午前中、Aは背面の席のN美のおかげで、社長から言われたインターネット接続事業が、前月のユーザーに当月のユーザーが積み重なっていく、「ストック」という性質を持つ事業だということが分かった。しかし、それは、黒字転換には5年、累損一掃には7年もかかる、という試算で、このまま社長には持っていけそうにはなかった。
Episode3 もう少し儲かるようにできんものか?
手打ちパスタをN美に協力のお礼として奢らされたあと、Aは、午前中に考えた初歩的なモデルをどこから改善していくかを考えていた。大きく分けて3つの改善点があることは午前の検討とパスタを待つ間のN美の話で分かった。これから考えることは、①一件あたりのたまっていく利益幅を増やす。②件数を増やす。③解約率を下げる。の3つである。そして、そのあとに、どうやってこれを実現するのか?という実現の問題があることはわかっているのだが、とりあえずは金曜日の社長報告までにまず計画だけでも形にしたい。
朝一で社長に呼び出されるまでは法人向けのプロバイダー事業なんて意識したこともなかったので、改めて大手数社にwebサイトを見てみた。そもそも「法人向け」というジャンルがあることも明確に意識していなかったし、いちいちサービスを比較して選んで、そのうえでわざわざ変更するものなのか?という疑問もある。Aの頭には、何かと杓子定規な物言いをする情報システム部のS部長の顔が浮かんだ。「あの部長、二言目にはriskがあるって言うもんな…。そんなんで変えてもらえるのか?」
いろいろ他社を調べてみると、社長は接続サービスのことしか話さなかったが、どうやら全体像は、そうではないということがわかって来る。まず、「ネット回線とセットで提供」というのが通常で、その回線は、NTTグループやその他から卸してもらう「光コラボ」という方法が普通らしい。そのほかにも、多拠点、多回線の割引やメール、webのホスティング、セキュリティサービスなど様々なオプションが存在していたし、最近主流という「ひかり電話」も上のネット回線の契約で同じく使えるようにできるらしい。こうしてみると、社長は「接続サービス」という言い方をしていたが、実はユーザーからは見えない接続サービスは従で、普段の使い勝手やトラブルの元になる回線や電話、セキュリティの方がお客さんに話しやすい。しかし、いろいろあって家具と違ってめんどくさそうだなあ」また、大仰な独り言である。Aの頭には先日機種変更で行った携帯電話屋の光景が頭に浮かんだ。延々と要りもしないオプションの説明を聞かされ、あの手この手で進められていい加減腹が立った。これを「レ点」というらしい、というのは帰ってきてネットで調べて分かった。
オプションを申し込む際に、申込書の申し込み欄の□枠にチェックすることから、これらのオプションを「レ点商品」と言い慣わします。レ点商品を付与することで、「ストック(幅)を増やす」というのが、ストックエコノミーでは多用される戦略です。
これを片っ端から計画に組み込んでいては、どんどん複雑になってしまう。とりあえず、回線とひかり電話は金額も大きいし、営業トーク上も重要そうなので、これは組み込もう。しかし、どのくらいの利幅が1件当たりあればいいんだろう?それに、さっきは、いきなり12月に5人体制とか仮定して作ってみたけど、これは良くなかったな。「完成像」から入るべきだよな。黒字化とか言ってさっきは喜んだけど、月間売り上げが200万円とか300万円の計画じゃ社長にどやされるし…
「日本の事業所数って600万弱あるみたいですね。いらないところもあるけど、2回線入れるところもあるから、一旦600万が母数でいいんじゃないですか?それに、法人はトップシェアはNTTグループというのは明らかですが、100社以上も参入している中で大手4,5社以外は小さめですね。」
「N美、タイミングいいな。俺の心読めるの?」
「なにいってんですか?Aさん、いつもはっきりとした独り言言っているから周りの人みんなわかってますって」
「えっ」
周囲から失笑が漏れた。「とりあえず、ありがとう。うーん。でも、有名どころに勝つという話ではなく、強みを見つけて小さくても利益がでる、みたいな話でないと後発は難しいんだろうなあ。とりあえず、5年後に1%で6万件で上等かなあ」
「1%というと少ないような感じもするけど…そうかもしれませんね。6万件で月3000円なら年間の売上は6万×3000円×12か月で…21億、4500円までできれば32億ですから、うちみたいな200億規模の会社の新規事業としては立派なもんじゃないですか?」
「なるほど、そういう見方は、ゴールとしてはあるな。そのくらいの規模があれば、今の会社の利益を大きく増加させるぐらいの利益はなんとかだせるだろうしな。さて、どうやって獲得するかはまだ、手についていないけど、一旦また、絵をかいてみるか?解約率は一旦2%でいいや。60か月で平均すると1か月1000件か。こりゃまた偉い数だな…最初はやっぱりテストだし…」
「うーん」
「そんな漫画みたいな独り言言いますか…」
「いや、解約率が高いと、たとえば保有件数が5万件で月2%解約されると1000件減っちゃうじゃない。さっき、1か月平均1000件っていったけど、それじゃ5万件以上増えないってことなんだよね。もっと1か月の件数が必要。でも、あんまり多くすると、どうやってとるんだ、って話になるよね…解約率怖いわぁ。1%じゃダメかな?」
「業界の平均ってどのくらいなんでしょうね。門外漢だからわからないですね」
「この下の10とか、600とか、1700とかは何ですか?」
