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中国で社会騒乱の中で

月曜日に香港のデモの話を書いたので、もう一つ、中国社会ネタをお送りします。(何度も言うけど、中国ネタはアクセス伸びないんですよね。月曜も酷かった…)今回は中国で社会騒乱が起きた時、中ではどうだったのか?から見る中国社会についてです。

2004年 SARS(新型肺炎ウイルス)

この時は赴任前でして日本で中国子会社管理担当でしたが、翌年赴任した時もまた流行していました。最初の発生地は違ったのですが、深センでも感染者が多数発生し、会社の近くの東湖医院(結構大きい病院)で世界で最初の死者が発生しました。

会社は寮、食堂完備の400人3交代でしたが、日本の顧客の委託業務をやっていて止めるに止められませんし、中国国内では全般に、仕事を止めて自宅待機して感染を防止するというような動きはまったくありませんでした。社員の中には、親から呼び戻されて退職して地方に帰った社員が2人だけいましたが、他はせっかく手に入れた都会生活、外資系勤務を手放す人はいませんでした。結局、やったのはこんなこと。

  • 一時間に1回窓を開けて換気、休み時間は解放(亜熱帯とはいえ冬の夜は10度ぐらいに下がり暖房がないので、寒いのです)
  • 日本から高性能(N95規格)のマスクを輸出し全員に配布し着用。でも高いので一人1個を3日使用…。
  • 手洗い場への石鹸配備(ウイルスなのであまり意味はないのだが、日本側経営者も現地責任者も区別がついていない)
  • 机、ワークステーション類のアルコールでの拭き掃除(これも実はウイルスにはあまり意味がない)
  • 紫外線灯(殺菌灯)を大量に設置し、休憩時間は社員を全員食堂に出して点灯。これも細菌の対策であり、ウイルスの対策ではない)

最後の一つは中国側の提案、残りは日本側の当時の経営陣の(浅)知恵。なんですが、SARSは新型インフルエンザというだけに、空気感染です。そして、ウイルスと細菌は全く別の特性を持っており、石鹸、アルコール、紫外線灯は細菌には意味があっても、ウイルスには意味がありません。と主張して対立していた当時の経営者に余計遠ざけられ、当時の現地責任者にその話をぼやいたら、「ハイハイいっときゃいいんだよ。馬鹿だなあ」と慰められました。

翌年赴任して流行したとき、社員に中国の衛生当局の説明書きを配布して、意味があるのはマスク(高いやつ)だけであること。ただし、手洗いはその他の意味ではプラスであることを説明して、すべての施策を日本側に黙って廃止しました。日本から日本側経営者が視察に来ても現場には上がってこないのでばれませんでした。

新聞ではずいぶん大騒ぎにはなったのですが、だからと言って、仕事を止めるようなことは全くありません。成果給歩合給部分が大きいので、そうすると収入に直結してしまうので彼らもそんなことして欲しくないし、会社がそれを決定すると、「収入を補填しろ」という要求が出てきかねないのです。

2005年反日デモ

デモの嵐が吹き荒れるなか、妻帯で赴任しました。妻は落ち着くまで日本の実家に置いておこうと思ったのですが、一緒に行きたいと言うもので。会社の近くもデモの進路になっていて、会社の車でデモ隊の横を通ったり、休日にイオン(この近くがメインのデモコースだった)に行った時に出くわしたりしました。

社員は私に協力的だったのですが、世の中はそうでもなくて危ないのかもなあ、とびくびくつつ、買い物に行かないわけにもいかないので、現地のスーパー(日系ではない)に毎日行きました。しかし、私は日の丸のTシャツをきているわけではないので誰も私たちに無関心ですし、日本人だとわかっても「私たちも、デモも、自分には関係ない」という人ばかりで特に危険を感じることはありませんでした。会社の従業員はどちらかというとブルーカラー的な階層ですが、マンションのスーパーに来る人はホワイトカラー層ですが、どちらもみんな自分の生活改善にしかほぼ関心がないのです。

