先日、ある年配の経営者の方から「新規事業を別会社化するので、資本や役員の構成案や事業計画の立案と融資等の交渉を担当してほしい。」というお話をいただきました。その事業自体は決して突飛なものではなく、需要も販売手法もある程度見えているものでしたが、私が思う足りないものが一つありました。私がその方にズバリ言ったのは…
「社長は出資して、そのうえで任せられる40歳以下の若者を見つけて経営を任してください。そして、それをサポートする側に回ってください。」
少しむっとされていて、そして、ため息をついたようにも見えました。私もため息です。「ハイハイ、お安い御用、得意分野です!」と言っておけば多少の収入にはなったものを…少し自分を恨みました。
その方はもう70近い、40年以上その会社の事業を自分でやってきた方です。真面目で人格者であり、仕事に関連する人脈も非常に豊かです。私も何度か助けていただきましたし、もっともらしい事業計画を作って銀行の相談窓口にもっていって滔々としゃべるくらい、一晩でできます。それでも、顰蹙覚悟でこうしたことを言わなければならなかったのは、昔のパパママ経営では、これからの時代は生き残れない。戦略とオペレーションマネジメントが必要となっている中、その方にはそれは無理であると思ったからです。私自身、自分で担当した会社が不振の結果、銀行に言い訳して謝りに行くのは、さんざんサラリーマン時代にやってもう嫌ですし。
特に40歳以下に任せる(私自身対象外)というのは、かなり心外な様子でした。その時点で私はやっぱり伝えてよかった、と思いました。商流を新規開拓する経営は、高齢者には無理です。自分の歩んできた道で今が昔よりも能力が低くなっているとは思いたくないでしょうが、行動力、集中力は落ちてきていますし、IT対応やデータオリエンテッドな経営も昔の人には対応できません。(中にはできる人もいますが)
自分は出資を行い、株主として監視し助言し協力はする。しかし、行動は実務部隊に任せる。配当方針は決めて置くし、順調に言った場合の増資パートナー探しとその際の持ち株比率維持についても私の方でストーリ―づくりに協力する。というのが私の提案だったのです。
でも、最後に付け加えました。「今まで40年やってきたような自分で見えるやり方をしたい、ということであれば、それも一つの見識です。ただし、人のお金を巻き込むようなやり方はその場合は当分しないで、自分のお金と順次売上で増やしたお金でゆっくり行う方がよいでしょう。」その分野は最先端の日進月歩の分野というわけではないだけにそれもある程度可能な分野(だから私は社長にこの分野を薦めた経緯があるのです)なのですが、火に油だったでしょうか?
経営は失敗すると、協力してくれた社員の人生を狂わせ、金融機関や株主から批判され、社会的信用を失います。そう言う目に自分自身があってきたからこそ、そういう不幸が起きない最善の努力をしなければならない、と私は思っています。だから、私は施策が常識に縛られるようなことはないのですが、事業を始めるかどうかにはかなり慎重です。特に、スタートするときの意思決定メンバーと資本の構成はその会社の将来を決定づけると考えており、勝ちたいのならばそれなりの設計と少なくとも2年程度のプランが必要と考えています。
それでも他の人頼ってやっちゃうと思うんですけどね、あの方たち。事業家とは、そういう内なる動機に突き動かされる生き物だとも、いろんな方をみていて思うのです。ダグラス・マッカーサーは1951年の議会での退役演説で有名な「老兵は死なず」のくだりを述べました。
Wikipediaより引用
… but I still remember the refrain of one of the most popular barrack ballads of that day which proclaimed most proudly that “old soldiers never die; they just fade away.” And like the old soldier of that ballad, I now close my military career and just fade away, an old soldier who tried to do his duty as God gave him the light to see that duty.
しかし、当時兵営で最も人気が高かったバラードの一節を今でも覚えています。それは誇り高く、こう歌い上げています。「老兵は死なず。ただ消え去るのみ」と。そしてこのバラードの老兵のように、私もいま、私の軍歴を閉じ、消え去ります。神が光で照らしてくれた任務を果たそうとした1人の老兵として
実は、当時マッカーサーは大変な人気で、この演説は大統領選挙への出馬を狙った色気マンマンで人気を取りに行ったものだったそうで、実は去る気なんて全くなかったのでした。そんなかつては活躍した経営者の方々に、私はこの詩を送りたいと、心の中でつぶやくのでした。私が小学校3年生の時に教科書にのっていた詩でした。
ゆずりは 河合酔茗
こどもたちよ、
これはゆずりはの木です。
このゆずりはは
新しい葉ができると
入れ代わって古い葉が落ちてしまうのです。
こんなに厚い葉
こんなに大きい葉でも
新しい葉ができると無造作に落ちる、
新しい葉にいのちを譲って—。
こどもたちよ、
おまえたちは何をほしがらないでも
すべてのものがおまえたちに譲られるのです。
太陽のまわるかぎり
譲られるものは絶えません。
輝ける大都会も
そっくりおまえたちが譲り受けるものです、
読みきれないほどの書物も。
みんなおまえたちの手に受け取るのです、
幸福なるこどもたちよ、
おまえたちの手はまだ小さいけれど—。
世のおとうさんおかあさんたちは
何一つ持っていかない。
みんなおまえたちに譲っていくために、
いのちあるものよいもの美しいものを
一生懸命に造っています。
今おまえたちは気がつかないけれど
ひとりでにいのちは伸びる。
鳥のように歌い花のように笑っている間に
気がついてきます。
そしたらこどもたちよ、
もう一度ゆずりはの木の下に立って
ゆずりはを見る時がくるでしょう。