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仕事はカンニングOK

先日、お客様のところで、「仕事はカンニングOK」という発言をしたら、意外に皆さんから反響がありました。

何の専門性もないまま、中小企業のいろいろな業種、職種のリーダーを勢いでこなしてきた私にとっては他人の知恵を借りまくって自分の成果になんとか仕上げることは当たり前のことだったのですが、最近の若い方で、特に優秀な学校を出られて大きな組織でまじめに仕事をされてきた、という方にはそうでもないのかもしれません。今日はその辺を少し整理してみることにします。


学校ではカンニングしたら、怒られます。今は入試シーズン真っただ中ですが入試なら失格になります。試験でも、あるいは普段の授業でも自分の頭で考え、自分の口で言葉にしなければならない。その中で、なんとか回答を論理的に導き出す、与えられた情報、あるいは文献調査などから得られた情報をインプットとして自分でアウトプットするロジックを考えることを要求される。一昔前の暗記型入試対策からはだいぶ進歩して、これが今の日本の教育の目的となっています。この「考える力」は社会に出てからももちろんとても重要であり、主体的にお客様の課題、社内の課題の構造をいろいろな情報を主体的に集め、それを元に理解し対策を考え、実行していくことのできる人材を各社とも希求しているのは間違いありません。

それは私も同意します。

 

しかし、同時に経営、あるいは社員から見たときの仕事は、限られた時間とお金で最大限の成果を上げることを要求される競技でもあります。その時に、「経験のないこと」を「0から試行錯誤することが正しい」と社員はもちろん、リーダーも思っていたら果たしてその会社は計画するような発展をかなえることができるでしょうか?しかも、中小企業の場合、社内に存在するノウハウや人材の幅は限られています。そこから新しいものを合成しようというのは実は大変難易度の高いことだと私は思っています。

その会社にとって、新しいことに取り組むことはいつでも必要です。しかし、個人が新しいことに取り組めばだいたい最初はへんてこなものが出来上がり、2度目、3度目はだいぶ改善し、そのうち、専門家のような顔をするようになるのですが、実際には、そんなに何度も試行錯誤することは状況がゆるさず、「失敗」として凍結されてしまうのではないでしょうか?しかし、その「新しいこと」はその会社にとって新しくても、世の中にとっては、大部分は「すでにあること」です。たとえば「経験者」を採用してしまえば何でもないようなことが、その会社にとっては「新しいこと」なのです。

 

逆に言えば、「世のなかにすでにあること」をうまいこと組み合わせて、「新しく見えるもの」を作ることでも、会社にとっては新しいことです。そして、会社が求める「新しいこと」は通常はこのレベルの新しいことであり、大学の論文テーマのように学術的に新発見である必要はないのです。そして、その組み合わせの仕方と見せ方が変われば、そこには、「新規性」「ニュース性」が生まれるのです。そして、会社にとって「新しいこと」には何の意味もありません。意味があるのは、「強い競合がまだいない(=新しい)」商品ジャンルで「こんなの欲しかったけど今までなかったよね(=新しい)」と消費者に思われることです。

 

◆カンニング法

私が思う仕事のカンニング方法とは具体的に次のようなことです。

1 営業のパスは自分で0から作るのではなく、まとめてパスを持っている社外の人を探し出して、その人に協力してもらう。

何かをあるセグメントに営業しようと思った時、そこにどのように営業しますか?いきなり個々の候補客に電話で営業しますか?今時、それでは成功確率は低いでしょう。根性で電話しまくって結果にあなたは納得するかもしれませんが、もうそのリストには二度目の電話は掛けにくくなっていて、その業界にはあなたの会社は悪名がたっていることでしょう。

もう一度、そのセグメントを俯瞰してみると、そのセグメントに属する企業の決済権者をたくさん知っている人というのが世界のどこかにきっといます。なぜなら、そのセグメントに営業しているのはあなたが世界で最初、ということはなくてもっと有名でもっと深い関係をすでに構築している人がいるのです。その人を見つけ出し、共闘の協力を取り付けることにまずは全力を注いでみましょう。(その人をどうやって見つけ出すかにはコツがいくつかありますが、それはお客様にしかお教えしません。)

 

2 同じようなことをしている会社はきっとある。新しいことを始める時、その会社に教わればいい。

たとえば、先日、広いセミナー会場を安く借りたいが、その資格がないので困っている、という話を聞きました。私はもちろん、会場リストを管理している専門家ではないのですが、その人と一緒になって「そうですねえ、わからないですねえ。」と思いつくままに検索してみる、ということはしませんでした。私がその人にお話ししたのは二つあります。

