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「ガバナンス」の失敗

「ガバナンス」という言葉も、私が中学生の時には、政府の統治を意味する単語かと思っていましたが、ここ10年ほどで「企業統治」を示す言葉としてずいぶん手垢がついてしまいました。ただ、ある時私は、これが原因で企業が崩壊する場に居合わせ、当事者としてそれを押しとどめることができませんでした。それは、M&Aを契機として発生した問題でした。

【文明の衝突】
私がいた企業グループの中に、ひょんなことから本業とは全く関係のない販促関係の事業を行う事業グループがいました。そのグループ会社は会社が成長し出資者が大手企業になってくるにつれ、その事業グループが社内にあると資本を食うビジネスであることや利益率が低く為替や市場に左右されるリスクがあるビジネスであることからこれを企業分割で切り出そうとしました。しかし、単体では市場競争力が引くいため、同業大手を買収し、吸収分割の形でこの会社を独り立ちさせようとしました。
その時点で、親会社から派遣された社長と途中から社長の応援に加わった管理畑担当の私、それにその事業を立ち上げるため途中採用された副社長に、買収した会社のオーナーであった会長という3つの勢力が存在することになりました。上場企業の連結子会社ですので、それなりのマネジメント水準が必要になるわけですが、下請け体質と一件あたりが数億円規模で当たり外れが大きいことや為替の影響を受けやすく、売上も利益も当たらない、というかほぼコントロールが自社ではできないという状況であることが間もなく明らかになりました。さらに、この営業2グループは仕入れ方法もルートも異なり、お互いが相手に自分に従うように言い一歩も譲らないため、優れたほうに統一して、コスト競争力を高めたり人員を効率化したり、という本来の合併効果が全く発揮できませんでした。
さらに、上場連結ではそれは許されませんよ、というような商慣行、あるいは社内のお金の使い方というのも多数あり、それらを「教育する」ということが財務的立て直しと並んで重要課題となりました。しかし、長年染みついた慣習はある意味、発注主である日本を代表するような会社の要求でもあったわけでそれを廃止すると関係が悪化する、売れなくなるといって、あるいは発注主がそれを匂わせて反発してくるわけです。
それでも、明らかに不採算な業務、見通しの薄い作業などを少しづつはがしていくと、今度は反発した社員が辞めて同業へ流れていくということが起こり始めます。もちろん、それすらやむを得ないという覚悟で対処しており、「下請け仕事ではない自社商品を作る」ということを社長が中心となり新規採用組で行おうとするのですが、いかんせん、戦力になる経験のある社員は、そうした価値創造をいままでやっていない傍流の新設会社の乾坤一擲の新規事業に手を挙げてくれるような冒険をしてくれないわけで、私も百人を超えるオファーを出しながら、なかなか採用にいたらないまま時間ばかりが過ぎていきました。

さらに、3年後、最初に買収した会社と並び称される業界の雄が、これも為替デリバティブで財務状況を痛めてしまい、いろいろな経緯(この経緯もまた大変なものだったのですが)を経て、社員が合流する形となりました。そこもまた、別のお山の大将と別のルールがあり、まさに、3つの下請け文明が衝突し、さらには下請けじゃだめだという社長と私がいる、という状況になってしまいました。

【PMI(合併後の統合作業)はなぜ実行されなかったのか?】
企業統合前、当然機能の統合はやる予定となっていました。しかし、当の役員陣が言い訳をして統合から逃げてしまって、自分のシマ、自分についてきた部下を守ろうとしている状況を見て、そもそもこの人たちはリーダーにするべきではないし、企業グループに引き入れるべきではなかったのだと思わざるを得ませんでした。あるいは、親会社が本体から切り離ししたのも、そこが見極めがついていたからでありそれを見極められずにグループ他社から移って、この財務と統制を担当する取締役を引き受けてしまった私は力不足以前に不明であったのかもしれません。

【そして、崩壊】
社長は必死に新規事業を自分で立ち上げるのだと、いろいろな挑戦をされていましたが、私はできるだけ早くこの事業をやめるべきだ、と社長に、そして取締役会のグループ会社からきている役員に話すに至りました。そして、40人余りに退職を強い、親会社に財務的に大きな迷惑をかける形で、5年あまりでこの騒動は収束を見ました。デリバティブ問題や資産の圧縮による資金回収などの成果は出したものの、「ガバナンス」に関してはあまりの自分の無力さとやめていった社員への申し訳なさにどうしたものかと、しばらく私は失業していました。取締役だったので、失業手当もありません。

その後、多くの会社をコンサルタントとして訪問するようになり、実はこんな不条理は日本の企業ではあり来たりのことだと知りました。当時は、事業担当の3人組は悪と不正の権化のように憎んでいましたが、中小企業ではよくあることがたまたま上場企業グループで起きていてしまっていたに過ぎなかったのです。ただ、PMIの計画がまったくないまま、カットオーバーを迎えそのまま数か月がたってしまって状態で私が加わったのですが、合併が決まった合併の半年前からこの作業をきちんと進めていれば、もう少しましな結果になっただろうということは言えます。しかし、準備段階では管理担当も一名しかおらず、社長もその人も現場の実務を理解していなかったしその余裕もなかったため、そのまま放置されていたのです。

今、臨時で私たちが中小企業のPMIをお手伝いする意味があると思っているのは、この時の経験から、だれか一人が双方のビジネスプロセスをきちんと理解し、公平な目で細分化されたPMIのスケジュール、方法を細かく立案することは社員の幸福のために絶対必要だとおもっているからです。大雑把な計画だと誰もが足がすくみます。しかし、ステップを細かくして毎日ひとつずつ進めば、何とかできる、というのもそれまでの経験が成功事例がありました。

ちなみに今でも3グループのうち、2グループはまた、それぞれ結集して同じように下請け仕事を続けています。「脱下請け」についてはまた回を改めたいと思います。

 

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