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香港の20年

中国ネタはアクセスが少ないので最近あまり投稿していませんでしたが、香港のデモが話題になっているということもあり、久々に現地の思い出をいくつか投稿です。ちなみにもうすぐ7月1日は香港は中国への返還記念日で祝日です。

香港は1997年にイギリスが150年租借(占領)していた契約の期限満了で中国に返還されました。私はイギリス領時代の香港は行ったことがありませんでして、1999年から関わっています。返還前後には、中国の集権体制では自由なビジネスができなくなることを懸念してカナダに移住が盛んだ、という類のニュースが現地でも日本でも盛んに流され、94年頃には同級生が「最後の香港」に旅行に行きました。しかし、1999年からの数年の香港は、建設ラッシュ(それは今も続いていますが)に沸き、中国からの観光客(実は他のアジア諸国からの来訪者もアジアの所得拡大に伴い増えている)がどんどん増え、同時に東南アジア各国の経済が通貨危機からの回復によりアジアのセンターとしての地位を高め(ただし、シンガポールにキャッチアップされて、国際人材紹介等一部のビジネスは取られていった)ていきました。ベイサイドのきらびやかな高層ビル群は競うように伸び続ける一方、猥雑な繁華街はその活気を失っていませんでした。

2005年以降、となり街の深センで私が暮らすようになると、お客様の送迎(香港国際空港)や妻の気晴らしに月に数回、香港へ行くようになりました。深センにもいくつか日本料理店はあるのですが、香港でちゃんとしたとんかつを食べて帰るのがたまの気晴らしでした。

このころになると99年頃に比べても明らかに中国本土の影響が強くなってきていました。ただし、それは政治というよりも経済パワーによる同化という方が正確だと思います。このことは今の香港を考えるうえで決定的に重要なことです。

中国の中産階級、やがては若者層が大量に香港を訪れて買い物をして帰るようになりました。しかもその金額が香港に住む人がびっくりするような(もちろん、日本人からしても相当大きい)額なのです。商店は「人民元を受け取れます」と皆手書きで表示しましたし、中にはレートを有利に表示しているところもありました。(当初は固定で1香港ドル=1.06人民元だったのですが、今では逆転しています。)こうした小売業、飲食業だけでなく、貿易、ビジネスサービスなどの分野でも中国の輸出の拡大、そしてそのあとの内需の拡大、そして中国企業の香港株式市場への大型上場という形で、仕事の多くが中国あってのもの、という状況になっていきました。

また、香港は繁字体、中国は簡字体と漢字が違いますし、香港はバリバリの広東語(私もほとんどわかりません。「ン」で始まる音があるのが不思議なんですが)なのですが、となりの深センは普通語(中国でいう標準語)なので言葉が全くことなります。(広州や他の広東省の主要都市ではまだまだ広東語が多く使われています)すると店舗の表示がどんどん簡字体になり、私が店に入ると普通語で話しかけられることが増えました。やがて、若い人は商店の店番でも英語と並んで普通語を話すようになりました。

一方で返還前は女王誕生日が祝日だったものが、10月1日中国の国慶節(共産党が建国を宣言した日)が祝日に代わり、そのシーズンは中国は1週間のお休みのため、香港中が来訪する中国人観光客のため国慶節のお祝いの飾りに彩られるようになりました。2000年頃は抗議活動もあったのですが、そのうちすっかり定着していますし、2007年頃からは香港の学校では、普通語の授業が行われるところが増えました。義務以前に「仕事に有利だから」です。こうして経済に続いて文化も徐々に同化がすすんでいきました。

当時から議会制度や立法への中国への同化順応策は徐々に進められていて、その都度抗議活動はあちこちで盛んに行われていました。デモ行進もよく見かけましたが、決して大きくはありませんでした。しかし、多くの日本人は勘違いしているようですが、確かに今の香港行政府は中国共産党が主要なポストを指名でき、議会も支配できる仕組みがあります。しかし、1997年よりも前はイギリスが自分たちの統治に都合のよい指名を行っていました。基本はそのイギリスが中国になっただけ、という制度であり、香港はずっと抑圧された被支配地です。

