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「中小企業の経営資源集約化」を進めるには?

 菅首相の政治家として描く「国のあるべき姿」の中で最も重要なもののひとつであるのが、「中小企業を経営集約等により強靭化、競争力強化する」というものです。仕事上とても注目しています。就任当初から大変意欲的だったのですがコロナ騒動が続く中、すっかり鳴りを潜めてしまっていました。
 とはいえ、1か月に1回程度の会合のあと、4月末に中小企業庁が半年間続けてきた「中小企業の経営資源集約化等に関する検討会」の取りまとめ案が公表されました。以下にURLをご紹介します。

https://www.chusho.meti.go.jp/koukai/kenkyukai/shigenshuyaku/2021/210428torimatome.pdf

https://www.chusho.meti.go.jp/koukai/kenkyukai/shigenshuyaku/2021/210428shigenshuyaku02.pdf

 これは、これまでの「中小零細企業をつぶさないよう保護」することを経営者自身も当然視してきた風潮、それが、票田である地方、中央の政治家の在り方、そして街の風景など、日本のこれまでの在り方を大きく変える政策の一部です。

 データや課題等は、上の取りまとめの中に書いてありますので、特に中小企業経営者の方は、ぜひ一度お読みいただければと思います。

 この検討会では、もっぱら中小企業のM&Aの推進がテーマとなっていました。中小企業の経営資源の集約を進めるべきか?という問いには私は、強く賛成します。1000人もいなくてもよいが、数人、十数人では、国際的に競争可能な技術投資、資本の集中投下、経営管理や広告はできません。そして、下請けではなく、世界で自力で競争し、具体的には製品を開発し世界に販売努力をしなくてはならないということが中小企業でも当然になっています。今までは当然ではなかったのか?と思われるかもしれませんが、実態としては「低賃金長時間労働を売る安定的な下請け構造」を売り手も買い手も追認することで多くの中小企業は存続していたのです。これは製造業だけではありません。いや、むしろ製造業はそれでも設備と加工技術や素材知識が必要な分、「競争に足る資源がある」ともいえると思います。むしろ深刻なのは、サービス業や、事務作業分野の価値の低さ、「なくても困らない」存在です。

 事業再構築補助金の各社の検討を見ていても、「それ、作業を外注してもらっているだけで強みがある事業とかいうわけではないですよね?」というものが多く存在しています。たしかに、数年の経験というアドバンテージはあるのでしょうが、大規模な設備が必須の金属加工でもない限り、「賢い人が考えれば、すぐ追いつける」し、「むしろ、素人の方が低コストで小回りの利く仕組みを持っているよね?」というようなものを、中小企業は「生業」にしているケースが多くあります。

 ただし、この検討会の内容自体は、まったく現実を見ていない、と感じました。たしかに、資本移動規模で3000万円に満たないような小規模な事業譲渡、株式譲渡では、公的支援でも、あるいは民間の商業ベースであっても、記載されているような推進上の課題があるのは事実です。しかし、魅力的な技術か、顧客、あるいは優れた技術者や耐用年数が十分残った高度な機器がある事業の場合、経理がきちんと信頼できるレベルで整備されていれば(これがまた非常に割合が少ない)株式譲渡、そうではない場合は、営業譲渡的な手法が、そうした「立派な(高いお金を取る)仲介者」がいなくても、同業の繋がりなどを通じて経営資源の移行自体は昔から現場では実施されています。その移行先は通常は「昔からよく知っている間柄」のことが多いので、PMIも比較的スムーズです。検討会が課題だと言っている「必要な技術(=ちゃんとお金になる仕事)が継承されない」ということは起きていないと思います。

 実際に起きているのは、次のようなものです。

  • 日本の大企業が低賃金長時間労働を前提とした単価、納期を押し付けるだけの小ロットの仕事(海外の大企業は大ロットで相談してくるので、これには該当しない)の引き受け手がいなくなる。→当たり前である。単価を3倍にして頼めばよいことである。
  • 経理が実はぐちゃぐちゃで実質的には債務超過していて、株式譲渡的な手法が使えない。しかも事業譲渡をしようと思っても、そうすると譲渡後に、倒産させると住む家や財産を失うことになるので、それを逃れるために、いつまでも儲からない、縮小傾向の事業を続けざるを得ない。(かといって、負債も含めて引き継いでくれるほどの価値は存在しない)
  • 顧客はいなくなり、技術は古く、設備もだましだまし旧型を使っていて、事業が縮小しており、「伝統」以外の価値がなく引き受け手がいない。

 こうした事例が「氷山の一角」であり、ちゃんとした事業価値があるところが大部分であるならば、検討会の内容もわからんではないのですが、私の知る限り、社員10人に満たないような規模の会社のかなりの割合はこの状態です。もう少し詳しくいうと、製造業では、今生き残っている会社は何等かの特徴を有しているケースが多いようです。それは厳しい時期を生き残ってきたからです。しかし、他の業種では、だいたいこんな感じです。

 この状態に陥ると、引き継ぎ手はどう探したっていない。というより、引き継ぐ価値が残っていないと言った方が正しいので、銀行が損を被るという結論しかないのですが、それが当事者も銀行もできないのです。そして、今大量に出てきている「M&A手法でなんとか負担を軽減できないか?雇用を継続できないか?」という相談の多くは、これです。当事者はむしろ静かに引退したいのに、銀行がそうさせてくれない。
 このことは、項を改めて詳しく考察したいと思っているのですが、今必要なのは、「譲渡の円滑化」ではなく、「廃業、倒産の軟着陸化」ではないかというのが私の考えです。経営に失敗したからと言って、住む家と生活費まで奪われるという「銀行支配」「事業価値ではなく担保でしか融資できない能力の低さ」こそが排除すべきものであり、その代わり、審査は厳しくてよいし、金利は高くてよい、とするのが、この国の未来には必要だと考えます。

 そして、なぜこんな「生ける屍の行列」になったのか?といえば、それは、「作業」を「事業」と勘違いして(大企業や社会が勘違いさせて)、市場ニーズに対応する技術革新に後れを取り、適切なキャッシュフロー設計を怠り、その結果として設備や人材への投資に後れを取ったからです。つまり、「経営の無策」であり、「経営、稼ぐことへの知識と教育不足」です。そこにも、中小企業政策が必要です。
 現状では、そうしたことを考えられる人材が圧倒的に不足しており、経営者たりえない経営者が退場し、経営をマネジメントできる人材のところに資源を集約せざるを得ない、というのが、よく言われるカネと技術の集約以前に必要になっているのが、日本の状況なのではないかと思います。

 経営者の方には自分事には聞こえないかもしれませんが、コロナ融資を通じて、今中小企業の債務残高は多くの企業で「返せる見込みがない」水準になっています。これは、銀行が「自分の損にならない」(信用保証協会や政府が損失を被る)からできることであり、銀行自体は、融資先の借り入れが増大している以上、以前にもましてに貸せない状況になっています。つまり、次に来るのは、政府が損失を被ることで大量倒産、大量の営業譲渡が発生するということです。それは、余力がある会社にとっては、M&Aで時間を買うチャンスが来る可能性があるということであり、相手の品定めをして提案するノウハウが必要ということでもあります。そして、限界に達しつつある会社の方は、経理やその他のデータを整備して、そのような「買いたい」というオファーに具体的に対処ができる準備も必要ということでもあります。

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