「女性活用」って、なんで日本はそんなこと言ってるの?
中国からしたら、そういうところでしょう。
中国に関して言えば、病気でもない限りほぼすべて共働きです。職場結婚も多く、妊産婦の職場復帰に関する保護の法律も徹底していますし、完全とは言いませんがおおむね守られています。女性の管理職も日本よりははるかに多くいます。特に今の40代以下の世代は全くと言っていいほど差がありません。(この上の「文革世代」は男女とも競争力が非常に低い、という社会問題を中国は抱えています。)なぜこうなったのか?というとかならずしもいいことばかりではないのも事実です。
中国のもともとの道徳文化は日本と同じく儒教に基づくものが根強くありました。封建時代に、「君主に忠誠を」「家長に忠誠を」という仕組みを構築するのに為政者側に都合がよかったため,官製で普及されたのは日本も中国も同じです。中国ではその後、内戦を経て共産党が政権を握り、旧ソ連を見習った計画経済運営が行われました。その際に、農業、工業の労働力として、女性も働きに行くことが生産増大のために必要となり、「女性は天の半分を支える」と毛沢東が言った(改めてこの言葉を調べてみたんですが、毛沢東の著作には出てこないようです。)、という言葉を根拠に社会的な地位の向上と引き換えに仕事をすることを強要された、という歴史があります。男女が皆自転車で通勤する、という日本人の中国に対する古い思い込みの光景は、この政策当時のものです。
ただし、完全に平等か、というとそうでもなく、たとえば、「定年」(正確には年金受給開始年齢)は、女性は50歳、男性は60歳、そして女性でも「幹部」は55歳です。この「幹部(中国語では干部)」というのは、分かりにくいのですが、政府の人事局に登録する内容に「幹部」と書いてある人であり、「大卒管理職」程度の意味です。この女性の定年を男性と同じ60歳までアップしようという動きがこの15年ほどの間に何度かされているのですが、そのたびに主に女性から反対が起きるのです。私がいた会社でも、現場リーダークラスの女性を幹部として登用し、長く活躍してもらえるようにしようとしたところ、本人から拒否されました。その時、彼女は「早く年金生活に入りたい」、と言っていました。
また、仕事が平等だから家庭でも家事分担が進んでいるか、というと、実際には全くそんなことはありません。そこにはまだまだ色濃く古い儒教文化が残っていて、女性は会社で頑張って働いて、帰りにスーパーや市場で買い物をして、子供の面倒を見て、料理をして…と日本以上に負担の大きな暮らしをしています。その上、「子供に勉強させる、それに付き合う」というのが日本よりもかなり大きな比重を占めていて、幹部女性に方程式の「教え方」を聞かれることがありました。(小学校で連立方程式やるんだあ、と感心した記憶があります。)彼女たち自身が、社会的束縛を窮屈に思う一方で、「良妻賢母」像を大事にしているのを強く感じることもありました。若い人は変わってきている、とはいうものの、ルールとしての「平等論」と実際の家庭内の分担とは必ずしも一致していないのです。
ただ職場では、完全に平等な権利と義務という考え方は徹底しているので、言い合いになったりすると大変です。中国人ははっきりと大きな声で主張するので、「なんで喧嘩してんの?」と傍から見てると思う勢いですし、女性は早口で高い声でしゃべるので、見てるこちらが怖くなるようなことがしょっちゅう繰り広げられます。ただ、中国の大卒人員は男女とも討論の訓練がされているので、イシューを外さないし、人格攻撃や気分論には持ち込みません。特に女性管理職はそういう理知さは優れた人が多いように思います。そこは日本よりも優れた点だと思います。
深セン市の場合、さらにいろいろな困難が女性にはあります。深セン市は他の地域からの移民の街です。1980年代には人口は2万人程度の漁村が、今や1300万人の都市になったのです。そのため、広東省にありながら広東語ではなく、普通語(北京語)が街では話されます。中国では戸籍(生まれた場所)がある街でないと医療や教育が十分受けられませんが、深センで働いている人は一部の幹部を除いてほとんどが深セン市戸籍ではありません。(この戸籍は会社が推薦して社員に与えることができるのですが、実にゆっくりとしたペースでの支給になります。)そのため、多くの女性社員は子供を自分の故郷に置いてきて、おじいちゃんおばあちゃんや兄弟に育ててもらい、以前書いた年に3回の長期休みにたくさんのおみやげをもって、子供に会いにいくのです。私の会社も90%以上が若い女性で、常時10人ぐらいが産休を取っている(直前1か月と出産後90日)状態でしたが、子供を郷里においての寮生活というのは気の毒に思うことがありました。寮の使用量が減ってきたときに、家族寮を開設するということも検討したのですが、子供の教育や医療の問題は給与を大幅に上げるなどしないと解決できない問題だったため、放置せざるを得ませんでした。
さらに、夫婦も一緒に暮らすとは限りません。こういう「出稼ぎの街」ですし、日本よりも人材の流動性が高いので、社内結婚しても、どちらかが辞めたり、上海で仕事を得たり、ということは結構な割合で起きます。もともと共働きなので、収入は別々でよいのでしょうが、なんのために結婚したんだろう?というケースは結構ありました。
私の秘書をしてくれていた女性も35歳で社内の一個下の技術者と結婚しました。その前に彼女は幹部として深セン戸籍も得て、自分でお金をためてちょっと遠くにきれいなマンションを購入していました。夫の方は戸籍はなく、会社の寮住まいだったのですが、結婚して彼女の家で暮らし始めたのですが、「夫は家のことは何にもしてくれない」と、買い物や料理ぐらいはちゃんとする私によく愚痴っていました。
そのうち、夫の方はなかなか優秀な人だったのですが、幹部登用レースで負けて自主退社してしまいました。これには「社内独自の退職金制度」を構築し、彼がその受給資格を得た(3万元以上もらえた)ことが大きく影響していました。彼はその3万元で事業をやるつもりだったようですが、そこまでの才覚はなかったようで諦めて知り合いのつてで上海に行って仕事をしていました。秘書さんにしてみれば、家も自分の所有物に転がり込んでいるし、仕事も彼女の方が稼ぎは良いし、夫は夢みたいなことばかり言ってしっかりしない、と不満たらたら、「総経理みたいな人ならいいんですけど」と言われてときめいてしまいました!・・・でも、そんなに嫌なら別れたら~というと、「私の道徳観ではそれは許されない」と儒教的家庭観を持ち出していました。
これも中国の実力主義の結果起きる悲劇なわけです。平等の建前に現実がついていかないまま、共働きが前提の所得構成に社会が進んだ時に起きるこの軋みはこれからの日本でも起きることなのかもしれません。こんなことを書いたのも、今日11月22日は「いい夫婦の日」だというのに「風呂洗っといて~」と妻が出かけ際、ブログ案を整理する私に言い残していったからでした。