香港の中心街に行くと中国共産党の法輪功弾圧に対する抗議団体がしょっちゅういるのですが、観光客はもちろん、現地で働く人も見向きもしません。知り合いに聞くと、「イカれた特殊な人たち」という見られ方をしていて見て見ぬふりをしているのです。「関係があると思われるとヤバい」と日本語の上手な知人は私に話してくれました。

中国人はマナーが悪いとか、大挙して押し寄せることで他の品のいい人たちが来なくなったとか…そういう批判は現地でもあります。日本にいると、そういう人が沢山いて、嫌中機運が高まっているような錯覚を覚えるかもしれませんが、これも大きな誤解です。香港は面積も小さく、目立った一次産業も観光資源もなく、天然資源もありません。鄙びた港町をイギリスが占領したときから、貿易・ビジネスで経済を成り立たせるという仕組みの中で700万人をこえる人が住み、世界最高の人口密度がある地域です。その中で、中国からの不動産や株式投資、中国からの観光客の購買はこの20年の彼らの経済成長の原動力であり、働く庶民の多くが恩恵を受けて所得を増やしてきたことを実感しているのです。

一方で昔は深センやその他の広東省で製造された製品は香港のコンテナターミナルを経由して日本はじめ世界に輸出されていたのですが、今では世界1位は上海、2位はシンガポールで3位は隣の深セン(中国)、4位は寧波(中国)、5位は香港なのですが、すぐ下に近くの広州が迫っています。(ちなみに日本で一番多い東京は28位ぐらいで上海の1/8ぐらいしかありません。横浜は50位以下)GDPでも香港は昨年深センに抜かれてしまいました。

中国には人口500万人以上の都市が14あるのですが、その中でも、隣の深センの方が人口でも経済規模でも香港よりも大きくなってしまいました(面積もはるかに大きい)。経済も中国市場依存が強まり、規模的にも「中国の普通の都市」になってしまったのです。かといって香港がこの20年停滞していたかと言うとそんなことはなく、実質GDPは20年で2倍以上となり、一人当たり名目GDPは日本をはるかに上回る水準(日本だけが世界で伸びていないのですが)となっています。本土の大都市がそれを上回る急成長をしているということです。香港は、中国の成長にけん引される形で日本を上回る豊かさを実現し多くの市民はその恩恵を享受しているのです。

返還から50年は一国二制度などの香港の基本的仕組みを維持することが定められているのですが、間もなく7月1日でそれも22年となり、中間点付近に差し掛かっています。中国は150年間「貸していた」土地を返してもらい、さらに50年かけて、融合統合を行う、という悠久のプロジェクトを進めており、それは経済と文化からの融合という点では成功を収めてきました。こうした気の長いことをやり遂げるのは長い歴史を持つ中国ならではであると思います。

今回、大学生を中心に大きなデモに発展しています。このことの是非は今は現地で暮らしているわけでもない私は触れないことにします。ただ、私が知る限りでは多くの香港に暮らす人は、今後も拡大し続けアメリカをやがては超えるパワーとなる中国の統制が取れた経済成長に香港が乗っかること、自分が乗っかることを望んでいます。これまで十数年継続してきた生活と所得の改善が続くことが最優先の人が多いのが現実です。日本でも同じだと思いますが、理念やイデオロギーよりも所得の方が多くの市民にとっては大事なことです。その現実を中国共産党も、香港政府もよくわかってきわめて現実的に政策の選択を行っているということを理解しないで感情で物事をいうことは判断を誤ります。

香港は、200年前は小さな港町でした。イギリスが1841年に占領し貿易の拠点とし、1941年12月には日本軍が電撃作戦で占領しました。私の祖父も実はこの一員の測量技師でした。戦後はイギリス領といいつつ、アメリカアとジアの間の貿易と金融の中心地として伸び、今また中国の巨大な経済力に飲み込まれようとしています。小さな港町に住む人たちはそうしてしたたかに生きぬいてきたのです。

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