会社を率いて10年、20年のオーナー社長はそんなことはないようなのですが、若い創業社長やサラリーマン社長では時々、「Noと言えない」人を見かけることがあります。私も昔はそうでした。しかし、小さい会社だと、そんな誰にでもいい顔をするほどの社内需要はありません。そうと分かると言い寄ってきた人の9割の人は離れていきます。それを悲しく思う人も結構いて、その人たちにはつらいでしょうが、そもそも「仕事」ですから、そういうものです。営業マンは、あなたが好きなのではなく、お金がすきなのは仕方がありません。
そうと分かってからは、「そのソリューションに興味はあるが、今払える余資や割ける人員はいません。」とかなり早い段階で明言するようにしました。それでも時々情報交換と称して会ってくれる人もいて、そういう人とは今でも親しくしているし、営業である以上、その段階で帰社後アタックリストに「Z 失注」とフラグを建てられて「他当たります」と言われていたとしても別に文句はありません。
仕事である以上、自社にメリットがあれば進めばいいし、メリットよりもコストが上回るか、リソースが割けないかならば断わればよいのですが、そうすると小さな会社では大半を断ることになります。「それでいいのかな?」と思うかもしれませんが、多くのBtoB営業なんてアプローチした顧客の良くて数%、多くの場合は1%以下しか数字にならない実情を思えば、別に20件中19件断ってもまだ、平均よりもだいぶ優しい会社なのです。
同じことは社員に対してもあります。社長は社員と「仲良く」する必要などないと思います。理念は機会を設けてきちんと理解する機会を強制的に作ればよいし、雇用を守り、今の日本においてすこしづつでも昇給させ、賞与を支払うことができれば、別に嫌われても良いし、怖く思われていてもよいと思うのです。
私個人の話でいえば、いつまた人員削減しなくてはならなくなるか、といつも怯えながら月次決算を迎えていたし、社員全員によい評価などつけられないし、付けようとも思っていませんでした。収益性が改善しない中で社員に良い評価をつけ昇給させると何が起こるかというと、それは良い社員から先に辞めていくような破局を招くということを身をもって知っているからです。2割にはいい評価をしても、8割には恨まれてよいと思わなければ収益を維持することはできません。
もちろん、辞められては困るという気持ちはわかりますが、実のところ、辞めて他社へ飛び出していけるだけの実力を持ち、本人が変化を受容し、そして家族もそれを受忍するというケースは決して多くはないのも事実です。そのため、暴虐である必要はありませんが、そこはある程度の緊張感を社員との間に持ちながら、収益性の範囲で分配するという態度を保持しつづければよいのです。それが、「社員に感謝」と口にしつつ、いい顔をしたがる若い経営者は実に多いのです。
日本では「誰とでも仲良くしなさい。」ということが、「自分がその場は折れなさい」とほぼセットで学校でも家庭でも指導されます。その結果、仕事においても、相手の主張を呑む、自分の主張をしない・拒絶しない、ということが正しいと思っている、あるいはそう刷り込まれている人が30代、40代でも相当数いますし、そういう従順な人を使い倒すことで日本企業はこれまで成り立ってきた部分もあります。
一方で、その同じ「ハト派」が、会社を辞めたり、取引が途絶えたりすると、とたんに諾々と付き従っていた相手を感情的になり、口汚く罵る光景も目にします。これは、「黙って従っていればその方が自分に得だ」と教育されていたのに、実際にはそうではないことに気づいて「裏切られた」と思っているのです。そんな風に言われるぐらいなら、最初から、「あなたの評価は平均以下なので、昇給なし」とデータを示した方がよほど良いと思いませんか?
そうした「社畜」マインドをもったまま、起業したり、子会社のリーダーになったりするひとも見かけますが、そういう人は事業の内容以前に、対人・対顧客・対従業員の関係性に問題を抱えている事例を目にします。そんなひとにこんな話をしました。
私たちは育ってきた家庭環境や社会文化に強く影響を受けていますが、それの多くは日本では、事業家マインドとは真逆、従順な労働者であることを是とするものです。しかし、リーダーはそれではダメなのです。
書いていて少し思ったのですが(その意図はなかったのですが)、今の隣国との関係でもこれは言えるのかもしれません。純粋に損得で考え、NoならNoと言えばよいし、妥協した方が得なら妥協すればよい。だからと言って対立を激化させる必要もなく、合意できないならば合意しなくてよいし、方針が違うものを無理にすり合わせる必要もない。暴れだしたりせず、緊張しながら無表情に黙って隣に座っているだけの関係は「悪いこと」ではないはずです。