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企業の価値観としての「正義」

企業経営にとって「正義」を問われるケースがあります。今日はそんなシーンをいくつかご紹介します。(実際のケースからは改変してあります)

1 不安のある商品を売らないことは正義か

 お客様のEC事業に関連して、市場でここ1年ほど大変売れている商品がありました。私が市場調査で見つけ出し、検討依頼して4か月。仕入先を調査し、見積もりをサンプルを入手し、役員自ら、そして社員の方も機能を検証されました。機能面ではメーカーや先行する他社が謳うほどの性能アップは確認できませんでした。具体的には、他社が1.5倍のアップといっているのですが、条件をいろいろ変えて実測しても、1.3倍程度がせいぜいでした。そしてもう一つ分かった事実があります。
 この商品は金属製品なのですが塗装が少しの使用ですぐ剥がれました。塗装の剥がれは見た目が悪いだけでなく、錆びの原因にもなります。実物を私もみましたが、溶接方法などもやや「ちゃんとしてない」感がありました。売り上げがいい中で、生産コストの低減をかなり強く図って(それは当然のことですが)利益を確保していることが見て取れました。ちなみにこのお客様は、仕入れるだけでなく、メーカーとしても製品を各方面に販売しており、その観点からはこうした耐久性評価には厳しい目を持っています。

 それでも、市場全体では相当な規模で同じ商品が売れていて、それがあれば、売上計画達成への大きな一歩になるという事実を前に、経営者は決断をしなければなりませんでした。いや、彼の心の中では結論がでていたのですが、そこにどう根拠づけするかを迷っていたのかもしれません。

 私は、いいました。「経営者であるあなたが、顧客に対して責任を持てないと思うならば、取り扱いをやめておくべきです。そして、その理由をきちんと社員に伝えてください。その判断の理由が会社のこれからの価値基準になっていきます。」

 もちろん、自社で生産委託している、あるいは製造している商品ならばこれはだめで、何とかして品質を改善してコストを抑制する方法を開発しなければならないので、そこは伝え方に留意が必要です。そう背中を押してもらえて彼は安堵したようでした。

 しかし、この商品を売っていたら得られたこの先の利益は、1000万円は下りません。別に嘘をサイトに書くわけではありません。「塗装ははがれやすいです」、とも書きませんが。
 本当にこれで良かったのでしょうか?

2 不効率な顧客は維持するべきか

 別の機会にこんな議論もありました。EC事業では、モールのシステムで実装しているキャンセル機能(一定の時間の範囲ならば、自分でキャンセルできる)以外に、電話やメール(特商法で連絡先の表示が義務付けられていますので)でのキャンセル要望が多数発生します。ある程度は、サイト内の説明書きなどで減らす努力はするのですがそんなものはあまり見られません。こちらは2,3人で毎日1000件以上対応しているのに、特に年齢の高い層を中心に、「言えば個別対応してくれるもの」と思っている人は少なからずいて、そういう層は、こちらの対応が十何ではないと低評価の口コミを記載して、星を下げたり、電話口で延々苦情を言われたりするので、どの会社でも運用担当はびくびくしながら、結局言いなりになる傾向があります。
 場合によっては、発送準備に入ったあと、あるいは発送後でもキャンセルは発生します。発送前の現場は、かご車10台以上に荷物が満載された状態です。毎朝、自社で毎日1000ものオーダーを処理し、発送物を必要最少人数でこなすことで利益を上げようとする中で、これらは「顧客満足」「ファンづくり施策」の名のもとに対応すべきことでしょうか?

 ちなみに競合であるAmazonは、ケースによっては発送後でもキャンセル可能です。

 商品は、低価格、3000円ぐらいの生活財だとしましょう。つまり、1回の発送による粗利(原価+送料、箱代、モール手数料を売り上げから引いたもの)は、多くて500円、通常300円です。数万円で粗利50%というわけではありません。1件の例外処理に営業で10分、出荷で10分を失えば、この500円は計算上、消えてしまいます。

 日本人はこうした対応を一つ一つ耐え忍んで丁寧にこなすことが美徳だと思う傾向があります。しかし、今、3億の売上を10億にしようとしたとき、その層は本当にこの先の成長に必要でしょうか?私ならば、その層は、次たとえ来てくれたとしてもまた、「キャンセルが自由にできる」と思っている顧客なので来なくてよくて、他社で買ってもらうようにむしろ積極的に誘導した方がよい、と思います。その方が、自社のコストは下がり、競合他社のコストは上がりますので、相対的競争力はあがります。その「やっかいさん」が他の顧客の100倍の購買力を有していれば話は別ですが、そんなことはありません。

 そして、下がったコストを販促費や商品価格の引き下げにあて、その失った分をノンストップで当日中に発送まで完了できる顧客を数人増やした方が、10億には近づけると考えます。そういう合理的精神は、「正義」ではないでしょうか?そして、そんなに顧客からのメールや電話対応が苦痛ならば、その部分をマニュアル化して、外部にアウトソーシングしてしまえばよいのではないでしょうか?表立っては誰も言いませんが、大きい会社は、誠実をうたいつつ、みんなそうやって大きくなりましたよね?

 1人の評価を30点あげるより、100人の評価を1点あげる方が、「顧客満足」なのではないか?と思うのですが、皆さんはどう思われますか?

3 大手ニュースサイトであっても、売れれば何でもよいのか?

 同じネットビジネスで、最近、気になっていることがあります。

 比較的大手のニュースサイトや情報サイトでも、理美容系(毛穴の汚れ、やせる、宿便が…)やたばこ代替品などの広告で、「全く非科学的で誇張され、不安をあおるような広告」が大手を振ってまかり通っています。昔から、雑誌広告には怪しいものも多くありましたが、それが写真や動画を用いて大変印象的に(どぎつく)表現されています。

 最近ではやや怪しい部分も出てきましたが、テレビや屋外広告など、多くの目に触れるメディアでは、こうした「インチキじみた広告」は厳しく規制されてきました。その規制こそ、テレビがつまらないと言われて、往年の地位を失墜させ、ネットメディアにとってかわられた原因でもあるのですが、ネットがテレビにとって替わった今、ネットの広告基準はこのままでよいのだろうか?疑問を感じます。

 こうした「インチキ商品」を売らされている当の社員は正体をわかっているわけですが、生活のためしょうがなくやっていて、「いつかは別のちゃんとした仕事に就きたい」と思っているわけです。それは人生の中で大変な時間の無駄です。そして、その広告を集めることで利益を上げている代理店、媒体を提供しているメディア側も、「見て見ぬふり」をしているのではないでしょうか?

 仕組みとして、枠を代理店に渡してしまうと、そこに何が配信されるかを明示的にコントロールするのが、難しい、とメディア側は言い訳するでしょう。しかし、テレビではそこを自分たちの良識で浄化してきたという良い例もあるわけです。

「お金のためなら、インチキの片棒担いでいると言われていいんですか?」

 それは1つ目のケースと同じことで、「価値基準」をもって判断するという、経営者の責任を放棄していることだと思うのです。

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