一つは、すでにそのような会場を使って似たような規模や対象のセミナーをしている会社はありませんか?その中に知っている会社や人はいませんか?あるいはどんなビジネスモデル、どんな準備をしているか情報はありませんか?襲われませんか?ということです。

もう一つは、他に会場を借りて講演やセミナーをやる業種は何だろう?と考え、そこに知り合いがいそうな人を探す、ということです。私はこの時、以前の同僚でコーラスグループで会場係をしていた人を思い出してその人に「会場の探し方教えて」と頼んで、その人の整備した40か所ほどが記載されたリストを無償で分けてもらいましたし、音楽関係の知り合いに相談したりしました。

前者は他社の真似をすればよいということですし、後者はリストをすでに同じように作っているであろう人からもらう、ということです。

 

3 新しいビジネスは一旦他社を真似してみる。中身がわからなかったらわかる人を一時的にでも採用する。

事業を考える時に、その会社の強みを生かすとか、機会を活用するとか、そういう教科書に書いてある内容から入っていませんか?たぶんそれはうまくいかない。一番うまくいくのは、似たようなターゲットや類似のコンテンツや商品の販売を行っていて、そこそこうまくいっているという噂の会社のビジネスモデル、webサイト、営業資料、プロモーション方法などを真似してみることです。もちろん、そっくり真似したら、それは社会的にも非難されますし、ただのバカです。ただ、多くの人は、0から生み出せ、というと筆が止まりますが、今あるものを自分に合わせて調整しろ、と言われるとなんとかできるものです。そして、その過程で、自分たちには足りない資源や、自分たちならできることを考えてそこを入れ替えるぐらいのことはできますし、その方が時間も早く、全体としての完成度も高いものができるのです。そこから実戦に投入して改良するのは自分で作った場合でも、真似した場合でも同じことです。

同じことは人についても言えます。知らないことをなんとか表面的に見えていることをネット検索しながらやろうとするならば、その検索する労力を知っている人を探しだすことにかけて、その人に教わった方がよい。ビジネスの世界には、ネットで調べてもわからないでていない「うまいことやる方法」や「落とし穴」がたくさんあります。そして、言っている人はそこをショートカットして進むことができるのです。私が言うのもおかしな話ですが、それは「コンサルタント」ではなく、現在進行形の「実務経験者」の方がよい。


もちろん、ただで教えてもらえる時ばかりではありません。「顧問料」を毎月払うかもしれませんし、何等かの謝礼や共催のような形をとることが必要なことも考えられます。まじめで小さな会社ほど、社外の人間にお金を払って時間や完成度を買うことに躊躇する傾向があります。いままでやってきたことだけをやっていればかからないお金なので、違和感があるのもわかります。しかし、新しいことをやるのに、経験者を採用して事前の調査を十分行って調べることの費用に比べたらはるかに少なくて済むし、時間も早く、完成度も高い。

そして、こうした、「社外リソースをうまく引き寄せる」ことは中小企業のリーダーにとって必須のスキルであるとも思います。必要なお金は払うべきですが、実際にはお金で解決することではなく、「相互に貴重な情報を提供し合える」キーマンがどれだけ自分の手の中にあるか、ということが社内に資源の少ない中小企業だからこそ大事なのです。よく、「特別なスキルが自分にはなくて」と嘆く30代以上のサラリーマンの方がいらっしゃいます。私もあまりに雑多な経験をコレクションしすぎていてその口でした。しかし、特に管理者に必要なのは「特別なスキル」ではなく、「今必要なスキルを有する人を見つけ出して、信頼関係の下に自分への協力を取り付ける力」であり、それが中小企業の場合は、社内ではなく社外に対してなのです。

 

カンニングという言い方が適切でなかったら、他人のふんどしで相撲を取る、とでもいえばいいのでしょうか?こういうことが上手なひとは、口々に、「自分はそんなに頭よくないからそうせざるを得ないんだ」ということを言います。この言葉はとても核心を突いていると思います。彼だけでなく、我々は誰もが新しい事業を一発でうまいこと立ち上げられるほどには頭が良くないのです。それを明るく認めてそれを前提に行動する人と、自分にいくばくかの万能感を学生時代の成績から引きづっている人との差がこの姿勢の差、そして推進力の差となって表れているのだと思います。

優秀な大学を出た人が仕事を成果を上げられるか?というとそういう相関性はあまりない。私の周囲ではむしろ逆相関です。というのは、この自分の有限性と課題の無限性のギャップを埋めるものが他人であるということを積極的に認めているか、そしてそれをためらわずに行動に移せているかどうかの違いが一因であるような気がします。

 

哲学者カントにこんな言葉があります。「私自身は生粋の学者である。昔は無学の愚民を軽蔑した。しかしルソーが私の誤りを正してくれた。私は人間を尊敬することをまなんだ」

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