「これ60か月想定の各月の新規獲得数。」
「新規1700件ですか!」
「だな。」
「うち、一か月の売上先が協力会社経由含めてもそんなもんしかないですよ。そのうち、新規なんて半分もない…」
「えっ、逆にそんなにあるの?」
「そうですね。新設法人とか移転法人狙って営業していますからね。オフィス家具ですから」
「えっ、そうか。そうだったのか?」
「何がです?」
「いや、他社のオプション真似していたけど、そんなことしなくても、うちにはうちのオプションがあるじゃないか」
「えっ?机、椅子ですか?」
「そう」
「売るんじゃなくてですか?」
「ダメか?」
「考えてもみなかった。リースでもなくてですか?」
「ちょっと考えてみるけどさ、ネット接続は使用料をお客さんにもらうんだろう。机・椅子もそうしてもらったらだめなのか?」
「買い替えはしてもらえないんですか?」
「直観だけどさ。一定期間以上使ってもらったら交換可能でいいんじゃないの?あるいは修理とか部品代とかも込みにして、交換の送料もいらないとかさ。でもどうせ僕ら値引いて売っているんだからさ、そうではなくて月々貰いながら新しい最新型に交換して使ってもらえばいいんじゃない?ずっと使ってもらえるし」
「ちょっと今のじゃ、魅力なさそうだけど、なんか工夫すればありそうですね。でも、これは革命ですよ…7月革命、レ・ミゼラブル」
「午前中さ、話してて思ったのよ。N美が最初に「7月のお客さんは8月も継続して払ってくれる」って言った時。毎月俺たち、月末になると数字足りなくて電話かけまくるじゃん。あれ、正直嫌じゃん。お客さんだって嫌じゃん。これやれば、要らなくなるよね。それで、適切に交換しながらずっとつかってもらうことに集中できるじゃない。よく言うよね。ドリルを売るには、穴を売れって。机を売るんじゃないよね。いつでも新しくて快適なオフィス環境を売るんだよね。」
「いきなりかっこいいこと言うじゃないですか。なるほど~三代目の意図はそこにあるんですかね?」
「かも知らんな。さっきの3000円の利幅、というのも家具組み合わせればだいぶ増やせるよね。それに解約も減らせるかもしれない。」
「いや、家具は従来の売上が減る分との兼ね合いですよね。でも、解約率はうまくやれば確かに下げられるかも。でも、売るのと、月々の料金貰うのとどっちが会社は得なんでしょう?それに、営業マンや協力販売店さんへの歩合はどうしますの?」
「それなんだけどさ、さっき、表作ってて思ったんだよね。もし本当に解約率が一定水準で推移するならば、そこから得られる顧客からの生涯得られる収益ってわかるよね。たとえばさ…」
「ああ、そうか、こうね」とN美は素早く表を加工する。
そうそう。つまり、式を展開すると、解約率をNとした場合、顧客の生涯価値は、1か月単価の1/N倍になる。5%なら20か月分、1%なら100か月分になる。そこまで見通せないならば、とりあえず、5年後までの価値で計算しても良いと思う。これが顧客の価値。うちからしてみたら、「将来(実現するはずの)収益」というわけ。
「これって、割引率って計算しなくていいんですか?経済学部卒ですけど」
「それはどうしようか…それ言い出すとどれくらいリスク見るんだという話になって面白くないんだよねぇ。でも、この前の当面の赤字幅を見ると将来儲かるとは言っても借入金利分+αぐらいは見ないと経理の反論にあっちゃうかな。たとえば、年2%。そうするとこうなる。
「だいぶ減りましたね…」N美がいう。解約率と同じ理屈だが、こうした長期のビジネスを考えると金利や物価上昇などの要因も無視できないということだ。
「でも、これでも解約率2%で月額利用料金1000円のものを販売すると、将来収益は34000円あるということでしょ。獲得にかかる費用や維持する費用を考えても、獲得へのインセンティブを5か月分の5000円払うのはできるよね?」「逆に、通常売価30000円の売れ筋の椅子は、月額1000円で貸せば今より4000円儲かるという言い方もできる。」
「ううむ」
「お前も漫画みたいなこといってるぞ」
「それはわかりました。でも、それだと、契約していきなり解約されると損しますよね。携帯電話とかで、契約するとキャッシュバックもらえてすぐ解約すると得になるとかありませんっけ?」
(これについては、販売店は現在は対策をすでに行っています)
「それは、支払いを5か月分なら5か月後にするとか、あるいは販売協力店さんから支払う分から保証金積み立てるとか、戻入条件を契約に記載するとか、契約で工夫はできるよね」
「なるほど、でも、もう一つ。それをやると余計赤字膨らみますよね。」
「あっ、痛っ。この前よりもさらにへこむのか…ちょっと6万件プランでどのくらいの規模になるのかやってみるか…」
「そうですね。でも、それよりも何よりも、家具の月次利用料化ですよ…ちょっと衝撃です。それ、社内的にも衝撃ですよ、だいぶ。うちの会社古いもん、いろいろと…」
「三代目だからな…」
そうなのだ。N美はわが社に根付く「女性は補助役」みたいな扱いが嫌で販売担当に手を挙げたのだとさっき昼食の時言っていた。この賢さと先輩にも恐れを知らない態度は、たしかに補助役にしておくのはもったいない。だが、K社長に、「家具を月次料金化してオプション化する」という案を持っていくことが最大のポイントであるのは間違いなさそうだった。それは、NTTやソニーにはできない、うちにしかできないことだ。そして、うちの会社を変えてしまうようなことだ…。
「あと3日だ。」
(④に続く)