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「読めばわかる」ではダメなのです。

最近は、政府の新型コロナウイルス対策の各種補助制度でも主なものには動画解説が提供されるようになりました。見てみると面白くはないのですが、出来るだけ分かりやすく概要を理解できるように工夫されています。とは言っても基本的にはわかりやすく整理した結構な文字数と矢印で構成されたスライドを読み上げる形式が多いのですが…それでも多くの事業者にできるだけ理解してもらおうという官僚の皆さんの多忙な中でのチャレンジには敬意を払いたいと思います。

このような対応が必要であることを実感する光景を3月に私も見ました。

私がコロナ融資のあっせんを受けるために、市町村(の商工会議所支部)の窓口に伺った時も、ほとんどの事例で誤解や誤記入で作成間違いや書類不足で提出し直しになっていました。そして、窓口の担当者に説明を口頭で受け、要領が印刷された紙を渡され蛍光ペンでマークしてもらっているのですが、それでも「わかんない」と言っている人が多くいました。「こんな複雑にしてお前ら受け取らせたくないんだろ」と逆切れする高齢の事業主も実際に見かけました。ほんの5ページ程度の説明文と3枚程度の申請書類であっても、実情はこんな状況です。

見ていると、論理を理解し対応を具体的に把握し、ステップを踏んで実行することを頭が拒否してしまっているような人が高齢者を中心に多く見受けられます。また、そうではなくても、再度戻って修正し出し直すということには我慢強さが要求されますし、それを迅速に実施するにはバイタリティが要求されます。それは会社が、そして人が社会で生き抜いていくために必要な根源的な力ではありますが、実際にはそんな大層なものを持ち合わせていない人が沢山いるのが、私たちの対峙する「マーケット」です。そして、私たちはそれを前提に仕事の上で対策を考えていかなければなりません。

たとえば、上の申請書類の例でいえば、自分で記入させれば、そこはかなりの確率でエラーが発生します。今、各種助成制度の対応遅れが問題になり行政の不備を非難する報道がなされていますが、この報道も「大衆とはどのようなものであり、行政とはどのようなものか?」を理解しないままに体制批判ありきでされています。行政は誤謬を許さないルールになっているし、大衆に自分で記入させて申請させれば大量に間違うことがわかっているにも関わらず、記入させなければならない仕組みを使っていることが改善すべきことであり、「オンラインの問題」「システムの問題」ではないのです。たとえば、企業の登記情報、納税情報、代表者のマイナンバー情報、経理システムなどから申請データはほとんどが自動記入される状況でなければこの混乱は必然であったし、その自動化、データ間連携があまりに脆弱であることが行政の効率化を妨げているのです。

読み書きそろばんは希少な能力

多くの創業社長やコンサルタントはどちらかというと学業優秀だった方が多いので、世の中の経営者も社員も自分同様だと思う傾向がありますが、「たくさんの文字を読んで、自分の会社や自分に当てはめて考えることができ、求められている文字列を正確に記入することができる」という能力は、実はかなり希少な能力です。(そして、念のため申し上げておくとそれができるからと言って、できない人よりも経営や仕事がうまくいくかというと実際にはそこにもあまり相関性はない。)

この「能力不足」を「最近の若い人は本を読まないから」という人もいます。確かに本は読まないですが、ネット記事は読んでいます。そして、この基本的読解力がない人が実はたくさんいるというのは今に始まった話ではなく、昔からの話です。ただ、昔はそのような状況であっても需要が徐々に拡大する社会の中で、互助会的な業界構造、毎年新人が採用される企業構造と儒教的な年功序列体制の中でできなくても誰かにやらせれば、できなくても横並びのグループに入っていれば何とかなってしまっていました。それが、平等な競争社会が進展し、人口が減少局面に入り、今は自分で公的支援や他社との交渉をしたり、契約書を作ったり読んだりしなければ自分を守れない時代になった、ということは言えると思います。だから「事務員」「兵隊」を採用するときには、こうしたある程度の基礎的能力があることが期待できるという意味では大学、さらには有名大学出身者は採用で有利であることには理由があったし、大学全入時代においてはそのフィルタも大して役に立たないものになってきているということも言えます。

