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「感情労働」は当たり前か-CS経営の欺瞞

 今年、ビジネス界で頻繁に話題になった単語に「感情労働」という言葉があります。これは、「肉体労働」「頭脳労働」に対して、社会学者A・R・ホックシールドが1983年とかなり古くに提唱した概念で、「相手(=顧客)の精神を特別な状態に導くために、自分の感情を誘発、または抑圧することを職務にする、精神と感情の協調が必要な労働」のことをいいます。日本語訳書のタイトルは、これまた刺激的で「管理される心 感情が商品になるとき」(世界思想社)というものです。感情労働では、感情が労働内容にもたらす影響が大きく、かつ適切・不適切な感情が明文化されており、会社からの管理・指導のうえで、本来の感情を押し殺して業務を遂行することが求められます。 彼女自身はこれを批判的にとらえているわけではなく、「新しい種類の労働」として考察を加えています。

 感情労働の代表的なものとしては、保育士、航空会社のCAなどがあげられますが、今年この言葉が使われる機会が最も多かったのは、コロナ対応で過酷な労働を強いられた「看護師」(昔の言葉でいう「看護婦さん」)、あるいはそれに関連して「介護士」に対してでした。
 なぜ、医療オペレーションのプロフェッショナルとして高い名誉と、夜勤手当などを含めれば普通の職種からははるかに高い報酬を得られる看護師からどんどん人が辞め、そして復帰しようとしないのか?それは決してお金の問題ではなく、「日本人の看護師への誤った固定概念」とそれを前提とした「病院経営の経営方法」に理由があり、それを皆が直さない限り、日本の危機的な医療の現場は正常化しないのではないか、そしてそれは医療だけでなく、実は日本のビジネスシーンのあちらこちらに見られている制度的問題である、というのが今日のテーマです。

 この「感情労働」をめぐるSNS等での議論を整理すると、今の日本の仕事の中では看護師はおろか、小売業、飲食業のみならず、営業職、さらには社内の上司への対応まで、この「感情労働」をかなり強く強いられていて、しかもそれを「正しいこと」「売るためには必要なこと」だと経営者や40代以上管理職が思い込んでいる、という報告を多く目にします。
 日本は気遣いの国だと言いますが、私の知る限りでは70年代、80年代前半はここまで極端ではなく、80年代半ば以降にこのような圧力が急激に高まってきたように思います。おそらくは、それは、コンビニ、ファーストフード、ファミレスなどで、「マニュアル化された笑顔と礼儀」が徹底された時期に、それが「単なるビジネスマナー」ではなく、「お金を払う自分の対する隷従」であると勘違いされたことから間違いは始まったのではないかと私は考えています。その証拠に、あまり職業経験が豊富ではないタイプの「パートのおばちゃん」はこの手の「人格の販売」をしないで普通にレジで応対しているからです。
 さらに日本では、この「感情労働」を日本では女性に強いる傾向が顕著であり、また女性自身が生きるすべとしてやむを得ないとはいえ、「女性らしさ」として、それを受け入れている傾向が強くみられることも問題の解決を難しくしています。実はこの部分は、ホックシールドが40年前のアメリカの状況に対しても同様の指摘をしています。

 今、「問題」と言いましたが、何が問題かもわかっていない感覚のマヒした方も高齢層を中心に多そうです。「そんな気遣いは当たり前」なのでしょうか?もしあなたが会社の経営者ならば、そんなあなたの会社に若手は定着しにくいでしょう。
 [買う方は王様で売る方は下僕である]、という態度を高齢者と一部のプチ富裕層が取ることはBtoBでも小売りの現場でもこの問題の中心です。そのような職場を「楽しい」と思う人などおらず、疲弊しやめていくこと、そしてメンタルヘルスが悪化し、生活を破壊することがこの問題の現象です。先日も有名ベンチャー経営者(しかも親は日本の柔道界の大幹部)が、ホステスに「自主的に」テキーラを一気飲みさせて死に追いやるという事件がありました。彼は謝罪文においてもなお、「楽しいお酒の場の一貫」であり、「自主的に」彼女がやったことがと言い張りました。過適応せざるを得ない状況に彼女が追い込まれている立場であることを見ようとしない彼の評判は依然から投資界隈ではあまりよくありませんでした。ホステス業もまた、感情労働の最たるものですが、命は売上よりも大事だということを店長は彼女の前に立ちはだかって言うべきだった。(派遣されてきたホステスで雇用関係はなかったようであることがまた、問題を難しくしているのですが)

