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頑張る範囲を絞ってみる

昔からの知り合いに会うと、私の「名言」(「迷言」なのか?)として、「人はそう簡単には変わらない」ということを20年以上前から私は言っていたらしく、嫌な奴と思ったこと、そして安易に妥協を許さない私のやり口が思い出話になっていました。ただ、これにはやや誤解があります。この言葉、最初に言ったのは、人事評価での行動評価項目に対して、「行動規範として示し繰り返し語るのは良いと思うが、そんなに毎回これを目標にどんどん行動が改善していく、みたいなことを期待することはできませんよ。」という話をしたことが始まりです。

「人はそう簡単には変わらない」は、人事評価制度で組織を動かすことを人事部が万能論的な言い方をし、管理職がそれに過度に期待することに対して、「人の行動変化や成長を前提に部門の目標設定をしても、それは裏切られますよ。そんなことがなくても、今の実力とそこそこの勤勉さを組み合わせれば達成できるようにしなければならないのが管理者の役割でしょ?」という意味だったのです。

それでは、本当に「人は成長しない」のでしょうか?

成長する人しない人

これまた、「道徳派」には都合の悪い話ですが、こうした年長者の期待に近い形で自走的に「成長する人」は「少数」だけいます。その少数の成長する人は、いわゆる「学力」と弱い正の相関があります。ただし、「学力」と「成長力」との間には直接の因果関係はありません。両方ともが、「学び続ける習慣」、「社会現象への好奇心」「向上心」とでも呼ぶような共通の要因があります。そのため、「その場しのぎの要領の良い奴」や「好奇心に起因しない努力型の秀才」は学校の成績が良くても会社では成長しません。

さらに、困ったことにこういう少数の「成長する人材」であっても、年齢を経ると成長力が削がれるケースが多くあります。この傾向は30歳ぐらいで見られ始め、35歳を過ぎると顕著になります。私が知る限りは、その原因は、結婚(配偶者が安定を要求する)や子供の誕生や家の購入などのライフステージであったり、喫煙や飲酒、体重増などの生活習慣、それに一定の生活水準への満足による努力の停止、そして抗いきれない老化などが原因です。もちろん、これも50,60になっても膨大な知識を吸収し続ける人も少数ながらいますが、多くは「しているフリ」をしているだけで、実際には老眼でめっきり本はつらい、と思って至ります。

こういう成長する人材」は、放っておいても自走して成長しますが、会社で助成制度を用意すると応募し、しっかり勉強するのもこういう人です。つまり、こういう層を対象にした助成制度は会社にとっては意味がない。人事評価で昇給させて報いることが一番良い。そして、この層は最近ではより大きなチャンスを求めてベンチャー幹部に30手前で転職するなどの変化を厭わない傾向が最近は結構強くあります。これを引き留めるのは20代のうちに権限のあるポジションを与えるなど「成長」の機会を与えることが有効打です。この層をどう見つけ、維持していくかというのは小さな会社にとっては非常に重要なことですがこれについては別の機会に譲ることにしましょう。

成長しない人に成果を上げさせる

 では、上にあげたような自走的に成長する少数の人以外は、何も学ばない自堕落な社会人なのか?というと決してそうではありません。それなりにまじめですし、貢献する気持ちも持っています。

 ただ、判断力のベースになる知識や基礎的な数的推理能力には20歳ぐらいまでの蓄積が大きな差がありますし、それにより同じ新聞を読んでいても取る行動に差は生じます。また、旧世代の管理職からすると、「終わらないうちに帰る」というような「遂行意識の低さ」は個々人の価値観、つまり子供の世話や社外での交流にきちんと時間を割くべきであり、仕事はその分抑制されるべきという人はいまや多数派になりつつあります。もはや認める認めないの問題ではありません。もちろん、その分、同じ人が深夜まで残業した場合に比べて成果は減ります。よく、「そんなやり方は効率が悪い」と言いますが、効率が良い人、良い方法というのは確かに存在しますが、その「効率が良い方法」が一目でわかって採用できる人というのはある種の天才です。休養十分で冴えた頭ならみんなが効率の良い方法をひらめくわけではありません。時短の時代は、努力では補えない時代であり、天才のみが優遇される時代でもあるのです。そこはマネジメントする側は見誤ってはいけません。