ちなみにデモ要員が政府の動員だ、との説が当時流れましたが、これは一部は本当です。(全部がそうなのかまではわかりません。)当時は省の管轄(今は人民解放軍管轄にかわったそうですが)だった武装警察の若者が核となるメンバーで、イオンの近くの武装警察の駐屯地から私服の頑強な若者が出てきて前後を固めて声を出し、どこからか集められてきたアルバイトの工員風の人たちがその指示をうけ歩かされていました。お金の受け渡し自体は見ていませんが。他の都市、あるいは後年の過激化した反日デモはこれを見た市民、あるいは学生が合流して暴徒化した模様ですが、私がいるときに発生していた一連のデモは、少人数で拡大することもなく粛々と行われ、それが官製のテレビ、新聞には映像付きでさも大規模であるかのように紹介され、現地を全然確認していない日本のメディアは、それを引用して日本で報道するというわけです。

ただし、私は自宅でNHK国際放送をケーブルテレビ(深センでは全世帯がケーブルテレビ経由でテレビを見る)でオプション契約していたのですが、このニュースになると画面は真っ黒になりました。こういう都合の悪いニュースになるとそうした手動操作が入るのです。そのため、中国でのNHK放送は1分程度日本よりも時報が遅延しています。一体だれがこんな器用なことをしているんだろう、とこういうことが起きるたびに思っていました。

中国では確かに大学で軍事訓練が行われ、いわゆる「愛国教育」が行われています。しかし、そうした社会の上流階層は国際情勢や日中関係の正確な情報は持っており、自国に誇りを持ち、自国の利益を主張するもののトンでも系の主張はしません。もっとわかりやすく言うと、自分の利益をしっかり考えて自分をコントロールできています。短絡的で感情で暴走するのは、地方の人、高齢者、低学歴者です。その点では、最近の日本の方がむしろ懸念すべき状況かもしれません。

2008年四川大地震

オリンピックの聖火リレーが間もなく深センを通過する、そんな話をしていた午後に四川省で大地震がありました。私が赴任していた5年の中で何が一番の社会事件だったか、といえば上の二つよりもこの地震のことです。深センでは全く揺れは感じませんでしたが、四川省を中心に死者行方不明者8万人という大変な被害となりました。

テレビは3日間白黒放送となり、CMは中止されました。会社で、スーパーで義援金が集められ、チャリティが行われました。深センはビジネスの街、労働者の街であり、SARSの時も反日デモの時も自分たちは関係ない、という人が多かったように見えましたがこの時は違いました。若者を中心に非常に強い団結力を見せ、1か月後の同時刻の黙とうには、社員はすべて参加し、外を通る人もみな黙とうを捧げていました。震源地近くの街からその少し前に40人ほど採用していたこともあり、出身社員に会社の電話を開放したり、帰省休暇を許可したり、町の行政関係者に手紙を書いたりと対応に追われました。日本の緊急援助隊の活躍の模様も報道され、私も現場を巡回すると社員に一日に何十回も「総経理、日本の救助隊ありがとうございます」と言われました。

その後、北京オリンピックが開幕し深センでも盛り上がりましたが、私が中国で過ごした中で、14億人の中国人が最も強く団結した事件はこの災害であったと思います。その後、日本でも2011年に東日本大震災が起き、多くの方が被害にあわれましたが、その時にも当時の中国の同僚から多くのお見舞いの連絡をもらいました。

災害は本当に残念なことです。今日も新潟で大きな地震があり、また被害が出るのではないかと心配になりました。両国の災害では関係する方の親族が被害にあわれた、ということもあり驚きで絶句し、その方の気持ちを思えばどうしてよいかわからない、という状況に私もなりました。しかし、その時に人が人であろうと強く願う姿は中国でも日本でも同じでした。そして、その時に非常に大きな団結力を生むことに瞠目させられました。それは、反日扇動なんかよりもはるかに強かったのです。

そのことには、組織を動かす本当の原理があるのだと私は思っています。

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