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支店「統合」大作戦は大失敗

昔務めていたデータ処理会社で鳥取支社の機能を大阪本社に統合しろとの命が極秘に下りました。その時には私はプロジェクトメンバーではなかったので、上司からこっそり聞いただけでした。
統合といえば聞こえはよいのですが、支店廃止です。しかも、売上のほとんどのデータ加工と出荷は鳥取が行っており、大阪本社は営業に付随する部分とソフト開発のうち、私のいたGIS開発関連があるだけでした。つまり、売り上げを担う機能の大部分、そして鳥取にあった汎用機、40人余りの技術者を鳥取から大阪へ移すということです。

以前から鳥取には何度か仕事で出張させてもらっていて、鳥取のシステム開発部長は日程調整しようとすると「来週は祭りだからダメ、今週にしてよ」と言っていたり、また、家の田んぼの手伝いで有給休暇を使う部員がいたりしていたのを知っていたので、大丈夫なのか?と思ったのですが、鳥取から異動してきていた上司は「内々に感触をつかんだところでは、主だったメンバーは来るだろう」といっていました。

ところが公表されて3週間後、大阪への異動を承知したメンバーは全体で5名、それも40代以上が3名で、残りも主力とは言えないメンバーであり、36名は退職を選びました。私もソフト開発部メンバーを説得するように言われて電話したのですが、みんな当然だろ、という感じでそもそも検討の対象にもならないという感じでした。
当然、出荷体制を未経験者を用いて再構築しなくてはならないわけですのでそれからしばらくは大阪本社は大変な時期であり、また正常な出荷に一部支障を来す場面も増え、以前記載した「汎用機廃止プロジェクト」へとつながっていきました。

これまでいろいろな組織再編、統合の渦中に飲み込まれ、当事者の心の痛みとか、PMIのポイントとかは語りつくせないほど知っているつもりですが、これほどまでに見事な失敗は他にありませんでした。どうしてこんな見込み違いをしたのか?というのはその後何度か残った当事者にお話を聞いたのですが、言ってみれば他人の状況への想像力が欠如していたわけです。まず、役員のうち1名は証券会社出身者で、社員が転勤拒否してやめるなんて概念が最初から全然なかったわけです。もう一人は社内をよく知っていたのですが、その証券会社出身者のリストラ圧力に負けて、現地に打診をさせたところ「何とか異動するだろう」という感触を得て都合の良い回答にほっとしたという状況だったようです。その「何とか異動するだろう」と回答した当時の支社長は、独身で40歳過ぎで自分はいくことにさほど違和感がなかったのと、汎用機オペレーションの部長(この人は50歳近い)に聞いてみたところ、この人もいくしかないかな、という回答だったので、大丈夫と回答したようでした。ただ、この二人は年齢以外にも全体の流れに従う傾向が強いタイプの人(本来リーダー的ではない)であり、他の40名の代表的サンプルではなかったことに、自分たちが気づいていなかったわけです。

これは特別だとしても、幹部は往々にして「普通の社員」ではありません。幹部にこっそりインタビューしてそれが母集団の平均や最尤値とは乖離しているのは普通のことですが、事前に情報を開示しにくいこのような拠点廃止等の場合にはそのような事態は発生しがちであることを他にも見たことがあります。

鳥取支社の3階のシステム開発部の部屋は3面を窓に囲まれ、その3面とも美しい山が見えていました。秋には金色の稲穂が光っていて、祭りや農作業の話をしながらコーディングしているメンバーがいました。そのリアリティを意思決定する人は誰も知らなかったのです。

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