看護師のみならず、多くの職場でなぜ若い人が定着しないのか?の原因の少なからぬ部分をこの「むやみやたらと人格的に隷従させられる」という問題が占めているということを、「奉仕される側」の経営者、管理者は気づいていない、あるいは見て見ぬふりをしているのです。やめる側も「自分には向いていない」と会社に遠慮する言い方をし、会社の方も、「適性がない」と自己を弁護する判断しているのですが、一見適性があって適応している人も、過適応により精神状態を少しづつ痛めてアルコール等の依存症の原因になっていることも指摘されています。
 人員補充の困難に直面する職場の多くは、この問題を抱えていて、しかも経営者がそれを「当然のこと」として、「適正のある人」を探せと言っています。もちろん、人によりこの「尊厳の販売」への耐性には差異があるので、多少耐性がある人はいるのですが、それでは組織の拡大は難しく、採用コストは高止まりします。社会批判をしたいのではなく、会社の維持発展の大きな支障となっていて、若者の職場の選択の大きなポイントになっていることを見過ごしてはいけません。

 ただ、この指摘は起きている現象を指して問題視しているものであり、経営にとってより重大な問題は別のところにあります。それは、CS(顧客満足)の名の元に、顧客と上司、あるいは同僚の気分を害さない行動が、生産性や成果よりも優先される職場環境を作っていることです。

 多くの会社では目標管理制度を導入しつつも、それと併用して「勤務態度等の評価」を行っていて、結局は「仕事はできるが、人柄は良くない(協調性がない、コミュニケーション能力が低い…)」人間は評価がされないという風土は温存されているのが実情であり、それを労働者はわかっているからこそ、他人の感情への怯えのために作り笑いをしているのがこの問題の本質です。
 「コミュニケーション能力」は確かにどんな職種でも重要です。しかし、それは論理的・構造的にわかりやすく問題の構造と解決策を伝えることであり、無言のうちに相手の気分を先読みして媚び、相手を持ち上げることではありません。

こうした「人格の販売」は、顧客の人生の一ページに参加できたことへの充実感ですとか、ありがとうと言われたことへの喜びなど、「本に書いてあるCS」とは対極にあるものであることは言うまでもないでしょう。また、CSは本来、顧客の生涯価値を高め、新規獲得や再来店への金銭的プロモーションコストを低減することで利益を拡大することに意味があったはずなのに、まったく経営的視点とは関係のないルールが職場を支配してしまっているのです。
 実際、小売業でも、BtoBの営業でも、べらぼうに売る人、というのはこれまでの人生で出会ってきましたが、実は全くこうした隷従型・人格販売型の人ではありません。ニーズの具体的把握が速く、提案が具体的で、しかも商談のクロージングが速い人です。それほどににこやかというわけでもなく、どちらかというと朴訥でまじめなそうに見える人の方が実際には売れます。彼らは、むしろ「感情労働」を嫌ってプロに徹しています。

こうしてみると、「日本型感情労働」は、企業にとって全く益をなしていないとばかりか、むしろ生産性の向上を妨げている要因なのではないでしょうか?先般の看護師の例でいえば、精度よくスピーディーに決められた患者対応をこなし、必要な定量。定性的データを言語化して医師・スタッフに機敏に共有することをきちんとやってくれればよいのであって、何故に「白衣の天使」の無償の愛情を期待するのか?ということです。彼・彼女たちはお金を払ってあなたの健康の回復を医師やその他のスタッフと協調して支援するプロフェッショナルであって、あなたのおかあさんでも、恋人でもないのですから、そこにやさしい言葉やにこやかな表情などを要求することは間違っているのです。

 実は、年末にこの稿を出そうと思ったのは、先週、シェアオフィスで昼食中に見かけたある光景が理由です。
 おそらくは30代後半ぐらいであろう、ある女性がリモート会議で説明しているのが耳に入ってくるのですが、その女性はwebサービスの開発と営業をつなぐ「サポートチーム」ポジションのようで、顧客向けのwebでの機能リリースの判断基準や、公開までの手順が極めて論理的でわかりやすくて勉強になっていたのですが、言い方が今までの日本企業的には上手くない、わかりやすくいうと、「かわいらしくない」のです。

彼女のいう事は全部正しくて、そうすることで顧客はおそらくトラブルを回避できるし、彼女の会社は評価が高まるはずなのですが、その必死で、強いものの言い方が、その分野の知識もなければ論理的思考力もない男性の営業幹部の癇に障ったらしく、話を打ち切られて、無視されていました。きっとこの会社は有能な人材をこの瞬間に事実上失ったことでしょう。そして、彼女の中には、そんな日本社会を骨身に浸みて知りつつも「人格までは売ってやらない」という意地のようなものを感じたのです。

日本人40代以上男性が、事実や論理よりも、「気分」「雰囲気」「同調圧力」で仕事をしようとし、そこでの成果を重視せず、正しいことをして成果をあげようとする「部外者」を排除し、屈服させようとするその光景を見て、これでは日本はダメになるとの暗澹たる気持ちにさせられた光景でした。

あなたの職場が選ばれない、そして一見CS上は問題がなさそうなのに、生産性が上がらないのは、あなたが「仕事は自分の感情を殺して、相手に奉仕して当然」という思い込みを社員に押し付けていることが影響しているのではないですか?

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