 話は戻って、特に大学でて3年目ぐらいまでは比較的吸収力が高い人が多いように思います。そして、この層が実は人数で言えば大多数、7,8割を占め、本当に箸にも棒にもかからない(営業で言えば毎月達成率5割以下のような人は必ず一定割合いる)、組織に害をなす(自分が変わろうとしないだけでなく、人の変わろうとするのを邪魔する)、排除すべき人というのは1割ぐらいです。この「大多数」を如何に収益に結び付けるべく行動改善させるかの方法論こそが本当は必要とされているのですが、そこはあまり明確化されていない状況にあると思います。

これにはいくつか理由があるように思います。

一つは日本の組織運営のベースがいまだに製造業の品質、生産性マネジメントにベースがあるということです。これは決してダメなことばかりではなく、製造業のプロセス分解的なアプローチをサービス業にも適用することは有益であり、日本ではとても不足していることです。しかし、現実に起きているのは、本当は今時の製造業はすでにその域をとっくに脱しているのですが、全員一律均質の課題設定と評価基準です。

もう一つは、経営者の「人を見る目が甘い」(楽観的)ということです。創業者は一般に競争好きで熱量が大きい人が多いので、自分と同様に事業発展に燃えてくれないメンバーを不満に思う傾向が強いようですが、人はそんなに成果を出すことを向いて生きているわけではありません。現に大して成果がなくても現行法制下では給料はもらえますし、育児との両立、趣味や社会活動との「ライフワークバランス」が政府推奨として大々的に宣伝されている(これに反対するつもりはありません)のですから。勉強でもスポーツでも特にトップクラスというわけではなく、もちろんさほど必死にやった(本人はそれでも頑張ったつもりなのだが、トップクラスからしたら全然甘い)わけでもないまま、大人になった大多数の人が、仕事に対してもその程度の姿勢で残り数十年にわたり臨んでいることは当然のことですし、子供のころからの「生き方」を変えようとしてもそう簡単に変わるものではありません。だから、「人はそう簡単には変わらない」のです。

自由は正義か?

こういう大多数に対して、特に若い優秀な経営者は自分が優秀なだけに大きな誤解をしていることがあります。それは、「自分で考えて、行動を選択する自由を与える方が彼らにとってはやりがいもあり、幸せだろう」というものです。

大多数の普通の社員にとって、これは否定しにくいものの全然ありがたいことではありません。知識も経験もなく、ゴールも曖昧でルールもわからない状態では、ペアがあるのかないのかもわからない神経衰弱をやるようなものです。多くの社員にとっては、ゴールは限定的であり、そこへ至る道筋もある程度候補が示されていて、そのうえでその安全なカプセルの中で、限定的な試行錯誤をしている時が一番「クリエイティブ」に感じるものなのです。

つまり、ルールも方法も、期限も与えられ、その中での小さな創意工夫を推奨する方が、多くの人にとってはハッピーであるし、改善も進むし、成果も出しやすいのです。マニュアルを与え、マニュアル通りにやる中でマニュアルを改善することをみんなでやっていく、これはトヨタ生産方式の中でも一番重要な要素なのですが、普通の工員さんが改善活動に参加して一番の生産性を上げられるのはこの「ルール縛り」があるからです。これは事務、営業でも同じことです。

その中でそれに飽き足らない、仕組みを0から作れる人、「手が見える」少数の人は、上位の工程を設計し、それを分割してメンバーに与えて導く役割を担っていくことになります。

多くの人にとって、自由は苦痛であり、不安なのです。それを与えて、「責任を果たせ」というのは、経営者の勘違いです。

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