たちと同じようなちゃんとした会社」と思われた方が(もちろん中身はあることが前提として)マイナス評価をつけられるリスクを下げられるわけです。
そういう考え方の会社・組織に営業しようとするならば、それに合わせて服装もwebサイトも会社案内も選ぶべきなのです。私はよく、「日本は変わりつつある」ということを言いますし、ここでも書きますが、それは全部がそうだというのではありません。いわゆる「大企業」は一番あとからその様子を眺めているのが現状です。
同じような内容で、たとえばタクシーの乗り方、エレベーターの乗り方、お茶の出し方、というようなことは大企業では新人研修、あるいは入社前の学習教材に乗っているような基礎的知識であり、上司から実践において指導されているような内容ですが、ベンチャー幹部にはこうした常識が欠落している方が多くみられます。そもそもそんなものに価値を見出していたらベンチャーの起業などしていないわけで彼らにそれを「社会の常識」として押し付けるつもりは全くありません。
しかし、相手が大企業の管理職の方だったりすると、面会時の所作一つで「自分たちとは異次元の人」という感覚を持たれてしまいます。それは決して調達先選定にあたってプラスではありません。もっと年齢が上の人、たとえば50代とかだと怒って、あとで部下に「非常識な奴」と言っていて部下が稟議があげられなくなっていたりします。あなたがどんなに英明なベンチャー経営者であり、優れたサービスを提供している人だとしても、世の中は変わっているようでまだその程度でしかないのです。特に留意すべきなのは、大企業の意思決定を行う層はいまだに45歳以上、トップマネジメントは55歳以上であり、その多くはその企業グループ内でのキャリアだけで昇進してきた「モノカルチャー」の人であり、彼らに支持されなければ、大きな売上には至らない、ということです。そして、もう一つは、人は物を買うときにその商品の価格と性能だけで決めているわけではなく、担当者であるあなたの人格や礼儀、服装などもその販売に関係する要素である、ということです。
私も、ビジネスはマナーが大事であり、スーツが前提、と思っているわけではありません。私がよく言うのは、服装も、提案方法も、「もっとも売れる方法は何か」を基準に決めなさい、ということです。あなたがどういう主義主張を持っているかはそこでは関係ない。一番売れる確率が高いものを選べばよい。そして、それは相手の思考パターンや好き嫌いを知る、推測する中で、相手の企業文化によってはスーツの方が有利なケースはまだまだ多い、ということです。
というような話を私服姿で仕事に励む若者たちに明日するために、私は今日日曜日の午後はビジネスにも使えそうなパンツ(ズボン)を買いに行こうと思っています。これも、彼らに「親身になってくれる仲間」と思ってもらい、今後も業務委託を続けてもらうための工夫でもあります。