日本では、多くの人が高校までは学校に行く状況になってすでに3世代近くなります。しかし、そこで求められている社会で生き抜くために最低限必要とされる「読み書きそろばん」を多くの人が身に着けたわけではないし、一度は身に着けたとしても長い年月の間使わないで過ごしたことによりできなくなってしまっているし、それが加齢とともに不可逆的になっていることも多いのです。なお、日本では、と書いてしまいましたが、これは日本だけの話ではありません。

読ませるより聞かせる・魅せる。

昨今は全文検索技術が大変発達しているので、私も知識体系を多少の文章の不備は置いておいてとにかく文章で書いて、それを検索可能な状態にするということを業務で多く実施しています。そうすれば後から調べてさえくれれば、後の対処が私がいなくなってもお客さま自身できる「はず」だからです。

とはいえ、ここまでお読みの方はお分かりの通り、この期待は顧客の組織内にそのような人が一人でもいてくれ、その人がリーダーシップを持って教育に当たってくれることが前提です。そして、この手法はある程度のノウハウを持ちトレーニングがされていることが多少なりとも期待できる企業内でも決して万全の手法ではなく(だからと言ってこれよりも良い方法があるわけでもないのでそうするしかないのですが)、コンシューマー向けにはあまり通用しない方法です。

やっぱり図やイメージ写真で「なんとなく分かった気になる」「なんとなくよさそう」で人は購買を決めているのです。Perception is Realityです。そして、その判断は非常に短時間で決まるのであり、何分もかけて行われるものではない。1分でわかりやすく買うメリットを説明できないものは大抵売れないのです。だから新ジャンルの商品を売るのは難しい。同様に「何でもできるどんな分野にも適用できる」も売れないのです。

論理的に考えることは必要であっても、論理的に説明することは相手がそれを求めているのではない限り決して有効ではありません。端的でぶっきらぼうな方が効果的なことは多くあります。そして、論理的に説明することが求められていると思っても実はそうではないケースは非常に多くあります。その意味で、最近の商品やサービスの説明を動画にするというのは有効ですし、もっと効果的な方法を追求する余地は大きいです。かつては図、今は動画を要領よくわかりやすく作成し素早く公開する能力は非常に重要になってきているのです。

「比較」はわかりやすいか?

同様に、特にベンチャーのサービスで自社の優位性を大手競合と比較して比較表を用いて一生懸命説明するケースがありますが、これも大抵ほとんど伝わっていませんでそこで検討は終了されます。これをいうと不愉快そうにするベンチャー経営者が多いのですが、自分にとってよほど大きな差がはっきりとない限り、今特に不便していないものを変えるようなことを通常は人はしないものです。それをスイッチングコストとも呼びますが、実際にはその調査や対応の具体的な手間(=コスト)が理由なのではなく、自分にとって意味がないことを考えることが嫌だと多くの場合は言っているのです。多くのサービスの機能さは時間が短くなるとか、成績が上がるとかいうメリットがないし、時間が短くなってもそれを会社が採用する論理には短期的にはならない(その分人を減らせるわけではない)し、売り上げが上がるかどうかを保証するものではないからです。

だから、「価格」は重要なのです。これだけははっきりと比較もメリットも理解できるからです。あるいは、「大きさ」とか「スピード」とかそういう体感できて説明しやすい差を比較することが多くの人にとって意味があるのです。

あなたの商品・サービスは相手にとっての効果がすぐわかりますか?不安に思ったら、異分野のご家族や御友人にご説明してみるとよいでしょう。そして、伝わっているかどうかを聞いてみるとよいでしょう。それで伝わらないものはお客様にも伝わりません。

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